豪雨が続いている窓をみつめるとき、迅さんはどこにいるのだろうと駿は思う。迅はいつも庭にいる、入ってこない、庭からじっと、駿を見ている。広い庭、刈り込まれた芝生、美しい、手入れの行き届いた洋館に、駿はときどき、やってくる。
 家は美しく磨き上げられ、塵一つない。昔話のようにほかほかの食べ物はさすがに用意されていないけれど、まだ冷めていないカレーや炊きたてのごはんが用意されていて、駿はそれを好きに食べる。ボーダー隊員であることは良かった。両親には、ボーダーの仕事で夜帰れないんだ、といえばそれで事が足りた。駿は何度もそこにやってきて、用意されている食事をとり、やたらにつるつるした(大理石とかそういうの?)浴室で湯をあびてふかふかのベッドで眠り、朝起きると焼きたてと思われるパンが籠に盛られて用意されていた。誰かが駿を歓待していて、その誰からはけっして、駿の前に姿を現さなかった。
 けれど駿は知っている。
 窓の外、できるだけ気づかれないように、カーテンの隙間からそっとみおろす、気づかれないようにと言ったって、見えているのだろうけど。芝生の上に男がいる。迅悠一だ。迅悠一は芝生の上に足を投げ出してすわりこみ、駿を見上げていた。かすかに首をかしげて、表情までは見えないが、どことなく哀しげに見えた。やがて迅はごろんと夜の芝生の上に転がる。夜露に濡れて風邪をひくよと駿はいうことができない。駿はべつに、べつにぜんぜん、そこに閉じ込められているわけではないのにそれでも駿はその洋館にいるとき、そこから出てはいけないのだ、と感じている。
 駿はそこに閉じ込められて、迅に飼われている、愛玩用の動物だ。

 駿が草壁隊のオペレーションルームにやってきたとき、その本は置かれていた。密室を扱った推理小説だった。まだだれも来ていなくて、駿はそれを手に取ってぱらぱらとめくって、そうしてその地図を手に入れた。
 迅さんだ。
 直感的にそう思った。迅は駿がここに来ることを知っていたに違いない。ここに誰よりも早くやってきて、その本を手に取ることを、知っていたに違いない。そうして駿はその家にやってきた。美しい、大きな、洋館だった。放棄地帯のものではなく、市街地郊外に建っている、きっとだれかお金持ちが建てて、そして三門市が災厄に襲われたとき逃げ出して捨てられたのだろうその家は、しかしだれも住んでいないとは思えないほどこぎれいに手入れされていた。
 鍵は空いていた。そして鍵は玄関の、金属製の美しいトレイに置かれていた。トレイの上で、人魚が半身を起こした形で駿を見ていた。
 そこにはテレビはなかった。本はあったが、駿には難解すぎた。ひととおり家を探検した。駿ひとりにはとても使い切れないだけの部屋があり、そのすべてが美しく清掃されたあとで、ベッドはベッドメイキングされ、飾り戸棚のひとつひとつにも塵一つなかった。駿はなんだか疲れを感じて、リビングルームのソファを選び、与えられた推理小説を読んだ。家に置かれた本と同程度に難しかった。
 スマートフォンが鳴った。びくりと駿は身を起こし、あわてて、スマートフォンの電源を落とした。非常時にはサイレンが鳴るだろう。携帯電話の電子音はここにふさわしくないと思った。
 これは迅からの贈り物なのだ。そう、駿は思う。そしてこの家の広大さと、手に入れられないほどに荘厳であることは、迅によく似ていると思った。思って駿はすこし悲しくなり、すこしだけ、泣いた。
 迅悠一が好きだった。好きで好きで好きでたまらなかった。会いたかった。触れたかった。迅悠一が好きだった。

 その家のことはだれにも話せなかった。
 駿はくりかえしその家にやってきて、ソファで難解な本を読み、眠った。ソファだけを使って、無尽蔵にあるベッドルームのどれも、使わなかった。入浴をして、食事を取った。そして窓の外の迅を眺めた。窓の外の迅はだらりところがったまま、死体のように見えた。その迅を駿は手に入れたい、手に入れたくない、手に入れたい、手に入れたくない、そこに転がっている死体のような迅は迅のようではなく、けれどそれは迅そのものなのだ。
 そうしてある日、やはり結局、駿は決断する。
「……風邪ひいちゃうよ」
 部屋を、出ていく。
 駿はそこに転がった迅をみおろし、かがみこみ、迅の、頬に触れる。迅は笑った。迅は芝生から身を起こした。芝生がひらりと人の背から落ちていくのがスローモーションで見えた。迅は駿の体を抱き寄せ、キスをした。キスをした。迅が。緑川駿に。
 ばくばくと心臓の音が聞こえた。
「この家は駿そのものだよ」
「……迅さん?」
「手つかずで綺麗で無限大で静謐な、駿そのものだ」
 やさしい、やさしい、声だった。そして、寂しい、声だった。迅さん。迅さん迅さん迅さん。駿はいつものように声をあげることができない。だってここは夜の庭で、夜露に濡れた芝生は冷たい。
「サイドエフェクトが言ってる」
「え?」
「サイドエフェクトが言ってる。おまえはおれはいずれ抱く。おれはおまえに抱かれてあられもなく喘いでいる自分を視てる、ずっと、視てた。サイドエフェクトが言ってる。おまえは俺をいずれ抱く」
「……そんなの」
 いやだよ。そう駿は言いかけて、言葉を飲み込んだ。うまく、言葉が選べなかった。
「だからそれを覆すためにおれはここに来たんだ。駿。……はじめてがおれじゃだめか?」

