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 ー花盗人ー枝の下にて花や散るらん

行軍の途中、ふわりと甘い中にも筋の通ったような、すっきりとした匂いが漂ってきて、高杉は視線をぐるりと一周させた。
何の香りで一体何処からするのかと源を辿れば、何のことはない。今居る場から些か距離はあれど途中の山道に一本の中々に見事な大樹が根を張り枝を張り、其の身に蔓を巻き付かせ、薄紫の小振りな蝶を何百何千と群生させているかに思える花を、高い樹上から惜しみなく枝垂れさせているのを見付けたのであった。
其の様は正に圧巻であり、流石の高杉も声音こえを失い茫洋と目を奪われるしかなかった。
何という鮮やかな、美しい色彩いろと芳香であろうか。血と泥濘と汚穢に塗れた戦場いくさばを移ろい彷徨うだけの日々が続く中では、景色や季節の風情などに気を取られるような、現うつつを抜かす時間も余裕も到底ある筈は無かった。
消えいらんばかりに淡い色彩いろであるのに、此の辺り一帯を覆う意識全てを持って行かれる程の匂いと、大樹から張った無数の枝々を這う数えることすら諦めざるを得ぬ程の無数の花々は、其の存在感と美に一度でも眼にした者は圧倒されずにはおられぬであろう、そう確信させるに充分なものであった。
足を止め呼吸いきを呑んで見詰める高杉に焦れたのか、背後から苛立たしげな声が掛かった。

「何を足を止めておるのだ、高杉。さっさと先にゆかぬか。立ち止まっている暇など我らには無いのだぞ!」
敗走の途中の軍である。改めて言葉に出されずとも其のようなことは高杉にはよく解っている事柄であった。
敗走に次ぐ敗走で武器も資金も糧食も隊を構成する人員さえも最早無く、今や<軍>とは名ばかりの同志は少数しかいない敗残の徒である。志士とも呼べぬ、一介の無頼と称されようがなんら意を唱えられはせぬ。其の中ですらも無傷な者は幹部組を含めて誰一人としてはおらぬ。
絶望的な未来さきの見えぬ現実に頭を抱える桂が苛立つのも尤もな話であったろう。
「花など見た処で腹が膨れるものでもない。単なる無駄だ」
故に吐き捨てる幼馴染みに高杉は何も言わなかった。

ー此の戦いくさは負けるだろうなァ…ー

何の感慨も無くそう思う。
如何に世に名だたる白夜叉、戦場いくさばの軍師、土佐の若獅子、荒ぶる狂犬などがおろうとも、勝敗は個々で決するほど甘いものではない。所詮は数と金なのだ。武器などは金さえ積めば幾らでも高性能な物が手に入る。勿論、人の生命いのちでさえも何ら例外ではない。

ー現在いまの俺達にゃあ、其のどれもねえー

一層、笑えるぐらいに何も無い。
失くすばかりの賭け博打で得る物は何も無い。
無意識に口の端が吊り上り曲線を描いていた。
近々、己らは生命いのちを落とすであろうことは、想像に難く無い。
斬られるか、飢えて死ぬか、或いは自刃の道を選ぶか。何れを選ぼうと″死″は死で無益であることに何ら変わりは無い。
無駄死には避けたいが、果たして自分達に僅かでも取捨選択の自由はあるのか。
許されるのであろうか。
若し叶わでものならば。

