回転寿司を食っていた。
 食っていたというより、向かい合って座って、何も喋っていなかったという方がただしい。午後三時の回転寿司屋には、レーンの向こう側にひとり、レーンの外側にひとりしか店員がおらず、レーンの外側のホールスタッフだけが忙しい蟻のように立ち働いているようすを、透は遠いもののように眺めていた。なにもかもが、遠いもののように思える場所だった。そしてそう思いながら、なにもかもが遠いと思いながら当真を見ることは、寒天のなかに閉じ込められた果物のようにおだやかなことだった。
「そう」
 透はそう言った。
「そう、って、それだけかよ」
 当真は苦笑いをした。苦笑いなんかする筋ではないだろうと透は思った。当真から言い出したことなのだから。
 長くて数十年に渡る遠征に出る、と当真は言った。
 当真と交際、交際と呼ぶべきなにか、少なくとも身体関係を含んだ関係であるところのなにかを始めてからゆうに二十年以上が過ぎたある日だった。近界にスパイとして潜入する任務に冬島隊が立候補したのだという話だった。それが決定される前に相談がひとこともなかったことなどどうでもよかった。なぜなら透は寒天の中にいたからだ。すべてどうでもいいと思った。そうして透は笑いさえした。
 そうして透は微笑みさえした。
 当真は頬杖をついて、いっそ困ったような顔で透を見つめ、「おまえも来い」と言った。
 おまえも来い?
 言葉の意味を透はゆっくりと反芻した。そうしてその意味が理解できたとたん、あっさりと脆く、透の寒天は破壊された。まず憤怒が来た。その次の瞬間呆れて、最後にはいじらしさが来た。当真勇はなんて馬鹿なのだろう、そう透は思った。いじらしさのあとに残ったものが、つまり恋心だった。つまりこの二十年だった。つまりそれが当真勇に対する透の最終的な結論だった。
「行かないよ。ここで待っている」
「何年いるかわかんねーんだぜ」
「あんたは馬鹿なのか? 俺には俺の人生と生活がある」
 透はゆっくりと静かに言った。
「当真さん、俺は、あんたの、所持品でも、携行品でも、ないんだ」
 ……当真はゆっくりと伸びをして、それから、流れてきたメロンの皿を取った。細かく切られたひと切れを食べてから、爪楊枝を刺したべつのひと切れを透に押しやった。透はそれを受け取り、食べた。
 当真は、あーあ、と言った。
「馬鹿じゃねえの」
「馬鹿はあんただ。ついていくとでも言うと思ったのか」
「半々だな」
「自意識過剰にも程がある」
「つうかさ、待つの? 待つのかよ?」
「待つよ」
「やだよ重い。じゃあ別れようぜ」
「馬鹿か当真さん」
 もうひと切れ食べてから、透は、あいかわらず静かなままの声で言った。「そもそもなにをはじめた覚えもないから、別れられない」
 はははっ、と、当真が短く笑った。
 そこは午後三時の回転寿司屋で、ぽっかりと空洞に包まれているように静かな場所で、永遠にぐるぐる回り続けている寿司たちは、透によく似ていた。透はそこから一ミリもはみ出すつもりはなかった。透は射撃の教官として数十人の弟子を持っていた。透はボーダーという組織の内側のごくわかりやすい場所に自分の居場所をみつけ、ごく凡庸なレベルの、だれにでもできる射撃のレッスンを行った。透は永遠に、当真勇にはなれない。
 たぶん昔なら俺はこのシーンで泣いただろうと透は思う。透は永遠に、当真勇にはなれないのだ。永遠に当真勇にはなれないし、隣に立てるとも思わなかった。生涯一度だって、隣に立てるとは思わなかった。もしかしたら帰ってこないかもしれない遠征任務だ。だからここでこうしていることは寒天のなかに閉じ込められた果物で、その認識はとてもただしい。寒天のなかにとじこめたまま永遠にしようと思った。当真がまるで困った顔をしていること。当真がいっしょに来いと言ったこと。当真が別れようと言ったこと。当真が信じていたこと。当真が透に見出したこと。
「当真さん、あんたは馬鹿だ。俺はあんたをいつまでも待つだろう。そんなことも、分からないのなら」
 透の二十余年が、どこから生まれどこにあるのかを知らないのなら。
「行って来い」
 そう透は言った。
「なにかを始めたいなら、そのあとに聞く」

 無感覚の終わりが来たのは、ずっとあとになってからだった。
 出水公平の家で、食事を摂っていた。というより、出水公平に食事を摂らせていた。出水公平はあいかわらず痩せていたが、あいかわらず、なにを食わせても美味いと言った。食わせがいがあるとも、ないとも、言い難かった。出水公平に手料理与えるのは透にとってもうとうの昔に習慣となった出来事だった。
 当真とのことと同じくらいに。
 そう思い至った瞬間、なにかがどっと来た。透の人生において、習慣と化しているあらゆるできごとが、どっと襲いかかってきた。出水が目の前にいる。出水に食事を与える。出水に食事を与え続けるだろう。これまでもこれからも。紅茶を買って飲むだろう。子供の頃から愛したチョコレート菓子を食べるだろう。音楽を聴くだろう。
 そして当真はここにはいない。
 出水はのそりと立ち上がり、ティッシュペーパーの箱を持ってやってきて、無言で差し出した。透はそれを受け取りはしたが、拭うことができなかった。ぼろぼろと落ちていくものに現実感がなかった。それは寒天でしかなかった。それは寒天でしかなかった。全ては寒天でしかなかった。当真はここにはいない。全ては寒天でしかないからだ。現実感がない。あたりまえだ。現実であるはずがないじゃないか。
 ぼろぼろと目から寒天をこぼしている透を出水がじっと見つめている。遠くで蝉が鳴いている。永遠に当真はたぶん、ここには戻らない。


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