小さな子供のように口を尖らせて「疲れたよ」と珍しく弱音を吐くものだから手を差し出したらおとなしく繋いだ。遼が菊地原を知ってから菊地原はずっと弱音を吐かない男だった。にもかかわらず最近遼といるときだけこうやって言葉を漏らすようになった。疲れたよ。そりゃ疲れることもあるだろうと遼は思う。聴覚共有をしている時の世界の悪夢に近い酔っ払う感覚を遼は、それでも共有できていて良かったと思う。それは良いことだった。全てを分かることはできなくても。
 菊地原の煉獄に意味を与えた風間蒼也は単純に美しい存在だと思った。
 疲れたよと菊地原が言った。小さな子供のように単純にそう言ったから遼は、菊地原と手をつないだ。それを許されている関係にあったので、手をつないだし、菊地原もおとなしくつながれていた。他人との接触を気味が悪いと言って嫌がる男が遼を選んでここにいるのはただ単に風間が遼を選んだからでしかないのだろうと思う。遼がどんな人間でも関係なく、菊地原は風間の選んだ人間ならこうやって頼ったのだろうと思う。そのことに寂しさは感じなかった。それも菊地原の煉獄のひとつだからだった。
 共有された聴覚のおぞましいほどの鋭敏。
 疲れたよと言った菊池原に、とくに言葉はかけなかった。ただ夕日の照らす道のなかを、同じ制服を着て、ゆっくりと歩いて行っただけだった。手を繋いで、歩いて行っただけだった。
 遼はふと立ち止まり、菊地原の髪のしたに手をさしいれた。菊地原はただくろぐろとした目で見上げていた。なにをいぶかしんでいるわけでもない、からっぽの目、なにも疑わない目をしていた。子供の目をしていた。菊地原をどうしようもない男だと呼ぶ人間はおそらくたくさんいるだろう。実力が伴っているとしても口が過ぎるという人間はおそらくたくさんいるだろう。実をいえば遼自身もそちらがわの人間だった。それでも。
 持ち上げた髪、耳のすぐそばに、キスをおとした。刻印をつける強さで、菊地原のうすい皮膚にきちんとのこるかたちで、強いキスをした。菊地原の背がびくりと震えた。音が近すぎたからだろう。それだけだ。
「……キス、されるのかと思ったんだけど」
「……しただろ」
「そこかよ、っていう」
 遼は答えなかった。手をつないだままだった。髪をもとに戻して一回だけ撫でた。つるつるした髪だと思った。
「髪、結ぶなよ」
「えー。どうしよっかなあ」
「恥ずかしくないのか」
「恥ずかしいのは歌川だけでしょ。だれも気にしないよ」
 へらりと菊地原は笑った。手はつないだままだった。理由を与えた。耳を隠しているように。俺の、俺たちの、たいせつな耳を。


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