三輪秀次は美である。それは陽介にとって始まりであり前提であり全てであり結論だ。もちろん秀次は薬を飲んでむずがるし精神状態の不調を理由に会議をさぼったりする側面はありただたんに男の子で陽介と同い年でありけれど秀次は陽介にとって美だった。秀次が戦いに赴く瞬間を目にするあの高揚をなんと表現したらいいのかわからない。ただ美しいと思う。闘争のただなかにある三輪秀次は美しいと思う。
「そんな理由でおまえのこと捨てたわけじゃん?」
 陽介は頬杖をついてそう言う。出水は顔をしかめた。ボーダー、新しくできたボーダーの建物の、ラウンジと呼ばれている実質食堂にあたる場所で、ふたりそろって新商品のキウイジュースを飲んでいる。
「捨てられた覚えねーけど」
「青春アミーゴだったじゃん」
「古い、負け知らずなのは太刀川さんでああっておまえじゃない」
「相棒を、裏切ったわけじゃないですか。愛と憧れと恋に溺れて、ダルい友情を切ったわけじゃないですか」
「なんなのおまえ、喧嘩売ってんの? それとものろけてーの?」
「いや太刀川さんとなんで喧嘩したのかと思って」
 沈黙があった。陽介はにやにやと笑いながら答えを待っている。出水はたっぷり数秒黙り込んでから、こんなことは聞きたくないのだという口調で、「……誰」と言った。
「太刀川さん本人に決まってんじゃん」
「っの」
「どうやって喧嘩できんの?」
 出水は顔をしかめたまま返事をしなかった。陽介は繰り返して尋ねる。
「どうやったら喧嘩できんの、オレ秀次と喧嘩したことない」
「はあ? 煽ってんの?」
「いやフツーに、してみたいっていうか、可能なんだってことが謎で仕方ない」
 おまえらずっとべったりじゃんどうやって喧嘩すんの、あとふたりともなんか、まーオレもだけど、ないじゃん。感情っつーの、感情はさすがにあるか、だから。情熱。
 ぶ、と出水は吹き出した。それは聞き覚えのある言葉だった。
「気が狂ってめちゃくちゃになって制御きかなくてクスリいっぱい飲んでそれでも眠れないくらいのやつ?」
「あれほどじゃなくてもいーけどさ。ないだろ?」
「かもな」
 かもなあとため息をついて出水は、そういうんじゃねえ気がするなたしかにと、どこか諦めたような口調で言った。

 米屋陽介がボーダーに入隊したのは六年前のことだ。つまり現ボーダー以前の入隊組、いわゆる旧組ということになる。小学生だった。同級生を挑発しては喧嘩をしたがるということで問題児扱いされており、万引きや、あと焚き火とか、思いつく限りの遊びをやっていてそれはたいてい悪事に数えられることだったのだけれど陽介はただ遊びたいだけだった。陽介の人生はおおむねつまらなくてつまらなくてたまらなくてもっと面白いことがやりたいと思っていた。
 たったひとつ、従姉が時々送ってくれるコンピューターゲームだけはちょっと面白かった。たいていは難しくて、ぜんぜんクリアできなかったのだけれど。
 その従姉が言った。
「陽介、秘密の組織に興味ない?」
 従姉は首をかしげてにこにこと笑い、そう言った。とてもすばらしいことを言うみたいに、「正義の秘密の組織だよ。勧誘されたんだ、わたし」と言った。「陽介が興味あるなら、陽介が一緒なら入るって答えることにする。陽介つまんないの、そしたら治るでしょ。だっていま迷惑じゃん、もっといいことして、退屈やめようよ」
 宇佐美栞はインターネットに上げていたフリーゲームの精度を買われて、まだアンダーグラウンドな組織だった頃のボーダーから、勧誘のメールをもらっていた。栞は、従弟もいっしょなら、と答えた。そんなふうにして陽介はボーダー隊員になった、あっさりと、正義の味方に、なった。
 出水公平とはうまがあった。
 プリキュアみたいにふたりぐみとして認められてふざけあったり軽口を叩いたりして育ってそして先に、はじめたのは陽介だった。出水、とうっとりと陽介は言った。恋をしちゃったみたい。
 そんな理由で陽介はあっさりと出水公平とプリキュアをやるのをやめて、恋した相手が入院している病院に通いつめて、ロマンスをせっせと育てた。ボーダーとはどういう組織か、そこでなにができるか、おまえはなにをするべきなのか。
