消費者金融から無限に引き出している金のように感じられるので、優しくされることが秀次はあまり好きではなかった。だから優しくされているということにできるだけ鈍感でいるようにしていた。あるいは、敵意を抱くようにしていた――迅悠一は偽善者だ、そういうふうに脳内で処理をしてしまう。オーケー、それで大丈夫、生きていけばいいのだった。
 ひとつひとつすべてが、生きていけばいいのだった、という結論に達していくたび、疲弊が溜まった。
 退屈な時間が発生すると、秀次はタブレットを取り出す。仕送りはしなくても良いと言われていたから、それを買うのは簡単だった。仕送りなんかいいのよ、お給料頂いてるのねすごいわね、それより秀次が自分のために使いなさい、秀次さいきんどうしてるの、ちゃんと食べてるの、自分を大切にしなさいね――甘ったるい声はむしろ恐怖感をそそられ、秀次はそうそうに電話を切った。
 学校も本部も家から通えない距離ではまるでなく、実家も健在で放棄地帯にも入っていないのに、本来は被災隊員のために用意されているボーダー本部付き男子寮に入ったのは、……被災者であるという言い訳はできたが、それ以上に、家族と顔を合わせづらかったからだった。家族と顔を合わせると、どうして戦っているのかと遠まわしに聞かれる。あの子が死んだのに、あんたまで、という話を。
 考えてはいけなかった。
 考えてはいけないことが多すぎた。オーケー、生きていけばいいのだった。そしてずっしりと胃に重さがあり、だから秀次はタブレットを開いて、映画配信サイトを眺め、適当な映画に課金をした。それを前に観たか観ていないか、秀次には判断ができない。観てなどいない。ただ動くものが目の前にありさえすればいい。呼び出しがあればすぐに対応できるように、音は消して画面だけを見ていた。
「靴下」
 だれかがそう言った。
 秀次は目を上げた。
 奈良坂透が映画の画面を覗き込んでいた。
 三輪隊は今日は待機任務だった。近界民の襲撃がなければ、本部のオペレーションルームに詰めてじっとしているだけで一日が終わる。もっとも本部にさえいればいいので、月見は東に相談があると出ていき、古寺はそれについて出て行った。米屋はランク戦を観戦に出かけると言った。秀次はランク戦を観戦するのが嫌いだった。実戦ではないことに腹が立つからだった。
 だから秀次はオペレーションルームにいて、そこに奈良坂もいるということを、ほとんど意識していなかった。
「靴下?」
 言ってから、ああ、と呟く。映画の画面だった。クリスマスなのだろう。ベッドサイドに下げられた靴下。
「おまえはなにが欲しい?」
「……なんの話だ」
「プレゼントだ。三輪。おまえならなにが欲しい」
 どうしてこいつはここにいるのだろう、おまえも出かけているべきではないのか、いや全員がいなくなっていて連絡がつかないと困る、ここに詰めているのが一番正しい行動だ、でも、ジムにでも行っていればいいのに――思考が無駄なことを考えた。考えたくなかったからだ。質問に、答えたくなかったからだ。
 黙り込んだ秀次をじっと見つめて奈良坂は、すとんと、秀次の腰掛けたソファのとなりに座った。座っていいかのひとこともないことに、かすかに苛立った。米屋陽介も古寺章平もその一言を決して忘れないから、奈良坂に苛立って、……苛立つとわかっていてそうしたのだと、唐突に理解した。
 煽られたのだ、と。
「俺はおまえにプレゼントを贈りたいと思ったんだ。でもおまえがなにも欲しがらないことはわかっていた」
 ほとんどひとりごとのように、奈良坂は言った。目を細めて秀次を見る。
「おまえは怒るとわかっているのに言ってすまないが、俺はおまえがときどき羨ましい」
 姉とか母親とか、そういうなにかにとほうもなく近かった。
 奈良坂の、その声も、目つきも。頭が真っ白になった。姉のことを思い出していた。秀次が泣いている。道路の真ん中で秀次が泣いている。しゅうちゃんがんばって、とおねえちゃんがいう。しゅうちゃん、おつかいしてかえったらえらいんだよ、しゅうちゃんは、えらいこだよ、だからなんでも、ほしいものあげる、おねえちゃんね、しゅうちゃんに、ちゅーしてあげようか、ねえ、しゅうちゃん、なにがほしい?
 なにがほしい?
 ほとんど無意識に、秀次はそこにいる男の胸ぐらをつかんでいた。背が高いばかりで華奢とすら思える奈良坂の体は、触れてみると実際きちんと強靭だった。優等生的にテキスト通りに、身体感覚を鍛えることでトリオン体の反応速度を上げる訓練のためのランニングを怠らない、努力家の奈良坂透。凡庸なほどに努力家でそして優しい奈良坂透、いつも後輩を気にして指導を忘れない奈良坂透、隊員のだれがいまどこにいるか、全員の居場所をきっと正確に把握している、きっと今すぐでも呼び出すことができるのだろう奈良坂透、生真面目でそしてとほうもなくおろかな、おろかなものとして、秀次の目の前で、少し困ったように眉を下げていた。
 胸ぐらをつかんだ。
 そのまま、キスをした。
 秀次は唇が切れていることに気づいた。しっとりとした奈良坂の唇とは、対照的だった。
「……こういうことじゃないのなら俺に優しくなんてするな、奈良坂」
 胸ぐらを掴んだ姿勢はほとんどすがっているようだと秀次は思う。
「死にたくなるんだ」
 ほんとうはもう生きたくなんてないんだおねえちゃん、道路の真ん中で泣いていたい、ほんとうはもうなにもできないんだおねえちゃん、おねえちゃんが何をくれたとしてももうどうすることもできないんだ、だっておねえちゃんは――
 腕が回された。だらりとたれたまま無抵抗を示していた奈良坂の腕が持ち上げられ、秀次の体を抱いた。強く抱いた。健全な男だと秀次は思った。健全で健康な、奈良坂透がそこにいて、消費者金融のようだった。無限に引き出せる。
 返せないのに。
「生きろよ」
 秀次は目を閉じる。
「大丈夫だから」
 誰の声なのかもう、秀次には判断ができない。
 大丈夫、生きていかなくてはならないのだった。
 この世界は客間に置かれた菓子皿に似ている。もう幾人もの人間がつまみあげられて食べられてしまった。そうして秀次はまだ食べられていない。たったそれだけのこと。もう永遠に取り戻せない姉を取り戻すために、誰に食われることもなくこちらがわに余ったお菓子として秀次は、走り続けなくてはならない。けれどそこに奈良坂はいた。そこに奈良坂はたしかにいて、秀次の体をつよく抱いていた。
「大丈夫だから、生きるんだ」
 オーケー、大丈夫、生きていける。


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