登っていこう、と、まるでなにかの遊具のように言って、レイジは歩道橋を目指したから、陽太郎はすこしぽかんとして、そして慌てて追いかけた。コンビニエンスストアに入っていったレイジを、コンビニエンスストアの入口で、陽太郎は待っていたのだった。店員や客やそれらの人々に陽太郎がレイジといっしょにいるところを見られたくなかったからコンビニの前で陽太郎はじっと待っていて、そこに繋がれている客の飼い犬に、よう、と声をかけていた。
 なにおまえしゃべれるの、と飼い犬は言い、頭を掻いた。どこか馬鹿にしたような仕草だった。だいたい動物たちはどうも陽太郎を馬鹿にしている傾向にあった。喋れるよ。なあおまえ飼い主のこと好き? 普通、と犬は言い、陽太郎はすこし、腹を立てた。普通、だなんて、なんだか、それは、ひどい。けれど陽太郎は腹を立てるために腹を立てているのだと自分で気づいていたから、犬に向かっていらだちをぶつけたりはしなかった。
 飼い主を守るとか、そういうのある? そう陽太郎はきき、あっさりと犬は、ないね、と答えた。
 そうして陽太郎は犬をそこに置いて(飼い主は犬を置いたままいったいなかでなにをしているのだろう)、店を出てきたレイジに、陽太郎、登っていこう、と声をかけられてレイジに駆け寄った。レイジは陽太郎をひきつれてゆっくり歩いた。陽太郎のためにゆっくり歩いているのだとおもうと、しゃくにさわった。けれど仕方がない、陽太郎はずいぶん大きくなったが、いまでもずいぶん、小さい体をしている、ずいぶん、大きく、なったのだけど、それでも、木崎レイジと比べたら。
 この男を守ることができたらいいのになと陽太郎は思う。
 思う。
 思っている。
 ゆっくりとレイジは歩道橋を登った。陽太郎もその隣で歩道橋の階段を登った。それをもう苦に思わない程度に大きくなっていたのに、まだ全然レイジほどには大きくない、なにをしてもどんんときでもそういうきもちが陽太郎のなかにあって、崩れない壁のようにあって、苦しい。まだぜんぜん木崎レイジにはなれなくて、悔しくて苦しい。
 苦しい苦しいと思いながら、それでもレイジのとなりにたちたがっている。ランドセルをかたかた鳴らして、それの重さが身に余るということから、自由になりたいと思っている。
 レイジが来ることはわかっていた。林藤匠はこの時間本部にいる。ほかの連中はたいてい学校だ。レイジと迅とエンジニアがいて、たぶんそのなかでレイジが迎えに来るのだ、そのことはわかっていた。期待をしていなかったといえば嘘になる。そしてレイジがくるということに対する絶望感も同じだけあった。なにもかもが混ざり合った感情のまま、陽太郎はレイジに迎えられて、病院に行って、頭を検査して貰った。
 喧嘩をした。
 歩道橋の上に立ち、レイジはカップのアイスクリームをあけて、ひとりで食べ始めた。どうしてひとりで食べているのだろう、陽太郎のぶんはないのだろうか、と陽太郎は訝しんだ。それはあるいはなにかの罰なのかもしれなかった。レイジがアイスクリームを食べて、陽太郎が食べないことが? 馬鹿げていた。馬鹿げていてそして陽太郎はとつぜん泣きたくなった。喧嘩の最中もレイジが迎えにやってきたときもレイジが相手の親と喧嘩の相手に頭を下げた時もこらえた涙がとつぜんこぼれそうになった。レイジがアイスをわけてくれなかったから、
「陽太郎」
 レイジがアイスを分けてくれなかったから。
「陽太郎、見ろ」
 陽太郎は顔をあげた。
 しゃがみこんだレイジは陽太郎の目の前に、半分に体積を減らしたカップアイスを差し出した。そうしてそこに、缶コーヒーの湯気のたつくろぐろとした液体を、注ぎ込んだ。そうして差し出した。
「落とすなよ」
 陽太郎はそれを、受け取った。
「……コーヒー」
「うん」
「おれ、こどもなのに」
「子供扱いされるの嫌いなくせに、そんなことを言うんだな」
