木崎レイジがキッチンで頭を抱えているものだから、どうしたと尋ねたら、レイジはためらったのちに口を開いて、「あなたの息子が、おれを好きだと言いました」と言った。
「知ってるよ、あたりまえだろ」
「そういう意味じゃありません」
「は?」
 匠は、は、と声を出し、それから、ああなるほど、と思った。全く想像もしていなかったが、そういうこともありうるのか。あれももう年頃で、ノーマルトリガーを手に取らせて本部のランク戦に放り込んでからもう数年になるのだし、そういった発想があってもおかしくはない話だった。へえ、と匠は言いながら腰をおろし、ほとんど反射というしぐさで同時にレイジは立ち上がった。「お茶淹れましょうか」
「コーヒーにしてくれ」
 もういい時間ですよとか夜が遅いのにいいんですかとかあるいは胃の心配なんかをされる可能性を匠はいつも考慮するのだけれどこの男は別にそういったことはいつも一切口にせず、ただ「はい」とだけ言って、それからコーヒー豆を挽くところからはじめる。レイジさえいれば匠は挽きたての豆でコーヒーが飲めるし毎日栄養バランスのとれた食事を摂ることができる。便利な男だった。いささか便利すぎるところがある。
 べつになあ、と匠は思う。俺は最強のチームが欲しいんであって、最強のハウスキーパーを兼任しろと言った覚えはないし、必要とあれば人を雇うし、おまえは本職に(つまりボーダー最強のチームの隊長であることに)専念しろよと思わないわけではないのだけれど、レイジがなにかを守るためにそれをやっていることには薄々気づいているので、好きにしろよと思って、結局ハウスキーパーは雇われないし、そこには挽きたての豆で淹れたコーヒーがやってくることになる。
「おまえが自由にしていいからな」
「はい」
 わかってなさそうな返事だった。はいって言ってりゃいいと思うなよ。「振るも、振らないも」
「はい?」
「そもそもおまえの子供みたいなもんだろう」
「……林藤さんの、子供ですよ」
「でもおまえが育てた」
「はい」
 こんどのはいにはちゃんと理解があった。匠がいるせいで困った顔ひとつできないでいるらしい男がそこにいて、しかしどうにもダメだという気配を殺しきれずはっきりと、どうしたらいいのかわからないと言っていた。指示がほしいと言っていた。はっきりと、そりゃダメだと禁じて欲しいと訴えられていることには気づいた上で匠は笑ってコーヒーをすすり、それを与えてやらなかった。
「おまえの自由にしていいんだ。レイジ」
 いつも匠はそう言った。

 レイジがコーヒーを淹れ始めるまえは、匠は夜にコーヒーを飲みたくなると、車を飛ばして高速道路にのりこみ、深夜のサービスエリアに行っていた。まだ玉狛支部が存在しなかった昔の話だ。
 様々な謳い文句が並んではいてももちろんただのカップベンダーのコーヒーに過ぎないし、旨いほうだとは思うもののそこまで足を運ばなくてはならないほどでもないのだが、そこで飲むコーヒーが好きだった。人々はやってきては流れてゆき、夜更けであってもどこか賑わいがあり、そういったところが好きだったのだと思う。
 そこに少年が現れて、ぽつんと、サービスエリアの光をながめていた。20分かそこら、子供はサービスエリアを眺めていたし、匠は子供を眺めていた。暗がりに立っているせいでよくわからなかったが、どうも顔に殴られたあとがあった。しっかりした骨格をした背の高い少年だったが、すこし病的な痩せ方をしているようにも見えた。匠は立ち上がり、暗がりのほうへ向かった。
「なんか飲むか」
 尋ねると、子供はあとずさり、それから匠を見上げた。匠はひかりのほうへ戻った。子供はついてきた。コーンスープを飲むと言ったので買ってやった。そうしてぽつぽつと話をした。殴る親の話と家出の話だった。
「じゃあうちに来るか」
 そう言うと、子供はあまり表情を変えないまま、「いいんですか」と言った。
「いいよ。かわりに条件がある」
「……なんですか?」
「強くなれ」
 子供は目を瞬かせ、それから頷いて、「わかりました」と答えた。
「名前は」
 そう問うと、少年は目をさまよわせ、サービスエリアの壁に目を止めた。匠もそれを見た。それはちょうど、かちりと、深夜零時を示したところだった。「レイジ」子供は言った。
「レイジです」
「……いいけど、いいのか?」
「レイジです」
「……レイジね。俺は林藤匠。おまえも林藤レイジでいいか?」
 「レイジ」はまた目をさまよわせ、遠慮がちに、「……木のつく、名前にします」と言った。
「なんか、……息子とかは、違う気がするんで」
「グレードダウン」
「はい」
「親父にはもううんざり?」
「……はい」
「おまえそこはもっとうまく言い直せよ、処世術だろ」
「すみません」
「木崎レイジ」
「きざき、レイジ」
「いい名前だな」
 レイジはこくりと頷いた。
「いい名前ですね」
 木崎レイジ。
 午前零時に生まれた。

 まだ赤ん坊だった陽太郎を、遠征艇が連れ帰ったとき、レイジは、自分は息子にはなりたくないと言ったくせに、匠に向かって、「この子をあなたの息子にしてください」と頼んだのだった。最初で最後、唯一無二の、レイジからの願望だった。それを匠は叶えてやった。自分の名前は時計を見て決めたくせに、子供の名前はいろいろな辞典を引いて悩みながら決めていた。その子供がレイジに恋をしているという。レイジが守りぬいて育ててきた子供が、レイジに恋をしているという。
「……子供の願いは叶えてやりたいんですよ」
 ほとんど諦めかけた口調でレイジは言った。
「おまえだって子供だろ」
「俺には願いはないです」
 それは嘘だろうと匠は思った。現状維持をおまえは望んでいるはずだろうと匠は思った。けれどそれを言ってはやらなかった。「おまえも子供で、おまえの願いも叶えられるべきじゃねえかなあ」そう匠は言い、レイジが言ってほしがっている言葉を与えてやらなかった。やめておけよと言ってやらなかった。俺の息子に手を出すなと言ってやらずに、「ふたりともガキみたいなもんでお似合いだよ」とだけ、言ってやった。

 あかるいキッチンで子供たちがキスをする。レイジはたぶん諦めている。そうしてどうやらかすかに笑っている。椅子に座ったレイジにかがみこんでいる少年はもうずいぶんと大人にちかく見える。匠は回れ右をしてみなかったふりをしてやる。コーヒーが飲みたい林藤匠は、久しぶりにサービスエリアに向かうべきかもしれない。
 時計はもうじき午後零時を告げようとしている。



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