従妹はうわあという顔を隠しもせずに、「あんたのこういうところが厭味なのよね」と言った。すぐに小さな陽太郎がやってきて、「なんだ、いいものか? いいものだろう」と言いながら、ケーキの箱に手を伸ばしてきた。桐絵は箱を高く持ち上げながら、「しおりー、お茶いれてお茶」と声を上げている。
「なーにー」
「准がケーキ持ってきた!」
「わあすごい、嵐山さんありがとうございます」
 准はにこにこ笑い、上階から手を振る宇佐美栞に手を振り返して見せた。
 玉狛支部には隊員が増えていた。知っている子と、知らない子と、三人。訓練中すまないな三雲くん、陣中見舞いに来たんだよ、そう言って三雲修を恐縮させている准をどことなく白い目で見ながら、桐絵は、「迅ならいないわよ、さいきんずっと」と言った。予想通り、一番赤いのをまっさきに選び取りながら。
 知ってるよ、と准は答えた。
「これ何だ?」
「ケーキだよ遊真くん、ケーキ知らない?」
「これはおいしいものだぞユーマ!」
「へえ、これケーキなんだ。きれいだな」
 子供たちがにこにことしゃべっている。木崎はフォークの持ち方を空閑遊真に指導している。烏丸京介はたぶんアルバイトに出かけているのだろう、ここにはいなかった。小さな支部。川に浮かぶ、秘密基地みたいな建物。准はにこにこと笑って、支部を見渡している。桐絵は渋面で准をながめ、「あんたのそういうところが」ともう一度いいかけて、やめた、というように、勢いよく、ケーキを半分もひとくちに食べた。
「いいところだよな、ここは」
「でしょ〜、嵐山さん」
「迅が羨ましいよ」
「ふふ」
「アラシヤマもここでくらすか? アラシヤマもいてもいいんだぞ?」
 小さな陽太郎が膝に手を載せて言ってくる。陽太郎に「俺のぶんも食うか」と言うと、黙って桐絵は准のケーキの皿を脇からかっさらった。
「あー!」
「おなかこわすでしょ。あたしが食べてあげる」
「おまえも腹壊すぞ」
「あたしは大丈夫なのー」 
 迅悠一はここで暮らしているのだった。

 迅の部屋はひどく殺風景だ。
 いつだか思いついてダンボール箱で買い込んだのだとご満悦だった、買い置きのぼんち揚げの箱が積んである他は、ほとんど何もないと言って良い。ベッドと机。机の上に小さなさぼてんがひとつ。それで終わりだった。
 ここに来るたび、准は、なにかを増やしたいと思った。けれどなにをふやしたらいいのかわからないまま、ぼんち揚げの箱のなかに、新しいひと袋をそっと増やしておく。それくらいしか、欲しいものはないのだろうと思ったから。本当にそれくらいしか、欲しいものはないのだろうと思ったから。寂しかった。けれど寂しい気持ちになりたいから、准はここに来てしまうのかもしれなかった。
 迅がなにをしようとしているのか、なにに巻き込まれて、もしくは自らはじめようとしているのか、忍田から聞かされた。
 だからといって問いただそうと思って来たわけではなかった。目的を聞き出そうとか、そんなつもりではなかった。
 ただ会いたかっただけだった。
 准は迅の机の椅子を引き、リングノートとペンとさぼてんが乗せられた机の上に頬杖をついた。そうしてぼんやりと、なにかを待っていた。迅を待っていたわけではなかった。なかったと思う。たぶん。
 あんたのそういうところが。リフレインする。桐絵は昔から、明晰な子だった。

 は、と准は目を覚ます。
 爽やかな、バスボブかなにかの香りを漂わせた、洗い髪の迅が、ベッドサイドにこしかけていた。なにをするでもなく、じっと准を見ていたようだった。そして准は迅の机に沈没して、眠っていたのだった。
「……ああすまない、眠ってしまっていた、おまえの机で」
「うわごと」
「うわごと?」
「おれの名前を呼んでたよ、おまえは」
 どこか愉快そうな色を含んだ、それでいて冷静なままのように聞こえるいつもどおりの迅の声。おだやかで落ち着く、あたたかなお茶のように落ちていく声だと思う。その声が好きだった。その声が聞きたかったのだ、と思った。きっと迅は間違えない。間違っていないと思える。俺はこの男を信じていいのだと、そう思える。
「おまえがおれの名前を呼ぶのを聞くと、なんかさ、甘いもんでも貰った気分になるよ、おやつっていうのかな」
 迅はどこかしみじみとした口調で言い、ぽん、とベッドのとなりを叩いた。
 呼ばれるままに准は立ち上がり、迅のとなりにやってきた。ごろりと寝転がった。迅が上からみつめている。迅のベッドの上で体を丸くして、准は小さく呟いた。
「……俺はこの街から、きっと、二度と出ないと思うが」
「うん」
「おまえといると、どこにでも行けるような気がする。……だから、いいんだ」
 そう、と迅は言った。
 嵐山准は、三門市を出ることはない。嵐山准の人生は、三門市ではじまりそして完結している。プールにも銭湯にも行かない。連絡が入ったときに困るから。いつでも呼び出しに応じる。嵐山准の人生は、三門市に売却されている。
 それで構わなかった。
 迅悠一が戦い続けている世界だから、それで全然、構わなかった。
「だからいいんだ。迅。……おやすみ」
 一日お疲れ様、今日はゆっくりおやすみ、それだけを伝えるために、俺はここに来たんだ。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -