「でもあんたバカですよね」と出水が言うので、「馬鹿じゃねえって言ったのおまえだろ」と慶は言い返す。忍田が休日だったので誘い出してまた忍田に服を選ばせた日だった。忍田に選ばせれば間違いはない、と慶は思っている。変な格好をしていると言われることはない。幸い金は必要以上にたくさんあったので、買い物はいくらでもできたし、ワンシーズン分の服はたっぷり買うことができた。そうして慶は服以外の無駄な買い物さえすることができたのだった。
 それは出水の腕のなかに収まって、出水はもふもふとそれのなかで腕をはねさせている。発育の良い幼児くらいあるぬいぐるみを、慶は宅配してもらった。出水はそれを腕に抱えて体重をかけて歪めている。
「なんで買ったんですか」
「おまえに似てたから」
「はぁ!?」
 出水は大きな声をあげて、ぬいぐるみを腕のなかから持ち上げて自分の方に向き直らせた。
「こんなにデブじゃねーし」
「そこではねーよ」
「じゃあどこだよ」
「目が死んでるとこ」
「死んでるかなあ」
「死んでるだろ」
「こいつじゃなくておれですよ」
「死んでるだろ、死んだ魚の目に似てる」
「魚毎週捌いてる人がいうと説得力ありますけどそんなですかおれ?」
「うん」
「そんなか……」
「かわいいだろ」
「おれが?」
「クマが」
「でもつまりそれっておれがってことですよね」
「うん」
 打った蕎麦をゆっくり切りながら頷く。背を向けた慶の頭の動きをきっちり出水は見ていたらしい。長い沈黙のあと出水は、「……くそっ」と言った。可愛い。
 つまるところ出水公平とてふつうの少年なのだということで、それは慶にとってつまらないことであるはずなのだけれど、出水公平が私生活においてふつうの少年であったとしても戦闘においてふつうではないことは確実だったからそれはそれで十分に慶にとって魅力的なことなのだった。出水は慶が好きだ好きだと言うたびに照れを隠せないようすをしてそういうのいいですよと言ったりする。もとのとおりにああいうのでいいのに、とか言ったりする。出水がしてほしいというのなら別にしてやってもいいのだけれど慶は最近料理をするので忙しいので、世界中のあらゆる出水を調理して調理して調理しておいしくしてそうして出水に出水を食わせることでそりゃもうとても忙しいので、それ以外のことをする暇がないのだった。
「順番が、めちゃくちゃだし」
「まあ、そりゃそうだ」
「最初があれで、次がエロで。それからぬいぐるみ?」
「べつにおまえにやるために買ったわけじゃねえけどな」
「あんたがあんたのために買ったほうが始末に悪いですよ、おれに似てるって理由で」
「おまえに似てる」
「しかも忍田さんといっしょにいるときに? 忍田さんのまえで? 心底頭沸いてんのかな」
「おれは馬鹿じゃないって言ったのおまえだろ」
「言いましたけどね。バカじゃないですよ。知ってます。知ってるから困ってんだ」
「困ってんの?」
 湯が湧いた。蕎麦を投入する。投入する途中ですこしちぎれた。元気の良い蕎麦ですこと。出水は、はー、とわざとらしい溜息をついた。振り向くと、またクマをぎゅうぎゅうと押しつぶして虐めている。自分で自分を虐めている。世界は出水に満ちているので慶は世界がずいぶん楽しくなった、もとが楽しくなかったというわけではないのだけれど、もっと楽しくなった。すこし前までは慶の生活は退屈だったような気がするのだけれどそんなことももう忘れてしまった。
 忍田が、部下を可愛がるのは良いことだ、と言った。
 月見も、可愛がるものを持つのは良いことよ、と言った。
 迅すら面白そうな顔を投げて寄越し、前やってたやつより全然趣味がいいね、いい分岐を選んだね、と言った。覗き魔め。
 なんか心配かけたみたいで、と慶は東に挨拶をし、よくわからないという顔をされたので、出水が、と言ったら、ああ、という顔で、あれ相手は太刀川か、と言った。いらないことを言ってしまったのだということに気がついたのは言ったあとになってからだった。東は訳知り顔で笑い、お幸せに、と言った。というわけで万事丸く収まってなにもかも順調なのだった。慶は茹で上がった蕎麦を冷やしてから運んだ。
