シーツ、びっしゃびしゃ、と言いながら、指先が、シーツを布団から、剥がそうとしたその、指がまずかった。欲情した、したと思う。首をつかんでそのまま自重で引きずり下ろしたとき、諏訪の目つきには本気の憤怒が混ざっていた。本気の憤怒が八割で二割が諦めだった。それだけしか読み取れなかった。「びっしゃびしゃ」のシーツの上でもう一度諏訪のからだはふるえた。
 あつい。
 その言葉を言葉にすることさえ必要ではない程度に温度の上がりきった、たとえばパチンコに出かけた親に置き去りにされて子供が死ぬ程度の温度の部屋の中だった。おそらくなにを考える余裕もなかった、なかったはずだった。なかったはずなのに諏訪はシーツの汚れを気にした。そのことが、そうだな、たぶん大地には許せなかった。そういうことだった。
 たぶんそういうことだった。
 汚れたシーツの上、汗とほかのものにさんざんにまみれたシーツの上で、諦め切った、それから少しふてくされたような顔で、諏訪が携帯灰皿を取り出している。大地は反射的に灰皿、自前の灰皿、諏訪のためだけに用意された大地の部屋の灰皿を諏訪の前にどんと置いた。とん、と、ただ軽く置きたかったのに、気がついたら大きな音が出ていた。所有欲を感じた。自分の中に濃厚な所有欲を感じてぞっとした。
 なに、という目つきで、諏訪は大地を見上げ、しかし、なにも言わなかった。なにも言わずに、大地が古道具屋で買ってきた、陶器製の灰皿を、指先でつるりと撫でた。
 大地は窓を開ける。このままでは死んでしまいそうなので、窓を開ける。
 たぶん俺はこの人を殺したかったのだろうなと思いながら、暑い、暑い、暑すぎる部屋の空気を、ようやく外へ逃がす。
 外は夕刻だった。冷えた風が入ってきた。諏訪は肩をちいさく震わせた。床に転がったジーンズから煙草とライターを拾い上げて渡した。諏訪は夕刻の沈んだ光のなかでどこか、くろぐろとしてみえる、芯のよめない目つきで大地を見た。
「ガキの頃、十円玉磨くのにハマってて」
「へえ」
「やんなかった?」
「どうですかね」
 諏訪は吐息をつき、それからタバコに火をつけた。次の一声があるまで時間があった。大地はそのあいだじっと、諏訪の傍らに立っていた。
「おまえがやってることはそれに似てる」
 それを聞き届けた。
 聞き届けてから、大地はなにも答えず、キッチンへ向かった。鍋に湯を沸かした。それから別の鍋に油を熱した。
「なに?」
「そうめんです」
「あー」
 ごろりとひっくり返る体。眠いのだろうと思う。眠くなるまで、びっしゃびしゃのシーツを剥がす気がなくなるまで、わざとそうした。たぶん自分も眠いのだろうと大地は思う。お互いに殺し合おうとしたようなものだ。ゆうに三十度を越えていた部屋で窓を閉め切ったままただ必死だった。そしてほかに方法もなかった。ないと思った。
 ほかに方法などなにひとつないのだと思った。
 大地、と諏訪が呼んだ。
 大地はその瞬間ひどく腹を立てた。
「なにふてくされてんだ」
「それは諏訪さんでしょう」
「俺には理由あんだろ、しつこいんだよ」
「諏訪さんがしつこくさせました」
「はぁ?」
「茄子好きですか」
「好きだけど」
「ビールはありません」
「ねーのかよ馬鹿」
「買ってきてもいいですよ」
 諏訪が呆れたように笑った。「いまから?」
 大地も笑った。「いまから」
 ふりかえる。諏訪の指がゆっくりと、シーツをはがしている。びしゃびしゃのシーツを。そのシーツをかかえて諏訪は、もう一度、びしゃびしゃ、と言うんだろうと大地は思う。この先に起こることが単純にトレスできる。びしゃびしゃのシーツを抱えた諏訪が立ち上がってすこしふらつくところも、それを洗濯機に放り込んでスイッチを押すところも、それから窓からのぬるい風に振り返るところも。止めさせたかった。無理だった。止めさせたかった。諏訪にそれをさせたくなかった。
 永遠に諏訪にそれを、させたくなかった。
 けれど大地はもう諏訪の首筋をつかんで引きずり落とすことはしなかった。地下室に叩き落としてもう二度と出さないようにすることはどうせできないのだからしなかった。そのかわりに大地は野菜を挙げて素麺といっしょに出した。洗濯機から戻ってきて、布団をぞんざいにまきあげた諏訪は、大地の調理したものを見て顔をしかめ、「おまえって本当なあ」と言った。結論までは言わなかった。
 両手はふさがっていたけれどキスをした。甘くはなかった。どこか遠くで、泣き喚きたい感情があり、けれど大地は泣き喚かないまま、飯にしましょう、と言った。


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