いつからだろう、その扉を陽太郎が開くことはもうない。陽太郎が小さな子供だった頃、いつもわずかに開かれていたその扉、その扉はいまはぴったりと閉ざされている。もう陽太郎の手がドアノブに届くから、それだけの理由だと知っているのに、陽太郎は拒絶されているような気分になりながら、扉の横を通り抜けていた。十代、二十代、年を重ねていく日々を陽太郎は同じ玉狛支部で過ごし、レイジも陽太郎もそこを常に離れず家族のままで、そうしてそれだけだった。
 雷神丸が死んでから、陽太郎は少しずつペットを集め始めた。林藤匠はそれを許した。もはや幼い子供ではなくなった陽太郎は動物たちと語り合い、訓練をし、立派に役立つ兵器として扱うようになった。愛情をこめて陽太郎はそれを行ったし、同時に、それを行うことで動物が死ぬことにはなんの動揺も見せなかった。動物はいつか死ぬ。人間がいつか死ぬのと同じように。死期の早まる行為だから辞めたいときにはいつでも逃げ出すと良い、といつも、陽太郎は言い聞かせていた。どうせ陽太郎以外のだれも、そこにいる動物の全容を知らなかった。
 玉狛第三は動物部隊だ。動物使いの林藤陽太郎が率いる無数の動物たちの部隊だ。そうなって以降陽太郎はランク戦に顔を出さなくなった。もともと友人と呼べる間柄の人間はいなかった。根拠もなく偉そうで人間をみくだしていて動物とばかり喋っている林藤陽太郎は人間が嫌いなのだと言われていた。
 そう見えても仕方がないとは思ったが、陽太郎は人間が嫌いだったわけではなかった。ただ単にひとりの人間のことを、いつも、考えていただけだった。それは人間には打ち明けられない話、特に玉狛支部の人間にはだれにも打ち明けられない話だった。そして陽太郎は本部に友人を作らなかった。作らなかった、作れなかった、どっちだろう、やはり本当は、人間が嫌いだったのかもしれない。
 木崎レイジの部隊を最強と呼ぶ連中も、裏切り者の玉狛支部と呼ぶ人間も、どちらも嫌いだったから、結局陽太郎は、人間が嫌いだったのかもしれない。
 雷神丸を連れてランク戦に行った。雷神丸が死んだのちはそのときどきの気に入った動物を連れて歩いた。たいていは犬だった。もうカピパラは飼わなかった。最も愛した動物は雷神丸で、その死とともに陽太郎の一部が死んで、戻ってこない。
 おそらく良くある話で、そういうときたとえば親友に語りSNSにぶちまけたりするのだろう。叶わぬ恋をしていると、しかし陽太郎は動物たちに語った。絶対に叶わぬ恋をしていることを誰にも知られてはならぬ。動物たちは口がかたい、なにしろ陽太郎は動物の言語を介するが、それはほかの誰にもない陽太郎だけの能力だった。陽太郎の友人は圧倒的に動物たちであり、彼らから様々なことを知った結果、年齢がふたけたになるころにはすっかりいけすかない少年になっていた。動物たちに咎を押し付けることはできない。そこにはたしかに、木崎レイジの要素が含まれていた。
 いつからだろう、その扉を開くことはもうできない。
 木崎レイジを犯す妄想をする。
 腹立ち紛れに手酷く犯すこともあれば、そらおそろしいほどに甘く抱くこともある。十代の少年が想像できる範囲のすべてのシミュレーションをする。そしてそれを実行することは決してないだろう。あんたはかわいそうだね、と、かつて最も親しい友人であった雷神丸は死の床で言った。かわいそうだ、そのことを俺は知ってるよ、俺だけは知ってるし人間のルールを守って偉い、あんた、けだものだったらよかったのにね。
 簡単に犯してお互いそれを簡単に忘れられるけだものだったら陽太郎は簡単にレイジを犯しただろう。けだものになりたかった。いつまでも雷神丸と同じひとつの生き物のように褥をともにしてそして一緒に死ねたらよかった。そうではなかった。十代のなかばに雷神丸は死に、そうして陽太郎は自分がけものではないことを知った。
 動物部隊を作った。
 そうして人間の友達は、陽太郎にはひとりもいないままだった。誰かがやさしく語りかけても、誰かがなにかを明け渡そうとしても、彼らは陽太郎の心を手に入れることはなかった。
 心の中に箱があってそのなかにしっかりと閉じ込められている。木崎レイジが閉じ込められている。陽太郎にとって特別な存在であるレイジがそこに閉じ込められて、陽太郎は毎晩箱の中でレイジを犯している。拒絶するレイジや許容するレイジや諦めているレイジや陽太郎を愛しているレイジがくりかえしくりかえし陽太郎に犯されている。その箱がそこにあることを、人間に知られてはならぬ。レイジは傷つくから。
 おれとレイジがただ単に家族で有り続けることは不可能なのだとレイジに知らせるとレイジが傷つくから。

 しゃくしゃくと、音を立てて陽太郎はホイップクリームを泡立てている。陽太郎の髪はすっかり白くなったが、腕はうまく動かすことができる。玉狛支部にはもう陽太郎以外の人間は誰もいない。みんな死んでしまったあとの世界で、陽太郎はそこに動物ばかりを住まわせている。いまではもう玉狛とはそういう支部なのだと皆が思っている。陽太郎が死んだらここはなかったことになる。それでいいと思った。レイジがいない玉狛支部が存在する意味はなかった。
 かつておれの神であったひとがおれにこれを教えた、と、足元であくびをする猫に陽太郎は告げる。ふうん、と猫は、興味がなさそうにあくびを続けた。
 かつて陽太郎の神であったひと、陽太郎を愛し、陽太郎をはぐくみ、そして陽太郎が恋をしていたことを決して知らぬ間に死んでしまった木崎レイジが、陽太郎に教えたそのとおりに、陽太郎はケーキを作る。スポンジを作り、いちごを薄切りにしてシロップに漬け、ホイップクリームを泡立てる。それは動物たちの食べることのできない糧だ。
 それは林藤陽太郎の誕生日ケーキで、それは永遠に、木崎レイジが作ったもののそのままだ。
 このケーキが好きだから来年も作ってくれと陽太郎がいつの日か言ってそうして毎年レイジが作り続けた、そのままの、あかとしろの、誕生日ケーキだ。
 それを手にした陽太郎は、動物たちに、ついてくるなよと言いおいて、閉ざされた扉をひらく。そこには枯れない薔薇が置かれている。あおい薔薇を目の前に陽太郎はちいさく笑う。あおい薔薇が存在する世界では陽太郎の恋は叶っただろうか。百年、二百年、三百年、何千年経てばレイジが、陽太郎の恋心に傷つかないで笑って受け入れてくれると信じられる世界に、たどりつけたのだろう。
「ハッピーバースデー、陽太郎」
 あおい薔薇の根元に埋まった骨の声として、陽太郎は、バースデーケーキを手に、ちいさく呟く。



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