コカコーラを買いに寄ったスーパーマーケットに、七夕飾りが飾られていた。つるされた短冊の埒もない子供の字をぺらぺらと眺めていた当真勇は、そこに、見慣れた名前を見つけた。見渡してみればそこにはいくつも見知った名前があり、ここはボーダー本部基地に最も近いスーパーだから、さもありなん、ということなのだった。奈良坂透。嫌味なほどにうつくしい字で書かれたその短冊には、しかし、名前以外の何も書かれていなかった。明日が当日だ。
 当真はコカコーラを持ってふらりと歩き始めた。夕刻がはじまりつつある街はしっとりと湿っていた。梅雨はまだ開けない。

 夜眠れなかった。ただそれだけ。朝まで眠れないまま過ごすことが多くあり、その結果として奈良坂透のヒューズが飛んだ。眠れないのは当真勇のせいだった。当真勇を嫌いなせいだった。これは当真勇のせいなのだ、そう奈良坂は思った。そう思うことで正当化しようとした。そうして奈良坂ははじめて、当真を強姦した。
 強姦、そう奈良坂は考えているが、当真は否定するだろう。お前が勝手に俺をバイブ扱いしてオナニーしただけだ、そんなふうに言うかも知れない。それは妄想だった。実際には当真はなにも言わなかった。ただ一言、
「気が済んだか?」
 と言った。そう言われたとたん、なぜか憤怒の代わりに、おそろしいほどのやすらかさがやってきたことに奈良坂は気づいた。奈良坂は強姦の部屋を出て自室に戻り、高校に電話をかけたあとで、こんこんと眠った。とても深く眠った。
 当真とセックスをすると、よく眠れるのだった。
 それがきっかけになったのかもしれない。奈良坂の性欲は朝に最も高まる。奈良坂は四時に起き、ワグナーを聞く。ワルキューレの騎行、自分は想像を絶して自由なのだと思えた。
 ウォシュレットを使い、それから肛門にゼリーを押し込む。当真の部屋をノックもせずにあけた。いつも鍵はかかっていなかった。当真のそれは勃起していることもあればそうではないこともあった。奈良坂はそれを適切に扱い、たかぶらせ、そして準備をした自分のそこにおしあてた。当真のものはいつも熱かった。いつもいつでも熱くて、ああ俺は装填されている、と奈良坂は思った。俺は装填されている。なにを?
 ――生きる意味を。
 けれどもはや奈良坂の人生に生きる意味などありはしないのだった。怯えと恐怖とそれから義務感があるばかりだった。戦わなければ皆死ぬと思ったから戦っているだけだった。満点を取り続けなければ皆死ぬとしか思えないから満点を取り続けているだけだった。当真とは違った。
 恋ではない。そう思っていた。ただ当真が半覚醒状態で笑いながら奈良坂の腕や首に指をのばしてくるとき感情が混乱した。どんと衝撃を受けたような感覚を受けるのは当真が指を奈良坂の首に絡ませる時だった。そうして当真は奈良坂のなかに装填する。奈良坂は自分が生きていると錯覚する。
 それは錯覚なのだ。奈良坂透は生きてはいない。とうのむかしに死んでしまった。