 三輪秀次はなにを、するべきなのか。
 三輪秀次は迅悠一が拾ってきた子供だった。泣き喚いて始末に負えないからという理由で当時のボーダー本部に連れてきた迅は、「メンタルやばいから記憶処理かけたほうがいいかもね」と言った。ふうんと思った。狂った人間を陽介はまだ見たことがなかったから、それを見に行った。仮眠室のベッドの上に膝をかかえてそいつは座っていた。座っていてぶつぶつと唱えていた。なにを? なにかを。
「なんか飲む?」
 陽介が尋ねると、少年はきっと顔を上げて、涙混じりの声で、しかりはっきりと行った。
「……殺してやる、……あいつらを、……全て、殺してやる!」
 そのときの、
 その時見た、もの。
 恋だった。それが恋だった。それが恋だと陽介は思った。そこに美があって情熱があってそしてそれが陽介に足りなかった、陽介の退屈な人生に足りなかったものだった。陽介は笑った。笑って、笑って、笑って、「なあ」と、言った。
「おまえがそれをするためにオレはおまえのものになる」
 手をのばした。頬に触れた。陽介はじっと少年を見つめた。少年は、秀次は、涙に濡れた目で陽介を見ていた。
「オレがおまえのものになっていっしょに近界民を殺してやる。そうしようぜ相棒」

 ……おまえじゃだめだったわけよ、と米屋陽介はへらへらと言っている。
「出水さあ、おまえには情熱がない。オレにもないけど。似た者同士ってやつなのかね」
「一緒にすんな脳味噌のかわりに水が詰まってるくせに」
「味がついてる飲み物がいいなあー。まあとにかく、秀次はオレに情熱をくれるから、秀次が好きだよ。そんでまあオレは相棒を乗り換えたわけよ」
「相棒ねえ」
「青春アミーゴだったろ?」
「それはオレと太刀川さんだろうが」
「ラブラブじゃねーか」
 あ、という形に出水は口をあけた。ははははっ、と陽介は声をたてて笑った。ラブラブじゃねーかなんで喧嘩なんかしてんだ。どうやって喧嘩ができるんだ。太刀川と出水はおよそそういった、濃い、情熱、三輪秀次が抱いているような百パーセントオレンジジュースみたいな強い情動は、持っていないように見えるのに、どうやったら感情をぶつけあって、憎み合うことなんかできるんだ。陽介と出水でさえ、いや、でこそかもしれないが、喧嘩のひとつもしたことがないのに。
 へらへらと、ただへらへらと、笑って生きながらつまらない人生だと思っていた。退屈で退屈で仕方がなかった。怒られても怒られても新しいことをさがしてはやった。スリルでも痛みでも恐怖でも快楽でもなんでもよかった、手に入るものならおよそなんでもよかった。そうしてボーダー隊員になってそれはつまらなくはなかったけどそれでも何かが足りなかった。三輪秀次がそれを埋めた。
 三輪秀次の情熱が米屋陽介の中身だ。だから陽介はいま、幸せで、美しいものを見つめてきれいだきれいだと、思っているだけでいいのだった。
 太刀川と出水の関係はそんなふうには見えないのにどうしてそんなことになったのだろう。
「あのさあ」
「うん」
「太刀川さんとさあ」
「おう」
「エッッッッッッ……チを……」
「はあ!?」
 思ったより大きな声が出た。「出水くん不潔!」声が大きすぎたらしく、周囲の隊員が何事だと眺めている。
「えっなにその反応きもい」
「えーやだやだやだやだちょっと一メートルくらい離れてくれるいやらしい菌がうつる不潔きもいのはそっちだろなにやってんだきもいきもいきもい」
「は!? え!? ちょっと待て」
「またねーよ」
「三輪とやってねーの!?」
「やってねーよ!」
「なんで!?」
「子供とやる趣味はねーので」
「タメじゃん」
「秀次はまだ子供なんだよ! オナニーもしたことねーよ!!」
「んなわけあるか」
「ある」
「バカだなあ」
 出水は笑った。ほとんど慈愛に満ちた表情で笑って、「バカだなほんとに。おまえ太刀川さんにぜんぜん似てねーな」と言った。あたりまえだろうと思った。似ていてたまるか、あの人は愛を知らなそうに見えると、陽介はいったばかりだ。
