視界のはしに、いつも未来が見えていて、と迅は言いながらごろりと仰向けになる。未来はいつもいつもおれの目の前にみえ続けているけど、それとは別にね、いつもいつも、見えてる未来があって、それがとても目障りだった。
「目障りだったからだよ」
 ね、レイジさん、そう言いながら、猫のように頭を摺り寄せてくる男の手に、愛があるともないともレイジは思わないが、恋愛感情というのはこういうものではないのではないかとも思っていて、けれどそれならば恋愛感情とはなんなのかと尋ねられても、どうとも答え難いのだった。迅悠一がなんの話をしているのかわからない。わかるのはまだこの男がセックスを続けるつもりだということ、続けるつもりだからこそこうやって、レイジの体に触れて手のひらをうごかしているのだということだった。レイジは寝転がったまま、レイジの体に触れる熱を持った手のひらをただ受け止めている。
 手のひらで包んで抜いてやるくらいのことはレイジにもできた。ほかのこともたぶん、やろうと思えばできなくはなかっただろうけれど、迅は自分の手でレイジの体をあたためることをこのんだから、それならレイジはそうさせてやるしかなかったし、そうさせてやることを厭う理由もなかった。拒絶をしなかった最初から、そうする以外になにもなかった。だからレイジはいまも迅のしたいようにさせているし、常に、迅のしたいようにさせている。
「あのさあ」
「なんだ」
「ボスに、体を求められてもあんた、こんなふうに好きなようにさせるの」
 こんなふうに、と言っている迅の手のひらはただレイジの胸から腹にかけてをさらさらとなでているだけでいまのところ、性的な要素はそこに含まれていない。いちど吐精したあとのからだは弛緩していて、その手のひらのささやかな動きをただリラックスさせるための信号としてだけ受け止めている。
「……林藤さんはおまえとは違う」
「おれのサイドエフェクトはそうは言ってない」
「おまえにどんな不確定な未来が見えていようと、俺はもうそれを選ばない」
「おれと寝てるから?」
「そういうことだ」
「複数の人間と寝るようなふしだらじゃない、レイジさんは。はは」
 ははっ、とひどく愉快そうに迅は笑った。とても好い冗談を聞いたというようにひとしきり笑ったあとで、「知ってたよ」と言った。
「目障りだったんだ」
「未来の話か」
「うん」
「俺の未来」
「うん」
 視界の端にちらついて離れないという、迅の視界の中の、どこかの未来のレイジ。レイジには見えていない未来の、迅には見えている未来の。レイジはそれについてひとしきり考えた。考えているうちに迅の手のひらは明確な意図を持ち始めた。レイジは小さく呻いた。意識が分断されてばらばらになりつつあった。それがレイジはけして、嫌いではなかったが。
「目障りだったんだ。だから消そうと思った。ボスとあんたが寝てるより、おれとあんたが寝てるほうが何千倍もマシな未来だよ」
「……それは、おまえの、決めることじゃ、ないだろう」
「おれの決めることだよ」
 迅は微笑み、レイジの急所を握った。いまや迅は本気でレイジを組み敷こうとしていた。このひょろひょろとした、いつまでもどこか子供じみたところのある男が、実際のところレイジを組み敷けるわけがないのに、組み敷かれてやっているのは結局のところレイジの選んだことだった。迅が選択肢を与えたとしても、それを選んでいるのはレイジなのだ。それはたしかなことのはずだ。たしかな、ことのはずだ。
 はー、は、と、呼気が漏れ、それからレイジはしっかりと目を閉じて、口を閉じた。呼吸を漏らしたくなかった。呼吸音を迅に与えたくなかった。それは羞恥を呼ぶから、それを迅に与えたくなかった。迅は楽しそうに笑い、今日既に一度迅を許したあとのレイジの最奥に指を這わせた。両方を刺激しながら、迅は心から愉しそうに、「未来がだんだん死につつあるみたいでよかったけど、まだ完全には消えていないから、レイジさんがおれを、ボスより好きになる日が来るといいのになと思うよ」と言った。