 コカコーラを3本飲み干して、当真がボーダー本部付き男子寮に戻ってきたときすでに午前二時を回っていた。メールは数件、どれも、奈良坂待ってるぞ、というものだった。
 奈良坂透は当真の部屋のまえに膝をかかえて座り込み、がくりと首を落としていた。たぶん眠っているのだろうと思えた。当真は躊躇なく、奈良坂の頭を蹴り飛ばした。
「……っ」
「邪魔だ邪魔」
 ぎらりと睨み据えられ、当真は心地よい快楽を覚えた。当真のふてぶてしさに対して不快を正面から示す人間はたいそう珍しかった。なにしろ当真は叱る気にもなれないほどにだらしのない人間で、そのくせスナイパーになってからこのかたトップの座を一度も明け渡したことのない天才だった。だれも当真に本気の感情をぶつけない。この、目の前にいる、クソ生意気な万年二位を除いて。
 クソ生意気な万年二位は、蹴られた頭を振ってから、しかし言い返すでもなく静かに立ち上がり、当真の胸に、硬いなにかを押し付けた。ファンタグレープだった。ファンタグレープ?
「誕生日おめでとう」
 ぼそりと言って奈良坂は、そのままきびすを返そうとした。当真はその腕を掴んだ。
「違うんじゃねーの?」
 返事の余地は与えなかった。
 ファンタグレープはベッドに放り投げた。扉のこちらがわに引きずり込んだ奈良坂の顎をつかんでそのまま貪るようにキスをした。奈良坂はほんの一瞬抵抗し、それから無抵抗に当真の舌を受け止めた。従順に受け止めて必死で追おうとした。やりかえそうとした。させなかった。今日ばかりはさせなかった。奈良坂透は馬鹿だと思った。そして当真は、当真が与えた試練にそのまま愚直に従った奈良坂透を、そうだ、そのとき当真は、ほとんいじらしいとすら感じていた。
 七月七日。
 がつん、と奈良坂の頭を扉に叩きつけた。追い詰められた、底光りのする目で奈良坂は当真を見た。ほとんど引きちぎるように奈良坂のベルトを奪い、放り捨てた。準備は既に整っていたが、指を付き入れてぐじゃぐじゃと掻き回すと、奈良坂は悲鳴に近い声を上げた。奈良坂のそこをいじってやるのははじめてのことだった。
「やめ、」
「やめてやんねーよ」
「当真さん」
 悲鳴は誘い文句でしかなかった。片足をつかんで肩に担いだ。そうしてなかに一気に押し入った。がつん、と派手な音を立ててもう一度、奈良坂の頭が扉にぶつかった。奈良坂は支えを探して懸命に扉に爪を立てようとしていた。そんなことばかりが見えていた。そして熱かったこと、とほうもなく暑かったこと。
 クーラーのきいていない部屋に殴り倒すように床におしつけて二度目をやっている最中に、隣の人間が激しい音で壁を殴った。
「当真さん調子に乗んな、忍田本部長に言いつけるぞ、奈良坂レイプしてたって!」
「合意だ!」
 完全に反射で言ったスピードで、奈良坂が怒鳴り返した。
 床に強く爪を立てて指が真っ白になっている奈良坂が、完全に必死の口調でそう言い返し、「黙ってろ!」と付け加えた。
 当真は、……当真は本当に、本当に涙が出るほど笑った。バックから犯されている最中に、乱れた服を脱がしてもらうこともできないまま、そこにいる奈良坂透は誰が見ても強姦されているところだった、その最中になにを言い出すのだろう、馬鹿だった、馬鹿だった、馬鹿だったからいじらしかった。たぶんそのときに始まったのだった。
 たぶんそのとき、始まったのだ。

「短冊」
 ファンタグレープをごくごくと飲んでいる当真の喉仏を奈良坂はじっと見つめている。ベッドの上だった。最後は当真は妙に優しく奈良坂を抱いた。不気味だ、と思った。
「短冊?」
「スーパー。……ぬるいぜ、これ。不味い」
「あんたがさっさと帰ってくれば、冷たかったんだ」
「だから何だよ」
「別に……」
 服は脱がされていた。全裸のままで奈良坂は寝転がり、ああ、短冊、と思いながら、ゆっくりと与えられた唇を受け止めた。ぬるい、炭酸の抜けた、甘いばかりのファンタグレープを受け止めた。「不味い」予定調和として、そう言った。
「なにを願ったんだ?」
 今日は当真は終始ひどく愉快そうだ。そもそも当真から透を抱くなんて挙動天地の出来事だ。もっともいつもこの男は、たとえ退屈している時ですら、透にとっては愉快そうに映った。
「……なにも」
「じゃあなんで短冊なんか下げたんだよ」
「あんたには関係ない」
「は」笑った。「たしかにな」
 指が伸びてくる。透の首、そこにさらけ出された首を、当真はゆるく、本気ではない手つきで締めた。当真は依然笑っていた。
 白紙の短冊のような幸福感があった。何も叶わないでいられることは幸福だ。あんたに殺されたいとすら、願わずに済むのは。

 当真に首を絞められながら、うっすらと奈良坂は、その笑わない男は、そのときたしかに、笑ってそう言った。
「……あんたといると生きているような気分になる」
「あぁ? 生きてんじゃねえか」
「あんたには判らないよ」
 当真には奈良坂の心中はいつも理解できない。ただいつも愉快だと思う。いつもそこにいるから、当真をまっすぐに見つめてそこにいるから、愉快だと思う。ただそれだけ。
「あんたには判らないんだ」
 それは大層な希望であるかのように、奈良坂はひどく優しく、そう言った。


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