――迅さん好きだよ、ねえオレとつきあって
――どこまでだ?
――もー! 恋人同士になってってこと!
――そうだなあ、六年くらい先まで待ってくれな
――六年だね! 約束だよ!
――ああもちろん、おれのサイドエフェクトがそう言ってる
――もー、迅さんてば、そればっかりなんだからな、それ言えば許されると思ってさ

「……六年、経ってなくて、いいの」
 そう言うと、駿の首筋にキスをおとしていた迅は、笑って「もう限界」と言った。
「毎晩おまえに犯されるサイドエフェクト視すぎて、我慢できない」
「おかっ……」
「ごめんな駿、もうちょっと、大事にしてやるつもりだった」
「そんなの……」
「……ごめんな」
「やだよ」
「……やなら、やめるけど」
「そうじゃなくて、……謝んないで」
 キスをした。うまくできたかわからなかったけど、口と口をおしつけて、キスをした。ふ、と笑ったようだった。迅は笑って、駿の歯茎をそっと舐めた。それから舌が入ってきた。ときどき口を離しながら、迅は駿の口のなかを翻弄し、そうしながら駿のズボンを脱がせて、指を動かした。駿はなにがなんだかわからなくなって、ただ迅にしがみついていた。
 ん、と迅が声を漏らす。迅が自身のうしろに指をまわして、なにかを押し込んでいた。は、はあ、と息を漏らして、指を動かしている。駿はおそるおそるそこに指を這わせた。びくっ、と迅は身を震わせ、それから困ったように笑って、「いけない子だな」と言った。けれど制止はされず、駿は迅のそこ、肛門、これまでエッチな場所だなんて思ったこともなかった場所を、指で撫でた。あ、はあっ、駿が指を動かすごとに、迅はこらえきれないように息を漏らした。
 迅の肛門が濡れてきている。どうして、と目をあげた。
「……おとこのひとでも、濡れるの」
「……あ、……そうだよ、……ていうのは嘘だけど。ゼリー、入れたから」
「ゼリー?」
「そういう、……濡らすの、……濡れないと、入んないからな」
「エッチな感じ、する」
「おれはもっとエッチな感じしてるよ、駿」
 名前をふいに呼ばれて、かあっと顔が熱くなった。迅はふわふわと笑い、駿の額にキスをおとして、「おいで」と言った。
 おいで、と言われてもどうしたらいいのかわからず、実際には迅のほうが、駿のものをのみこんでいくかたちになった。そこは熱くてぬるぬるしていて、入口はきゅっと閉じていてそこをぬけるとふわふわとしたぬかるみが広がっている感覚があってときどき、きゅっと締め付けられた。
「き、……もち、いいよぉ、迅さ……」
「ん……」
「迅さん、迅さ、」
「動いて、駿」
「動くの?」
「動いてみな、腰、……動かして」
 ずる、と引き抜くと、あ、と迅が声を漏らした。あ、ああっ、声を漏らす迅の体に、ずるずると抜き出しては入れることを繰り返しているうち、駿は夢中になって、がつがつとなかをあさりはじめた。
「あっ、ひっあ、ああっ、あ、は、ふあ、あ、駿、駿」
「迅さん、迅、さんっ」
「あっ、あああっ」
 迅が身を震わせて、どこか遠くを見つめている。迅さん。迅さん、そう呼びながら駿は懸命に、迅をここに、ここに、駿のいるここに、引き戻そうとする。わかっている。わかっているわかっているわかっているわかっているわかっている、迅はいま、20歳の緑川駿に抱かれている、どこか遠くを見つめる目が視ているのは、六年後の。
「迅さん!」
 ぱん、と頬を張った。迅の目が焦点を取り戻した。しゅん、とふるえるくちびるが呼んだ。
「……ごめんな」
 頬を触れられて、泣いていることに気づいた。それから、射精していることにも。射精感は長く続いた。体ががくがく震えていてそれが、なんのせいなのか、わからなかった。迅の腕がのびてきて駿を抱いた。
 しゅん、ともういちど呼び、夜露に濡れて冷たいままの迅の腕が駿の体を抱いた。なにかを言いかけて、なにも、言わなかった。どぷりと吐き出されるものが迅のなかにうけいれられている。それがすべてだ。
「……今日はじゃがいものポタージュだから」
 迅はやさしい、ひどくやさしい声で言った。
「今日は、ふたりで、食べようか」
 甘い、甘い、やさしいだけの声で、迅はなにかを言おうとして、それを結局、口にしなかった。




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