なんだもう起きてるのか、と弟は言い、まだ起きているんだ、と兄は言った。弟は目をしばたたかせてから、はは、と笑い、床にどかりと腰を下ろした。ハイレインは酒のボトルを目の前にして、生のままの蒸留酒を舐め続けていた。アイスペールにいっぱいにあったはずの氷はすっかり溶けきってしまった。それはおそらくわかっている上で、ランバネインは首をかしげて笑いながら、「氷は」と言った。ハイレインはアイスペールを傾けてみせた。そこにあるのは水ばかりでもはやぬるかった。
「なんだ愚かものめ、氷を持ってこさせればいいだろう」
「恥ずかしいんだ」
「子供みたいなことを言う。良い、良い、俺が兄上のために氷のひとつくらい運んでやろうよ」
「ランバネインは優しいな」
「優しいとも」
 立ち上がったランバネインがアイスペールを手に部屋を出て行く。それをぼんやりと眺めて、それからハイレインはゆっくりと、蒸留酒の入ったグラスを揺らした。戻ってきたランバネインは酒瓶と、暖かい香りの立つ籠を、両腕にいっぱいに抱えていた。グラスとアイスペールと酒瓶とそれから肉を抱えてランバネインはいつもどおりの幸福そうな声で、「飲もう、飲もう」と言った。
「しかし兄上様ときたら日曜日の夜からひとりで朝まで飲み続けとはなんともまあ」
「言いたいことは言って良いぞ」
「許可を下されるか」
「許可する」
「暗い」
「そうだろうとも」
「まったくもって暗いなあ、なんでまた弟君を呼んでくだらぬのかな」
 おかげで貴君の弟は夜更けの街にひとりで繰り出して安宿の馴染みの女に振られなくてはならなかった、そう、心から愉快そうにランバネインは言い、酒瓶の栓を抜いた。瓶の底に澱が溜まっているのが見えた。それが自分自身のようにハイレインには思えた。瓶に守られて澱んでいられるのだった。幸福そうに笑う弟に守られて澱んでいられるのだった。
「女に振られたのか、珍しいな」
「別の客がついていてな。なに、珍しいことでもない、身を売るのが商売だ、先着順というものだ」
「おまえの地位があれば所作の途中であっても客を奪うことなど造作もないだろう」
「おれはそれを好かない」
「そうだろうな」
「分かって言うのだから意地の悪い兄上だ」
 かろやかに口にされる兄上という言葉は半分ほどは揶揄を含んでおり、そしてハイレインはランバネインに揶揄されることが嫌いではなかった。ハイレインは笑い、そうしてすとんと床に腰をおろした。澱を含む酒を口に含んでいるランバネインの口にくちづけた。ランバネインの口内で笑いが弾けたのがわかった。そうしてぬるくあたためられた酒は譲渡され、ハイレインの喉をすべりおちた。その夜飲んだ酒の全てよりもその酒は旨味をともなってそこにあった。
「……旨いな」
「旨いだろう、料理人が秘蔵のものを持ち出してきたのだからな、おれは叱られる」
 その酒が旨いのはそのせいではなかった。ハイレインはくすくすと笑った。そのせいではなかった。けれど勝手なことをされては困りますと叱られて笑っているランバネインを想うのは愉快だった。彼を気軽に叱る誰かが存在することが愉快だった。だれもが彼にそうやって身軽に接することが愉快だった。安宿などに行くことはないのにランバネインはふらふらとどこにでも出かけて行って誰にでも撫でられる、愛想の良い犬だ。
「馴染みのない女はどうだった」
「女はどれも良いよ」
「男は?」
「男は兄上でたくさんだ」
「試してみると良い、おまえなら良い体験がいくらでもできるだろう」
「仰せのままに」
「冗談だ」
「本当かな?」
 彼らはくすくすと笑い、笑い、笑いながら酒を飲み、冗談ばかりを言い合い、やさしく触れてそれからキスをして体に触れてまた酒を飲んだ。ああしかし、とランバネインは言った。
「兄上をひとりで飲ませたのはたいへんな失態だった。さぞつまらない夜だったことだろう」
 ハイレインは小さく笑い、それから、うん、と首を傾けた。
「そうだな。つまらなかった」
 飲むために飲み始めたわけではなかった。会議があり、宴席をまじえてまた会議があり、ひどく疲れていた。ひとりになって、眠れば良いのに氷と酒を運ばせた。つまみはなしでそればかりを飲んで、ぼんやりと壁を見つめていた。ぼんやりと壁をみつめて時間を過ごしているうちに朝がやってきていた。墨色に塗りつぶされたような朝だった。おはよう、と言いながら弟がやってくるまでは。
「おれがいたらな」
 ランバネインは言った。
「おれがいたら少し飲んだあとはまず健康的な運動をすることになっただろう」
 ハイレインはその言い草に笑う。健康的な運動。
「それからまた飲んでまた運動をして、次に質疑応答だ」
「なにを応答するんだ」
「もちろん愛についてだとも」
「それでは質問はあるか?」
「まず運動が必要だな」
「実践に関する質疑というわけだな」
「そのとおり」
「ではそのように」
「仰せのままに」
 くすくすと笑いながらランバネインは、立ち上がってハイレインの腕を引く。続きの寝室に誘われながら、ハイレインは、弟の手を引き寄せて、手の甲にキスをしてみせた。騎士が女王にするしぐさでそうして、それは彼らの関係としてあるいはひとつのただしさを示している、と思った。彼の弟はいかにも幸福そうに笑っている。



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