ー俺ァ、テメェの命はあいつの為に使いてぇー

何処か此の樹のようにどっしりと芯を持ち、けして派手ではないが己の道を征く男の為に。
賭けたい。使ってやりたい。護りたい。

ーアイツァ、いらねェと言うだろうがなァ…ー

風が吹いてざわざわと枝を揺らし花の香が一段と強くなった。

「どうしたよ、止まっちまって」
殿しんがりにいた筈の男が何時の間にか追い付いてきて、不思議そうに問うた。が、桂や高杉が何か言う前に男は鼻をひくつかせ、へらりと笑んだ。
「甘え匂いがする。何の匂いだ?此れ」
「藤だ」
高杉が顎をしゃくる。
緋色の眸がまんまるに見開かれぼやいた。
「ああ、何だ。花か。食えそうに甘え匂いなのにな」
勿体ねえ、と零せば、桂が柳眉を寄せて咎めた。
「意地汚いことを言うな、銀時」
確かに腹に入れる糧食など何処にもない。飲まず食わずの行軍が果たして何時まで持つものか。
「あのよー、ヅラ。意地だの見栄だので腹は膨れねぇんだぜ。カリカリすんなよ」
「銀時!貴様も武士の端くれであろうが!!誇りを持たんか!!」
「ンで飢え死にするってか?バカらしい」
「此のまま進めば何処いずこかで川もあろうし、魚も獲れよう。道を分け入れば獣もおるやも知れぬし、野草もあるやも知れぬではないか」
そう言い募る桂は何処か意地になっているようであった。対して銀時はふう、とこれ見よがしの溜息を大きく吐いた。
「だからよ、其の一歩を踏み出す為の体力を養う為に何でもいいから食いモンがいるんだっつーの。ヅラ。あんだすたん?」
二人の会話は平行線を辿り到着地点が見えない。

不意に其処へ抜きん出て背の高い男が間に割って入り、長髪と銀髪の肩に両腕を回し宥めた。
「まあまあ、おんしら。すっと変えるきねえ(苛々するな)。ヅラ、金時の言う通りじゃ。腹が空くのに侍も町人もなかろうが」
「だがな、坂本…ーー」
「食えるちや」
「はあ?」
したり顔に理解が追い付かず桂は素っ頓狂な声を上げた。
「あの藤の話をしちょったんじゃろう?木の皮は毒があるきに食えんが、花と若芽は煮炊きや天ぷらにすれば糧食になるぜよ」
「残り僅かな油をそんなことには使えん!使うなら火矢の一つにもするべきだ」
「ほいたら生で食うたらえい。藤は生でも腹を壊さんきに」
「だが…」
「命あっての物種だぜ、ヅラ。俺もコイツらに賛成だ」
「高杉、貴様まで…」
「多数決じゃ」
「ーー勝手にしろ」
遂に桂も折れてプイ、と首を斜めに上げた。其れが妙に幼童めいていて残り三人と、はらはらしながら様子を窺っていた他の仲間達からどっ、と賑やかな歓声が上がった。久々に耳にする明るい声音こえであった。



千切った花々をそれぞれが思い思いの場所に座り込んで咀嚼する。
桂は未だぶつぶつと何やら文句を唱えていたが、坂本が大声で笑いながら背を叩いて宥めすかしている。
銀時は其れを視界の隅に入れながらぽつりと呟いた。
「なあ、高杉。此れってよ、お前に似合いそうな花だな」
「……?」
片眉を上げて促す高杉に手にした紫に眼を落とす。
「藤ってよ、まるで蝶みたいに視えるじゃねえか。なんか、お前に似てる気がしてよ」
食べるのが変な気分になる、と云うやぱくりと口に入れた銀時に高杉ははっ、と刹那、呼吸いきが止まりそうになって白い貌をまじまじと視たが、相手は気付かず掴んだ藤に意識を向けたままだ。


「あのさ、大分前に先生に聞いた話なんだけどよ。其れがあんまり綺麗でどうしても欲しくなって花を盗んだ男がいたんだってよ」
「………」
「けどそいつは結局は捕まったんだけど
さ、花の美しさ故に盗んだ想いに免じて赦されたんだって」

花盗人は罪にはならない、ってよ。
そう云って銀時は藤を呑み込んだ。




ーーあの瞬間ときの花が、こくりと呑み込んだ白い喉が、現在いまでも眸の奥に鮮やかなまでに灼き付いて離れようとはしない。
薄れてさえくれない。時を過ぎるごとに鮮烈に色付いてゆく。


ーなァ、知っていたか。お前、銀時よォ。俺にとっちゃァ、テメェこそが花で蝶だったよ…ー



袂を別った高杉が着る着物の柄には美しい、無数の蝶がひらひらと飛び交い宙を自由に舞っている。
其の所以ゆえんを知る者は高杉自身以外には誰もいないーー。


藤の花言葉
ーー恋に酔う、決して離れない。




++++
神有月さんの素敵作品でした。藤の花と聞いて即千年藤思い出して気品高いなぁ。あれ食えるのか!ってびっくらこきましたよ。神有月さんの高銀は上品で好きです。
頂きましたぜ!誰にも渡さんっっ!!
++++

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