「ここんち、いいかげん机買いましょうよ」
「机いるか?」
 言いながら顔を近づける。キスをするぎりぎりの距離で、「机邪魔じゃねえ?」と尋ねると、出水は身を引いて、「あー」と溜息を漏らした。
「あのねえ」
「はいはい」
「それはおれのセリフです」
「蕎麦ちぎれるなこれ」
「ちぎれますね」
「バラバラ出水くん」
「はあ」
「これバラバラになった出水くん」
「あのねえ、あんたどうしてそういう気持ちわるいこというんですか」
「気持ち悪いかな」
「悪いですよ。おれのこと食いたいんですか」
「もう食ってるよ」
「そうじゃなくて」
 慶は、ぶつぶつちぎれる蕎麦をもそもそと口に運びながら、は、と顔をあげた。それから、ああ、と気づいて、はた、と、蕎麦をすするのをやめた。顔をあげた。出水の顔をじっと見た。じっと見ていると出水は顔を背けた。
「あのね」
「うん」
「食われるのは困る」
「なんで?」
「なんでって……」
「そのうちおれにどっかくれよ」
「どっかって」
「食うから」
「どこを?」
「いらないとこだから」
 慶が言葉を切ると、出水は居心地が悪そうに、もぞ、と股をこすり合わせた。よく訓練されている。要らないって思われてると思ってんのかそれとも自分でも要らないと思ってんのか。「おまえ可愛いな」と慶は言った。
「このタイミングでそれをいうのは余計です」
 出水は心底困ったという顔でそう言い、その表情はレアだったので慶はじっと見つめて記憶しようと思った。出水は更に困った顔をした。

 そんなわけでぬいぐるみのクマがそこにおり、出水がやってこない日もやってくる日も慶はそれと一緒に暮らした。つまりそれは出水と一緒に暮らしているのと同じことだった。もっとも出水は慶の家に入り浸っていたから、そもそも出水は慶と一緒に暮らしているも同然だったのだけど。部屋のなかに出水がふたつ。そうしてたくさんの食材。慶は料理に飽きなかった。出水に飽きないのと同じように、慶は料理にもぬいぐるみにも飽きなかった。
 慶は強くなりたかったのだった。
 強くなると、向こう側に抜けられる。
 でも出水といるいまの感じは、もう「向こう側」かもしれない、そう慶は思った。忍田にそう言うと、「それは慶が大人になったってことなんじゃないか」と忍田は嬉しそうに言った。忍田ともう一回買い物に行ったのだった。そうして帰ってきてから慶は、そういえば出水は今日から修学旅行なんだっけ、ということを思い出した。三門市に出水はいま、いない。
 ボーダー専属占い師様の未来視は「今週は異常なし」。
 つまり出水公平ひとりいなくても平和は守られるということだった。平和な日々、なにもない日々、困らない日々。出水の困った顔が見られない日々。慶はなんだかひどくぼんやりした。買い物をして帰ってきて、新しい服を出水に見せびらかして、似合う似合うと言われることがもうできない日に、よりによって買い物に出かけてしまっていた。唯我でも国近でも月見でもあるいはほかのだれでも迅でも風間でも堤でも来馬でも加古でもだれでもいいから呼び出そうかと携帯電話を取り出して、慶はそれをフルスイングで壁に投げつけた。どうしてそうしたのかわからなかった。壁から跳ね返って床に落ちた携帯電話はべつに傷んだ様子もなかった。慶は気が付くと出水(クマのほう)を膝の上に抱えていて、その腹に包丁を突き立てて腹を割いていた。クマの体はぼろぼろにされていた。慶がやったのだということはわかっていた。そしてそれは楽しくてやったわけじゃなくてなんとなくさびしい気持ちだった。クマがぼろぼろになって、そうして傷ついた体は治らないので、トリオン体と違って傷をチャラにはできないので、慶は寂しかった。慶は寂しくてクマを抱きしめて、「ごめんな」と言った。
