小説のなかで蕎麦を食っていたから、蕎麦が食いたいなと思っていた。そう思いながら堤大地は読み終えた本をぱたんと閉じて諏訪のそばに座り、ぺたりと背中を諏訪の肩におしつけた。諏訪はぴくりと反応した。
 大地の家でふたりで本を読んでいた。よくあることだった。お互いに持ち込んだ本を読みながら一日を過ごす。
 正月休みというものはボーダーには原則的に存在せず、しかし交代に休みを取ることは可能だった。それで諏訪隊は三が日があけたあとに休みを取り、大地と諏訪は同じ部屋でただひたすらに積読を消化する生活を送っていた。ふたりでいたいという気持ちはあった。それでこれでいいのかどうかはよくわからなかった。お互いに別々の世界にいるだけだったからだ。でも同じ部屋にいて本を読み続けているのもたしかだった。
 炬燵で身を起こして本を読み続けている諏訪の肩に体をもたせかけて、体重を乗せた。諏訪はぴくりと反応し、それから、どこか諦めたような口調で、「読んでんだけど」と言った。
「知ってます」
「推理まだ始まってねーんだけど」
「そうですか」
「あと一時間はかかんだけど」
「そうですか」
「……そこにいんのか、一時間」
 わかってるんじゃないか。そうです、と大地は笑い含みの声で言った。諏訪は吐息を付いた。ため息とまではいかない声で息をついて、「勝手にしろよ」と言った。そして本を読み続け、大地は膝をかかえて、諏訪の肩に体をおしつけたままでいた。炬燵に入っていないので、寒かった。寒かったので、諏訪の肩の温度だけが伝わってきた。
 たぶん俺は重いんだろうな、と大地は思う。
 そしてそのことを諏訪洸太郎は知っていた。知っていたから諏訪は罪深い男だった。大地を推理して暴いてみせる名探偵。大地がなにを隠しなにを隠し通そうとしてきたのか、大地がなにを守ろうとしなにを守り通してきたのか、それを諏訪は全て暴いてみせたから罪深い男だった。
 推理小説なんてクソだ。そう大地は思い、眠りに近い感覚を覚えた。格好悪い。格好悪いですよ諏訪さん、真実なんて格好悪い、あんたは俺を、知るべきではなかった。

 目を覚ました。
 本を炬燵の上にきちんと置いた諏訪が、炬燵から身を乗り出して、眠っていた。それに寄り添う、まるで忠義に満ちた犬のように、大地は諏訪の傍らに丸まっていた。諏訪は無防備な顔で、すっきりとした顔で、ぐっすりと眠っていた。たぶん本は面白かったのだろう。そのことに大地はすこしむしゃくしゃした。むしゃくしゃしたから大地は、キスをおとした。
 体を探った。諏訪の体だ。諏訪は薄い体をしている。ジムに多少は通っているはずだが、それでもやはり薄い体をしている。骨の形がわかる程度の薄い体をしている。その骨を引き出して触れたいと思った。一本奪い取ってしまいたいと思った。諏訪の体に触った。
「諏訪さん」
 聞こえていないから呼ぶことができた。いつも大地は諏訪の名前を呼ばないのだけれど、呼ばないようにしているのだけれど、呼び始めたら際限なく諏訪さん諏訪さん諏訪さんと呼び続けてしまうような気がするから呼ばないのだけれど、眠っている諏訪の名前を呼ぶのは許されるだろうと思った。声があらぶっていた。大地は自分のものに手を伸ばした。
「諏訪さん、諏訪さん、諏訪さん、……起きてくださいよ」
 寂しかった。とほうもなく寂しくてそして大地はオナニーをしていた。眠る諏訪を見てオナニーをしていた。諏訪の骨をなぞってオナニーをしていた寂しかった、寂しい、寂しかった、寂しかった寂しかった寂しかった、そして諏訪が手を伸ばして大地のそれをつかんだとき、この人は天使なのではないかと大地は思った。都合が良すぎた。
「ひとりでお盛んで」
 笑いながら諏訪は言った。
「俺がそんなに好きか」
「……はい」
 キスをした。甘かった。それは甘かった。それまで諏訪とのキスを甘いと思ったことはなかった。それは甘かった。なにかがはじまりかけていた。セックスをした。ローションを探してコンドームを探してそれから煙草を吸いたいとぼやきながら煙草なしで諏訪は大地の体に跨って、もう一度甘い、キスをした。
「蕎麦でも食いに行くか」
 終わったあとで諏訪が言った言葉だった。頭の中まで読まれたような気がした。さっきまで読んでいた時代小説の中で、絵かきが、愛人との性交のあとに蕎麦を食っていた。ここが現実なのか空想の世界なのか判別ができないと思った。だからもういちどキスをした。甘い、甘い、甘いだけのキスをした。諏訪は笑っていた。天使のように。
「俺のことが好きなんですか」
 大地は言った。
「そうじゃない理由があんのか」
 諏訪は静かに行って、それから、突然、泣き始めた。大地の服をしっかりとつかんで胸に頭を押し付けて、泣き始めた。悲痛な、声のない、涙だった。「俺が、……おまえを、……好きにならねえ理由があんのか、……大地」
 甘い、甘い、甘いだけの、美しい蜜のように、そこにある絶望が、大地の、すべてが大地の、持ち物だった。


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