10 愛

「今日オフだろ」
『太刀川さんがオフなら俺だってそうですけどね。すいません、俺もうバスには』
「そんなのはいい。別のことをやろう」
『はあ』
「佐鳥を呼び出せ。話がある」
『佐鳥?』
 そこで通話を切った。
 一列に綴られた個包装のものを二種類、スラックスのポケットに押し込んでいる。慶は本部の休憩室で、生体のままで、コーラを飲んでいる。コーヒーと同じ興奮成分の含まれた良く効く薬。気が重かった。しかしそれは行われなくてはならないことだった。
 同じく生身の風間が、休憩室に入ってきて、煮詰まったコーヒーを備え付けのマグカップに入れた。
「風間さんコーヒー飲めるんだ」
「……飲めないのか?」
「うん」
「子供だな」
「子供なんだよ」
 はは、と慶は笑った。この男は忍田に似ているから、慶は彼と寝たことはなかった。慶は忍田に似ている男を慎重に排除して性交渉を行っていた。そして慶は忍田に似ていない男がおおむね皆嫌いになりつつあった。それは慶と寝ることができるという事実しか示していないように思われ始めていた。
 何もかもすべてが間違っている。そう慶は思う。なにもかもすべてが間違っていることを、俺は知っている。それなのにやめることができない。
 潮時かもしれない。
「風間さん、俺さあ」
「なんだ」
「すげー馬鹿だよな」
「そうだな」
「否定してよ」
「事実だろう」
「すげー馬鹿で、人生を浪費してる」
「そうだな」
「あんたがもうちょっと強かったらあんたと競りあうだけで人生楽しくて済んだのにあんたのせいだよ」
 風間は眉をひそめた。慶は笑い、「ごめん、八つ当たり」と言った。コーラの缶をゴミ箱に捨てた。胸の中で炭酸がむかついた。
 太刀川、と風間が呼んだ。
「ランク戦のほかにも生きる価値はある」
「遠征とか?」
「……そうだな」
「知ってるよ」
 遠征は好きだった。けれどそこには忍田がいないから、だから好きなのだということに過ぎないのではないかと、慶は思考のどこかで考える。忍田がいる世界。忍田がいない世界。忍田がいない世界に抜けてしまえば。
 けれどそれで本当にいいのだろうか。
 世界が早く壊れてしまえばいいのにと慶は思う。世界の向こう側からどんどんもっともっと強い敵が現れて、忍田が守りたい「ここ」、閉ざされて出口のない三門市を守る正義のヒーローとして、慶が戦うことで生きる意味を見出すことができるなら、それが最も幸福な道なのに。早くなにもかも壊れてしまうべきなのだった。
 慶が全てを壊す前に。
 慶はひらりと手のひらを動かして風間へ辞意を告げ、そしてゆっくりと歩いて、本部を出た。本部沿いに道なりに歩いていくと、その家はボーダー本部に近接して、すぐそばにある。薄っぺらくて壊れやすくて実際壊れかけている、出水公平自身によく似た家だ。
 玄関をあけた。靴を脱いだ。あがりこんだ。畳が軋んだ。
「太刀川さん」
 出水は座り込んで、そこに待っていた。
 佐鳥が、居心地の悪そうな顔をして、そこに座っていた。おや、と慶は思った。ついこの間ここに立ち寄ったときとはまた、趣を変えているようだ。佐鳥賢はいかにもそこにいるのが苦痛だというのを押し隠して所在なさそうな笑みを浮かべていた。
「佐鳥」
 慶は出水には答えず、その縮こまった子供に声をかけた。この部屋はどうしてこんなに空気が淀んでいるのだろう。昼を過ぎて午後にはいった時刻、空気が凪いで、ただただ暑い。
「はい」
「おまえなにビビってるんだ?」
「び、ビビってないです」
「嘘つくな」
「だ、だって。……だってなんか。なんか変じゃないですか。出水先輩、出水先輩も変だし、ここんちなんか変だし、なんで、なんでこんなんなっちゃったんですか? 俺わかんない。なんで」
 堰を切ったように佐鳥は喋りはじめた。出水と慶を交互に見つめて問いかける。出水はどちらとも視線を合わせることなく、困ったように微笑んだだけで声を発しなかった。狡いな、と慶は思った。その通り口にした。
「出水、おまえは、狡いよ」
「……俺のせいですか?」
 出水が目を上げた。慶をまっすぐに見た。しらじらとした透明な白目だと思った。
「佐鳥、出水と寝たいんだろう」
 そこに突っ立ってスラックスのポケットに指を突っ込んだまま、慶は、出水から目をそらし、佐鳥を見た。佐鳥がごくりと生唾を呑み込んだのがわかった。
「今すぐ俺の目の前で出水を抱いて見せろよ。そうしたらそいつをおまえに払い下げてやる」
 佐鳥がぽかんと口を開いた。まったくの子供のような表情だった。出水を見た。出水は真っ白な顔をしていた。白目がそのまま広がったような顔色で、信じられないものを見るように慶を見ていた。
「出水。それでいいな?」
「太刀川さん」
「いいな?」
 出水は小さく笑った。真っ白な顔色をしたまま出水はそれでも笑い、そして、「……了解です」と答えた。出水はゆっくりと佐鳥に向き直った。声はこころなしか震えていた。
「おまえに拒否権ねーから」
「せんぱい」
「どうせ俺と寝たいんだろ? 良くしてやるよ、佐鳥、なあ、……おいで」
 佐鳥がはりつめた目をふとゆるめた。はは、と笑った。まるで大人のような声で笑った佐鳥が、「どうかしてる」と吐き捨てた。そうして慶を見た。慶をはっきりと見据えて、「あんたはくるってる」と、明瞭な声で言った。慶ははははっと声を立てて笑った。聡明だ!
