健全な恋愛をしなよ、と菊地原士郎は歌川遼に言う。もっとなんか、あるでしょう、おまえのやってることが、いいことだとは、ぼくにはあんまり、思えないよ。どうだっていいけどさ、ほんとに、どうだっていいんだけどさ。
「どうだっていいだろう」歌川はすこし顔をしかめてそういったあとで、「おまえこそどうなんだ、健全な、恋愛なんて、おまえ、経験、あるのか、そもそも恋愛なんて、おまえに」
「歌川さあ、失礼って概念、知ってるの」
 歌川遼はいつもどおりどこか漠然とした目をしていて、それはいつものことでまるきりいつものことで、だからべつに気にする必要はなくてそれでもすこし、いらいらした。歌川遼はいまの恋人(一般人で、年上の、中学生の頃部活動で知り合ったのだというひと)と付き合い始めてから、どんどん、馬鹿になっていくような気がする。そういう恋はしたくないと思った。歌川を嫌いなわけではなかったけれど、ばかな歌川を見るといらいらした。そうして、歌川が「自分には価値がないから」と口走るたびに士郎は苛立って「それ本気で言ってんの、おまえ風間隊だろ、風間隊にいらない人間なんて、いらないんだよ」と言い返さなくてはならない。
 必要ない人間なんていないから一緒にいるというのにそれがうまく、伝わらないまま、二年。
「外側が必要だって思った」
「健全な、恋愛?」
「わかんないけどさ。ぼくも、はじめてだから」
「好きな奴がいるのか」
「たぶん」
「……まあ、わからないよな。俺も、わからないから、ずっと」
「おまえと一緒にしないで」
 士郎は、歌川は可愛そうだと思う。歌川は自分の価値がわからなくて、可愛そうだと思う。そうして自分と歌川はたぶん、とてもとてもよく似ていると思う。よく似ていて、だから、別々に生きないと、死んでしまうような気がする。ふたりで窒息して、死んでしまうような気がする。海の底で手をつないで、心中するような気がする。息ができなくなる。歌川はぼくで、ぼくは歌川だ、生きる意味を簡単に、見失ってしまう。
 太陽が必要だった。海の底までたどりつく、太陽が必要だった。
 健全な恋愛をしなよ、と菊地原士郎は歌川遼に言う。殴られたりひどく扱われたり魂がないように操られたり、そんな恋愛はやめてしまいなよ。片思いはよかった。なにもはじまらないほうがずっとよかった。太陽に存在を、知られたくなかった。
 なかったんだ。

 耳が良い子供は、欲しい情報をサーチすることができる。覚えた足音をおいかけて、偶然を装って声をかける。「笹森」びく、と背中が震えて、どうしてそんなに怯えられているのかなと思う。士郎はいつも、本当のことを、本当のことだけを言っているだけなのに。
「お茶。飲むの?」
 自動販売機の前に笹森は立っていて、そこですることと言ったらひとつだった。「買ってあげようか?」
「……なんで?」
 警戒心に満ちた表情。そういうところが好きだった。感情表現がはっきりしているところ。風間も歌川も三上でさえも、そして菊地原士郎も、どこか感情表現を置き去りにしてきたようなところがあって、つまりそれは深海に生きる動物の生態だったのだけれど、笹森日佐人はそういうふうではなくてはっきりくっきりと感情表現をおもてにあらわしていて、そういうところがすごく、よかった。そういうことをいらだたずに、良いとおもえる自分が、良いと思った。ボーダー隊員にならなかったら笹森のことなんて、嫌いだった。もしかしたら風間や歌川のことでさえも、嫌いだった。なにもかもが、嫌いだった。
 ぬるい海の底から見上げる世界はなにもかもあたたかく美しくそこから見えるボーダーという場所が士郎の、家だった。
「おまえのこと気に入ってるから」
「……オレのこと、嫌いなんじゃないのかよ」
「ちょっと。嫌いだなんてぼく、一度でも言った?」
「だっておまえ、……オレのこと、弱いって、いつも」
「弱い奴を嫌いだなんて言ってない」
 がたん、と落ちてくる、自動販売機からこぼれおちる、ココア、そういえばまえも、ココアを買った。なんとなく、笹森に似合うような気がして、違うかな、甘やかしたい気持ちがあって、甘やかして大事にして、そういう。象徴みたいな。
 ココアを、作ってくれるような、やさしい、親だった。彼らに馴染むことができなかったのは、彼らの、咎では、なかった。
 士郎は小さく笑う。笹森は驚いたように士郎を見ている。たぶん、笑ったからだと思う。笑うことができるのだということが、士郎にも、不思議だった。
「おまえは仲間思いでそういうとこ、ぼくはさ――」
 言葉は途中で途切れた。隣に立った笹森の頬に、手をのばした。好きなんだと思った。遠い世界にいるから、好きなんだと思った。海底から見える太陽だから、好きなんだと思った。笹森日佐人になりたかった。笹森日佐人みたいに明るく健やかな、生き方をすることが、士郎にはできなかったから士郎はいま、太陽に手を伸ばして、くちづけをしている。



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