 レイジは立ち上がってみおろしながらそう言った。ぐ、と陽太郎は言葉を詰まらせた。レイジは缶に残っているらしいコーヒーを一口飲み、「俺は煙草をやらないから」と言った。
「だから陽太郎、おまえと俺はもう同じものが飲めて、変わりないってことだ。コーヒーを飲んでいい」
 アイスクリームを浸して溶かしたコーヒーを、陽太郎は見つめ、それから、スプーンですくって、黒く染まったアイスクリームを舐めた。苦かった。苦くて甘くてそれでも苦かった。
「うまい」
「そうか」
「おれは、おとなか」
「そういうことだ」
「レイジと、いっしょか」
「そうだ」
「ふ、……う」
 ぼとっ、と涙が落ちて、陽太郎はあわてて目をしばたたかせた。腹に力をこめて目をぎゅっと閉じると、涙はぼとりぼとんぼとっと落ちて、ようやくそれで止まった。止まった。ちゃんと止まった。止められた。目をぎゅっと閉じたまま、苦くて甘くて熱くて冷たいそれを、陽太郎はつぎつぎと口に運んだ。
「……大人なんだから許してやれ。それでちゃんと、守るんだ、子供たちを」
 ボーダーなんて役に立たないと、弱いと、その「子供」は、言ったのだ。
 レイジを弱いと言ったのだ。
 犬は飼い主を守らないと言った。守る必要なんてないと言った。ばかみたいだと言った。けれどレイジはここにいて、レイジは陽太郎を大人だと言った。だから陽太郎はもう二度と、あいつらを、あいつらには、あいつらの側には、戻れないのだった。レイジと陽太郎はいまぐらぐらと揺れる歩道橋の上にいて、涙で濡れた目をあけるとそこには点灯をはじめた街が広がっている。あなぼことがれきだらけのこの街を、守るために生きているヒーローが陽太郎のとなりにいて、いつからだろう、ずっと陽太郎は、彼を守ってやりたかった。
「レイジ」
 涙混じりの情けない声で、それでも陽太郎は言った。
「レイジはおれを守るんだろう」
「ああ」
「おれもレイジを守ってやる」
「……そうか」
「おとなだから」
「そうだな」
「ほんとうだぞ」
「うん」
 残った苦いものを飲み干して、それから、同じ液体が喉をすぎていったということの意味を、陽太郎は考えた。となりあわせに立っているだけの大きな大きなこの男のなかに流れ込んでいったものと陽太郎のなかに流れ込んだものそれらは同じものなのだということを陽太郎は考えていた。心臓が熱を持ってどくどくと音を立てて、陽太郎は大きな声で叫びだしたい気持ちでいっぱいになり、おれが犬なら尻尾を振って走り出すところだと思いながら、となりに立つ男のてのひらを、つかんで、握った。
 レイジは陽太郎をみおろし、指を、握り返した。それはたぶんおさなごにするしぐさではなくそれはたぶん違う、違う、違ったはずだと思う、思いながら陽太郎は、目を拭って視界から懸命に水分をはじきとばし、まっすぐに顔をあげて、そこに広がる三門市を、夜の明かりを、レイジにも見えている同じ明かりを、一心に見つめた。
 コーヒーの黒い毒が全身に満ち足りてどこまでも走れそうな気がすると思った。そしてそれがおとなになるということで、そしてそれが、木崎レイジとおなじものになるということで、陽太郎はいつだって、木崎レイジとおなじものになりたかった。
「けんかはもう、しない」
 陽太郎はぽつりとそう言った。レイジは陽太郎をみおろし、「うん」と、そのことはよく知っている、という、いつもどおりの、たいらかな、レイジの声で、答えた。
 おれはもっとつよくなってつよくなってつよくなってだれよりもつよくなるからだからもう、けんかはしないで、みんなを守る、おおきな犬に、なるのだ、それが正しいことなのだ、正しく生きるのだ、隣に立つこの男にふさわしいだけ正しく生きるのだ、そうおもいながら陽太郎は、ただ強く指を、にぎりしめている。



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