教えて欲しいことがある、と彼女は遠慮がちに呟いた。ロマンチックとは程遠い、女子トイレの中で。

 彼女と私の接点はというと、同じ中学校に通っていたということだけだ。当時から高校生の今までを数えても彼女と言葉を交わしたことなど一度か二度くらいしかない。彼女はいわゆるスクールカーストの上位者で、私は下位者、よく言っても中の下くらいだった。長い髪を靡かせて恋の話に花を咲かせる彼女を私は時折目にしていた。悲しいかな劣等感ゆえの嫌悪感。教室の中心で甲高い声を響かせる彼女は私にとって公害のようなものであり、一種のコンプレックスのようなものでもあった。ああなりたいわけではない。でも私はきっと、なりたくてもなれやしない。あんな華やかな人間になど。
 そうやって一定の距離を保ってきたはずの彼女が今、私の目の前で他の誰でもない私に向かって話しかけている。もちろん驚いた。驚いたのだけれどもそれよりも気になったのが彼女のその、青白い、顔。彼女はこんなにも痩せていただろうか? 私の記憶の中の彼女の唇は聖なる乙女のそれであったのに。あの愛らしい色はどこにもなく、あるのは震える白い唇。
「なに……?」
 遠慮もなくじろじろと彼女を見つめながら私は聞き返した。教えてほしいこと、とは、何か。
 彼女はこてん、と首を傾げた。長い黒髪がさらりと揺れて彼女の白い頬に流れる。
「ラヴ・ソングが聴けないの」
 長い睫毛に囲まれた瞳が言った。
「あんなに好きだった曲が今はまるで、体を這う虫みたいに、気持ちが悪いの」
 彼女は確かめるようにひとつひとつの言葉をゆっくりと紡いだ。そして最後に、私を見つめる。
「ねえ、どうしてかなあ」
 私は相当怪訝な表情をしていただろうと思う。だって彼女が何を言いたいのかまるでわからなかった。そんなこと知らないと言い捨ててこの場を去ってしまいたかった。だけれどそれができなかったのは、彼女が今にも倒れてしまいそうなほどに頼りない足取りをしていたからということと、こんなに必死なのだからどうにか彼女の問いに答えてあげなくてはいけないという使命感のようなものが私の中に芽生えたから。だから私は慎重に言葉を探しながら口を開いた。
「貴女にそれが必要なくなったから」
 自分が思うよりもしっかりとした形をもってその言葉は私と彼女の間に落ちた。
「……じゃ、ないかな」
 濁すように付け足して彼女の反応を窺う。彼女は変わらず愛らしい瞳で私を見つめていた。そうかと思うとその目から透明な雫が零れて流れた。私はぎょっとする。
「恋ってこんなに、つらいのね」
 彼女のしているのが叶わない恋なのだということは、恋愛経験の浅い私でも分かった。



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