 佐鳥は腕を伸ばし、出水の体を引き寄せた。ぐいと引き寄せて、つたないキスを出水に与えた。おそらくははじめてなのではないかと思われるキスを出水に与えた佐鳥の目はぎらりと光っていた。抱かれるつもりなど毛頭ない、雄の目をしていた。佐鳥は慶を見上げ、「布団、敷いてもいいですか」と尋ねた。
「敷いてやるからいちゃついてろ。出水、布団どこ」
「……あんたなにやって」
「どこ」
「押し入れの上……」
 佐鳥にのしかかられた出水が、畳に手をついて、その手が震えている。だから痩せすぎだろうと慶は思いながら、慶は、やたらに新しい、使われていないように思えるその布団を引きずり出して敷いてやった。佐鳥が出水の腕をつかみ、布団のなかに引きずり込んだ。ふたりは縺れ込むように布団に転がった。佐鳥ははじめてにしてはうまくやっていた。そうすることを何度もイメージトレーニングしたのだろうという印象だった。佐鳥は出水の服を剥ぎ取り、体にキスを与えていた。出水はそれを押し返すことができず、時折慶に視線をよこした。佐鳥の与えるあまりにも甘いだけのささやかな愛撫が、かえってその状況の異常性を高めて少年を高ぶらせていた。慶はただそれをじっと見ていた。
 顔をゆがめて、出水は、佐鳥が出水の性器に触れることを許した。佐鳥はうまくそれをあつかい、出水を射精させた。出水は息をついた。乱れていることを懸命に押し隠そうする呼気だった。
 慶はポケットに指をつっこみ、個放送をふたつ取り出した。歯でコンドームの包装を千切り、指にはめた。それからローションの小袋の包装を切った。
「佐鳥」呼ぶと、佐鳥は顔をしかめた。顎を動かす。よくわかっていないらしい浮ついた声で出水が、「佐鳥」と、慶に従うことを促した。佐鳥はいやいやながら出水の腕を引き、出水を自分の腕に抱き寄せて慶の場所を作った。慶は、ローションに濡れた指を、出水のそこに入れた。
 ひ、と、出水が、悲鳴のような声をあげた。
「ちかわ、さ、! なに、なんで」
「佐鳥にできねえだろ」
「俺が! 俺がやるから、やる、やめ」
「先輩がいいって言ったんだよ」
「佐鳥、さと」
「先輩、こっち向いて」
 佐鳥は唇を合わせた。「舌入れろよ」慶はそう佐鳥に向かって、ほとんど他人事のように言った。「入れさせてやれ、出水。教えてやれ。佐鳥、口んなかかき回して、舌を吸うんだ。あと舌の先をちょっと噛んでやれ、そういうの好きなんだよ、そうだろ、出水」
 ぐち、ぐち、と出水の尻の穴を愛撫する。出水の腰はびくびくと引きつり、揺れていた。もう一年ほども触れていなかったはずなのに、きちんと慶の愛撫に応えていた。性器も立ち上がっていた。佐鳥の手がしっかりと出水の腰に回され、ぬる、と、出水の性器と佐鳥の性器がこすれあった。出水は首を振った。堪えられない、というしぐさだった。ぎゅうと佐鳥が出水を抱き寄せた。くすくすと慶は笑った。独占欲の強い男だった。それでいい。
 佐鳥、と慶は呼んだ。佐鳥は顔をあげた。そうして慶がなにを言っているのか理解したようだった。狙撃手はいつもそうだ。理解力が高くて聡明で察しが早い。小さな子供のように見えても。慶は手を伸ばし、佐鳥のものに、コンドームをかぶせてやった。まるで子供を扱うやさしいしぐさで、そこまでしてやった。佐鳥は不機嫌そうな顔でただ出水を見ていた。
「先輩」
 言葉少なに佐鳥は呼び、出水の腕を引いて、出水の体勢を変えさせた。ふらふらとそれに従った出水の、茫漠として水気の多い目が、慶を見た。何が起こっているのかわからないという表情の出水が、腕を上げて、慶の体をつかんだ。慶は頭を撫でてやった。佐鳥が、息をつめて、出水の体にのしかかった。
「あ」
 びくん、と体が跳ねた。
「あ、あっ、あ、さと、さとり」
「せんぱい」
「佐鳥、あ、あああっ」
