きのこを見ると思い出すことにしているので、男を思い返していた、というところから話は始まる。諏訪に借りた推理小説が面白くて、食事をとる暇も惜しんでコンビニおにぎりを買った、そういうときに選ぶ種類が三種のきのこの炊き込みご飯だったりする、そういうことについて奈良坂透は、聞きたがるだろうか。
 べつにきのこが好きなわけではないことは知っていた。でもあのつるつるした髪型、きちんと手入れされてさらさらと揺れる髪を触る時の感触は猫じみて悪くなかった。片手で握り飯を食いながらベッドに寝転んで推理小説に没頭した挙句に本を放り出して満足感に浸りながら、悪くないところばかりを思い出して、勇はゆっくりひとつひとつ数え上げた。二段ベッドの二段目の裏に貼り付けた、射撃の的にむかって、奈良坂透の悪くないところをひとつ、ひとつと数え上げてゆく。うなじの肌の手触り、耳の形、顎から喉元にかけてを撫でたときの声、細すぎないからだ、うっすらとついた筋肉、そこまで考えたところで、勇は起き上がった。
 同じ男子寮の一室だ。古寺は学習机についていた。奈良坂はベッドにティーセットを持ち込んで、トレイに茶器を戻したところだった。目がびくりと反応し、眉をひそめた。「何の用だ」
 奈良坂を無視し、勇は言った。
「古寺」
「はっ、はい!」
「これ借りるぜ」
「えっ」
「当真さん!」
 これ呼ばわりに頬を紅潮させて抗議する奈良坂の襟首をひっぱってベッドから連れ出した。やめろ、なんのつもりだと言う奈良坂の抵抗をおさえこんでほとんど抱え込むようにして自室に連れ帰り、そうしてベッドに放り込んだ。上からのしかかる。
「なに……」
 乾いた声で、奈良坂がつぶやいた。
 勇は奈良坂を腕の中に抱え込み、ベッドに転がって、それから、諏訪に借りた推理小説が枕元に投げ出されたままだと気づいて、手を伸ばしてそれを机の上に置いた。もう一度奈良坂を抱え直した。するすると髪を撫で、腰を抱き寄せる。腰の形がしっくりと勇の手になじむような気がして、指をやさしく回した。
「……当真、さん」
「なんだよ」
「なんのつもり……」
 小さい、弱い、声だった。これだからこいつはだめだなぁと勇は他人事としてそう思う。すぐにほだされてかわいいカンジになっちゃうところがいかにもだめだった。勇のまわりをぐるぐる回っている時間ばかりが長くて、いざとっつかまえて撫でてしまえば簡単に屈服する猫だ。猫でも撫ですぎれば噛み付いてくるというのに。
「べつに」
「なら、離し……」
「やだね。おまえ今日はここで寝ろ」
「冗談じゃない!」
「いいだろ別に。古寺には断ったし」
「そういう問題じゃない」
「じゃあなに?」
「なにって」
「ここにいろよ」
 ぐ、と奈良坂が喉をならした。当真は髪をさらさらと撫で、くちびるをつけた。やっぱり、悪くないと思った。奈良坂透は悪くない。
 推理小説は寂しかった。謎が解けてしまうのは寂しいと勇はいつも思う。いろいろな謎がたくさんあるほうがずっといい。謎を解くために考え込んでる方がずっといい。奈良坂透の良いところが見つからないまま悪くないと思っているだけの方が、ずっといいのだ。
「ここにいろ、透」
 奈良坂は、一瞬硬直し、それから、はあ、と、息をついた。
「こうしている、だけ、なのか」
「うん」
「これだけ」
「うん」
「一晩中?」
「うん」
「あんたは馬鹿だ」
「うん」
「話をしろ」
「おまえ今日寂しいことあった?」
「……寂しいこと?」
 奈良坂はきょとんとした声を出した。腰がぴくりと動く。単純に思いつかないという声を出したあと、あ、と言って、「寂しい、わけではないけれど……」と口ごもる。
「言えよ」
「……うちの、古寺が。東さんにさいきん、なついていて……」
「ああ」
「今日も開発中のトリガーの資料をもらって、その話でもちきりで。いや、良いことだし、俺も関心を持つべきなんだが」
 その、と言いかけている奈良坂に、勇はこらえきれず声を立てて笑ってしまう。むっとした動きで奈良坂が、指先で勇の腿を叩いた。
「当真さんも関心を持つべきことだぞ」
「でも寂しかったんだ」
「……そう」
 猫同士、ばらばらになると寂しいのだった。ということはいま古寺は寂しいのかもしれない。それも仕方がないだろう、勇の猫を、寂しがらせたのは、古寺のほうなのだから。勇の猫のかわいい後輩はそれにいま、「資料」とやらに夢中なのだ。
「当真さんは」
 いらだちを載せていたはずの、勇の腿に触れている奈良坂の指が、とん、とん、と、いつのまにかビートを刻んでいる。奈良坂透は音楽が好きだ。あとたけのこの里と紅茶が好きだ。紅茶以外のいろいろな茶の類も。それから古寺章平が好きだ。あとは?
 それは知らなくても良いことだった。
 指先でビートを刻みながら奈良坂が、ずいぶんと穏やかな声で、訪ねた。
「寂しい、のか」
「……別に?」
 ただちょっと、推理小説を読んだだけだ。それだけだった。謎が解けないほうがいい。俺がおまえにとって、いつまでもなぞなぞのままだといい。いまなにを考えているのか、なにひとつ伝わらないといい。そうじゃないとしたらあまりにも寂しい、そう思っただけだった。いつの日か、あんたのことが全部わかったと言って、奈良坂が勇に銃を向ける日が来るとしたら、それはずいぶんと寂しいことだった。そのときがもし来るとしたら、あんたのことはなにひとつわからないままだったと言って泣いて欲しいと思った。そしてきっとそうだろうと思えた。
 そのとき迅悠一の不幸が、勇にはわかったと思った。それはきっととても寂しいだろう。いつか皆死ぬのだった。それはとても寂しいだろう。奈良坂透がそれに気づく日が来るのだろう。当真の死に気づく日がいつかきっと来るのだろう。それはとても寂しいことだった。
「なあ俺は、ずっと死なないっておもってろよ、おまえは」
「……そんなことを言われたら死ぬ日を想像してしまうだろう、あんたは馬鹿か」
「へえ。俺はどんな死に方をすると思う?」
「最後まで笑ってるんだろうな」
 手がビートを刻むのをやめている。ただやさしく勇の腿の上に乗せられている。
「最後の最後まであんたはくそったれで、へラヘラ笑って死ぬんだろう?」
 きっとその当真勇は、寂しさを知らない。



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