「知ってるよ」
 言い聞かせる大人の口調で出水はゆっくりと、笑いながら言った。
「あの人は愛を知ってる。だから喧嘩した。おまえには関係ねーよ」
「と思うじゃん? あるんだなこれが、だってオレとおまえは青春アミーゴだったからね。かつて」
「過去形な」
 ようやく認めさせることができた。陽介は笑う。そうだ、彼らはかつて地元じゃ負け知らずのコンビで、わいわいととても楽しくやっていて、それは嘘じゃない、そこで陽介がそれは運命じゃないとかすこし退屈だとか出水には心がないとか思っていたとしても関係なくそれは、楽しいことで、たしかにそのころ出水と陽介は相棒で、そして陽介は恋に狂って出水を、あっさりと、本当にあっさりと、放り出したのだった。
「愛と恋と憧れと熱情に溺れて相棒を捨てたわけじゃん、ダラダラした友情よりトゥルー・ロマンスを取ったわけじゃん、青春アミーゴをあっさり捨てて愛を選んだの多少は悪かったと思ってるわけよ。だからまあ一肌脱ぐくらいはありかな的なそういう、あれ」
「……頼んでねーよ」
「それありがとうって意味だな?」
 出水は返事をしなかった。そっぽを向いて、「あとのろけんのいいかげんにしろ」と言った。

 薬を飲むと秀次は淋しがりになる。むずがってべたべたとくっついてくるようになる。好きで、好きなので、好きでいるので、秀次といっしょに暮らしたいなあと言ったら陽介はほんとうに俺が好きだなとすこし、すこしだけ、ほんのすこしだけ笑った三輪秀次がいてだから彼らは小さな家を借りてふたりで暮らしていてだから、精神安定剤と睡眠剤を飲んだ秀次が無言で腕を伸ばして陽介を引き寄せる、それが毎日起こることは、素敵なことだ。秀次のなかに充填されているいっぱいの情熱を、分けてもらえるような気がするからべったりとくっつくのは好きだ。それで勃起するのは陽介の本意ではない。
「……陽介」
 熱い声が陽介の耳を撫でる。陽介、陽介、陽介。言いながらベッドに転がって陽介の胸に顔をうずめて、すん、すん、と秀次は鼻をならしている。淋しがっているのだった。背中を撫でてやって、うん大丈夫、と言って、それから秀次のことを考えた。目の前にいる秀次。感情に振り回される秀次。コントロールできなくなる秀次。なんてかわいいんだろうと陽介は思う。なんてかわいくて素晴らしいんだろう。喧嘩なんてどうやってやるんだろうなと陽介は思う、不可能だろう、そういう理由だとしても。
 理由は聞いた。実にくだらない理由だった。
 でもそんな話はいまはどうでもよくて秀次がここにいて陽介に淋しい淋しいと言ってぎゅうとくっついているのだからできれば勃起しないでいて欲しいと思いながら陽介は秀次は抱き寄せている。大丈夫大丈夫、オレが食べてあげる。秀次の感情、オレが食べてあげるからね、大丈夫だよ。
「陽介、……すき」
 それって本当なのかなあ?
 言わせているのかもしれないなあと思いながら陽介は、うんオレも、と言い返す。大好き、好き、好き、陽介、陽介。そう呼ぶ三輪秀次、淋しがっている三輪秀次が、陽介を欲しがるのは陽介にとって秀次が切実に必要なほど切実ではないのかもしれずそこにいるなら誰でもいいのかもしれずそれでもべつにかまわないのかもしれずそもそも陽介はそのために秀次が精神病院にひととき入っていた頃毎日毎日通いつめたのだ。やさしい男だと思われるために。好意を抱いていると理解されるために。かわいい秀次、守ってあげたい秀次。やさしくしてあげたい、淋しいときそばにいてあげたい、きれいなきれいな秀次。
 美とは三輪秀次の形をしている。三輪秀次は美である。美を見つめるために生きている。心の中にたくさんの感情が生まれて止まらなくなるそれが恋だったから三輪秀次が欲しくて欲しくて欲しくて、いま腕の中にいるのに。
 勃起するのはできればやめたい。



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