出水公平が風邪をひいたという情報を残して、奈良坂は部屋を出て行った。早朝の部屋、カーテンを閉めない勇の部屋は華奢な朝の光に晒されている。早朝のかそけさのなかで奈良坂を抱く――抱かれると言ったほうが適切かもしれないが――のが勇は嫌いではなかった。なにもかもまぼろしのように思えるし、そこで行われることは性欲とは関わりのない何かのように思えた。勇は性欲が嫌いではなかったがさほど好きでもなかった。面倒くさいし予定調和だからだ。予定調和は勇のもっとも憎むところだった。
 奈良坂が勇と関係を持つようになって永かったが、それは勇にとって予定調和ではなかった。奈良坂透はうまく走っている、と勇は思う。撃つたび走ってポイントを洗い出し直している。だから飽きない。勇は奈良坂が好きなのかどうか判断できないままでいたが、いやむしろ判断しないままでいたが、奈良坂と関わることに飽きないことだけは確かだった。
 出水公平ねえ。へらへらと笑って勇は反芻する。そういえば奈良坂とあいつは同い年なのか、爆撃厨の天才児。あいつらがつるんでいるというのは知らなかったしいまひとつ想像がつかなかった。出水は裏表のない人間のように思えた。それは端的に言えば馬鹿ということだった。ただそれを言えばそもそも三輪隊の連中、奈良坂が所属するあの隊のガキどもは、おしなべて皆馬鹿のようにも思えた。清廉で裏表がなくまっすぐで一途で。
「一途」
 くっく、と声が漏れた。
 朝の光はかそけない。そこで起こる事件は全て、火星のように遠い場所で起こる出来事なのだった。奈良坂を一途と呼ぶことは勇の気に入った。勇はベッドの上に貼った射撃訓練用の的を眺める。勇が愛しそして憎む唯一のもの。明晰で確実で退屈なもの。……奈良坂の一途、なにもかも全てに対するのではないかとすら思えるその一途は、勇にとっては唯一神に対するものでしかなかった。
 だからあいつは馬鹿だな。
 勇はそう定義づけた。荒涼とした、火星に似た早朝のベッドの上で、勇は奈良坂透を馬鹿だと思い、だからこそ、そうだ、好きとも嫌いとも判断をしないままだったけれどそれでも奈良坂透はいじらしいと思った。唯一神に捧げるべきものを勇に、そして出水公平にすら分け与えてしまう奈良坂は愚かであり同時に、ひどく慈悲深いものに思えた。
 スマートフォンを探した。足元に投げられていた。つま先でひきずりよせて、電話をかけた。
「なあおい」
 奈良坂は非常に不機嫌な声で、『なんだ』と言った。なにかが煮える音が小さく聞こえる。
『いま取り込んでる』
「なあおまえさ、俺が風邪ひいても同じことするか」
『……する、わけが、ないだろう』
 とぎれとぎれの、それだけに重い言い方で、奈良坂は言った。当真は声を立てずに笑った。眉唾ものだと思った。眉唾ものだと思いながらも電話をかけてしまったのは、その予定調和の反応が、それでも聞きたかったからだった。予定調和であっても、それでも聞きたかったからだった。
 してよ、と言う前に、当真さん? という潰れた声が割り込んで、通話が奪われた。
『当真さんチース』
「よう出水、風邪どうよ」
『借りてまーす』
「風邪は貸してねえよ」
 ……そもそも貸し出されてない!という低い声。あ、待て待て待って奈良坂、と言ったあと、出水は朗らかな声で、『当真さん、あのさあ』と言った。
『キスマーク見えてるぜ、いいの?』
「見せてんだよ」
 ヒュー、と出水が口に出して言い、咳き込んだ。馬鹿、という奈良坂の声が聞こえた。自業自得だ、と。
 その言葉は奈良坂にこそ相応しいと勇は思い、スマートフォンを放り出してひとしきり笑った。
 当真さん、という、奈良坂の訝しげな声が、スマートフォンから聞こえている。


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