 慶は手先が不器用なほうではない。出水が帰ってきた時にはクマの傷は全部縫い合わされていた。毛足の長いクマだったことが幸いし、よくよく探ってみなくてはわからない程度に手術は成功だった。それに出水はクマにたいして興味を持っていないし、興味を持っていないことに頓着するような性格でもなかった。ただいまかえりました、と出水は言い、それ家族にもちゃんと言った? と慶は尋ねた。それだけ。
「土産はオペ室に置きました」
「太刀川さん専用のはねえの」
「観光地の土産なんか欲しいですか」
「出水が選んだんならいらないな」
「ひっでー」
「自分のセンス自覚ある?」
「おれはセンスいいですよ」
「ひでえこと聞いた」
「肉だ」
「肉だよ」
「考えてたんですけど」
「うん」
「おれのちんこ」
「うん」
「食うとしたらどうやって食うんですか」
「……さあ」
 そもそも何の話だか一瞬わからなかった。そんな話もしたっけと思ったあとで、「硬そうだよな」と答えた。
「だから、しっかり煮ないとダメっぽい気はするな」
「しっかり煮られるおれ」
「愛情をこめて、しっかりと」
「愛情は不可分なんですか」
「不可分ですね」
「太刀川さんってこんなキャラだったかな」
「おまえに恋して変わったの」
「……恋」
「恋」
 長い沈黙があった。沈黙があるだけですでに、ああ照れてんだなと思うことができた。ああ照れてんだな、そして肉は焼けます。みじん切りにした隠し味が入っています。おいしいです。出水のちんこねえ。ちんこでも、指一本でも、なんでもいいんだけどそのうち欲しいなと慶は思う。それを食べたことでなにかがもっと先に進めるならそれが欲しいな。出水が三門市にいないとき、さびしくて仕方がなくて包丁を握ってなにか間違ったものを斬らないようにそれが欲しいな。でも危険だな、ひとつ手に入れたらもっともっと、もっともっともっと欲しくなるかもしれないから危ないな、そのうち出水はかげもかたちもなくなって全部消え失せて、慶がひとり残るのかもしれない。そうなったらきっといろいろな人たちが怒るだろう。出水公平はみんなのもの。
 出水公平はボーダーの大事な資源だから、みんなが困るだろうな。
 煮込みハンバーグができた。飾り切りをした人参のコンフィもついた。クラムチャウダーもついた。あたたかくてたのしいすばらしい家庭的な食卓ができた。机が欲しいと言った子のためにちゃぶ台だって買ってきた。そして机の前には大事な可愛い出水公平くんがいる。天下をとったくらいの気持ちで飯を食った。たいへん幸せだった。これが終わったらたぶん慶と出水はセックスをするし、出水の必要ない(かもしれない)ものがあるうちは慶はそれを大事に可愛がってやるし、慶も出水も全身満ち足りて幸せな気持ちになるのだろう。
 なるのだろう。
 なった。
 全部おわって全身満ち足りた気分になっている慶は起き上がり、べったりと倒れた出水の頭に、クマのぬいぐるみをあてがってやる。出水は、はー、と溜息をつき、それから腕をもちあげて、そこにあるぬいぐるみをさわりと撫でた。なでてから、あれ、と言って、頭を持ち上げた。
「こいつ、右耳どこ行ったんですか」
「食った」
「は?」
「おまえが」
 指差してみせた。は、と出水は声をあげた。は、と言って、それから、「……ハンバーグ」ご明察。昔々、慶と月見がごはんを食べない訓練をしていた頃、かわりに慶は道端に落ちているものや生えている草で料理をした。月見はしなかった。月見は慶が料理をするのを眺めていて、そうして、けいちゃんのお料理、食べられないから、ちょうどいいね、と月見は言った。けいちゃんのお料理はなんの役にも立たなくて、いいね、おなかいっぱいにならなくて、いいね、いつまでも、食べないでいられて、いいね。
「……あんたバカだなあ」
 出水はあきれたように笑って言う。



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