 出水は完全に余裕を失っていた。首を振りながら慶にしがみつき、頭を慶の胸に押し付けて、必死で喘いでいた。佐鳥はおぞましいほど真摯な目つきで、出水の内側を理解しようとしていた。もっとがつがつ掘ってやればいいのに、必死で堪えているというふうに顔をしかめて、なかを少しずつ開拓しているようだった。そのたび悲鳴に近い喘ぎを出水は漏らした。ふたりは必死だった。だから慶がなにをしようとしているのか、気づいていないようだった。慶が出水のものにコンドームをかぶせたとき、はっと出水は顔を上げた。慶は微笑んだ。慈母のように微笑んで、そうして慶は出水のものを、自分の尻にくわえこんだ。ずっぽりと。
 出水が、決壊したように、ぼろ、と、涙をこぼした。ただ信じられないという表情で涙をこぼして、たちかわさん、と、声にならない声で呼んだ。佐鳥が苛立ったように出水の首筋をなめ、勢い余ったというように歯をたてた。そうされながら出水は茫然と、ただ慶ばかりを見つめていた。慶は効率よく腰を振り、出水のものを翻弄した。もう出水は声すら出ないというふうだった。壊れてしまって言葉を失ったというように、時々嗚咽を漏らした。
「なんとか言えよ出水。強姦してるみたいだろ」
 耳元でささやいてやる。出水は条件反射のように笑った。
「……実際強姦じゃねーか」
「合意だっただろう、俺たちはいつも」
「うん……」
 たちかわさん、と出水は呼んだ。うわごとのように、たちかわさん、たちかわさん、と繰り返し呼んだ。そうしてひびわれた声が、あいしてる、と言った。慶は笑った。笑うことしかできなかった。佐鳥賢がじっと太刀川を見ていた。怒っているとも傷ついているとも、言い難い目つきだった。
 ごとん、と解放された、出水の体が、布団の上に落ちた。
 人形のように。
 あるいはいっそ、死体のように。
「これでおしまい」
 慶は言った。佐鳥に向かって慶は、「あとはよろしくな」と笑いかけた。佐鳥は黙っていた。黙って出水のなかから抜き出されたものから、コンドームをはずした。あとはよろしく。壊れたことで完全に、なった世界を、あとはよろしく。
 忍田派としてやることやってくれると思うからあとはよろしく。
 身支度を整えた。家をあとにした。外はあいかわらず夏だった。歩いて慶は本部に戻り、同じ休憩室で、同じコーラを買った。飲もうとして、指がひどく震えていることに気付いた。飲もうとしたコーラが、がつんと床に落ちて、一口も口をつけていないコーラが流れ出した。慶は、コーラの傍らに頽れて、床を殴っている自分を、どこか遠くから眺めている。床を殴って慶は涙をこぼしている。なにもかも自分が行ったことで、慶が傷つくべき要素などなにもなかったのに。風間はそこにはいなかった。迅も嵐山も。忍田も。
 忍田はそこにはいなかった。当然だった。
 慶は忍田から遠ざかるために、出水を壊したのだから。
 忍田さん、と慶は吐き捨てた。くろく流れるコーラに向かって、慶は吐き捨てた。
 忍田さん、俺は、ただ、強くなりたかった、だけだったんだ。

「……ごめんなさい」
「なにが?」
「だって、こんなこと」
「おまえは悪くない」
「やめてよ」
「なんで? おまえは関係ない」
「やめてよ、出水先輩、やめて、……やめてよ」
「かわいそうな佐鳥」
「やめてよ」
「かわいそうな佐鳥賢」
「……先輩、泣くのやめて」
「かわいそうな佐鳥賢。全然おまえ関係ないのに」
「やめてよ」
「出て行けよ。もう来るな」
「先輩」
「もう来るな。バイバイ。ごめん」
「先輩」
「佐鳥。ごめんな」
 涙があふれて止まらなかった。いつまでも止まらなかった。壊れてしまった。最後の最後まで全部奪われてこわされた。佐鳥を扉の向こうに追い出した。そうして閉ざされた部屋のなかで壊れた子供がひとりきりで泣いている。もうどこにも帰る場所なんてない。
 居場所なんてどこにもない。
 全部壊れてしまった。


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