 そんなことを言ってしまったら逆効果ではないのかとレイジはもう言葉にすることができない。
 林藤と寝ることができるかどうかなんて考えたこともない。考えることもできない。寝たいかどうかなんて考えることもできない。そもそも男と寝る方法をレイジに教えること自体が間違っていたのではないかと迅に指摘することができない。レイジはばらばらになっている。ただ男のかたくて熱いものがやってくるのを待つことしかできない肉体になっている。
「めちゃくちゃになってるよ」
 迅が言った。
 そんなことは知っている、と、レイジは目を閉じたまま考えた。
「かわいそうに」
 俺はかわいそうなんかではないから無用な同情はけっこうだ。
「おれはあんたにはずいぶんいろんなことをべらべらと喋ってしまうけどそれはレイジさん、べつにあんたを信用してるわけじゃなくてさ、あんたがなんていうか、言ってしまえばバカだからだよレイジさん。おれがどんな話をしたかなんてだれにも話さないままちゃんとひとりでかかえこんでそうしておれが頼んだことはなんでも叶えてくれてしょうがないななんて言っておれに体さえ与えて自分の未来を自分の力でコントロールすることさえなくてだからおれはそれがとても目障りだったんだ。目障りで目障りで仕方がない、知っている人間が、知っている人間と、セックスをするなんて、それを、くりかえしくりかえしくりかえし、あらゆるパターンで視つづけるなんてもう、うんざりしてる、世界中の人間がさ」
 レイジはなにかをつかんでいた。ぱさぱさした、それは迅の髪だった。ぱさぱさしてきしんで指通りが悪く、ああシャンプーをなにか適当なものに変えてやらなくてはならないのではないかと遠くで考えた。俺やボスが使っているのと同じシャンプーじゃいけないんだろう。おまえも自分のシャンプーくらい自分で考えて買わなきゃダメだろう。とおくでそんなことを考えながらレイジは体をゆさぶられていた。もう迅がなにを言っているのかわからなかった。レイジはばらばらで、そこで行われていることがなんなのかわからなかった。
「世界中の人間がセックスなんてやめてしまえばこんなに気持ち悪くないのに」
 ふと、迅悠一はとても、気の毒な人間なのではないかと思ったあとで、こんなふうに好き放題をやっておいて、なにが気の毒だ、と、レイジは思った。二回目の射精があった。それからあとで迅がコンドームの中に射精したのがわかった。それで終わりなのかどうかはわからなかった。終わりはいつも迅が決めた。
 はじまりも終わりもいつも迅が決めた。

 目が覚めると朝だった。迅はレイジの傍らで、レイジに背を向けて、丸まって眠っていた。猫のように丸まって、縮こまって眠っていた。猫にしては図体ばかり大きかった。レイジはランニングに出かけ、帰ってくると陽太郎が起きていて雷神丸となにか熱心に話し込んでいた。レイジは朝食を作り、それから林藤を起こした。
「朝です」
 そう林藤に告げると、林藤は眼鏡をかけていないぼんやりとした顔でレイジを見上げ、「おまえはいつでも早起きですげーな」と、ぼんやりとした声で言った。
「なにか問題でもありますか」
「いや、すげーなって。眼鏡どこだ」
「どうぞ」
「あー、ありがとう」
「朝飯できてますから」
 そう言いおいて部屋を出た。「すげーな」もういちど林藤がいう声が聞こえる。ふとレイジは、迅の視界のなかにはこの男とレイジが寝ている未来があるのだということを思い出す。だからといってなんだということもない。林藤に性的魅力を感じるわけでもない。
 そもそもレイジはだれにも性的魅力を感じたことがなかった。
 性的魅力を感じているから迅と寝ているわけではない。じゃあどうしてと尋ねられれば、迅がそれを求めたからという他ない。ただ単にそれだけのことだった。自室に戻った。迅は丸まったままでベッドの上にいた。性的魅力を感じているから迅と寝ているわけではなく、同情しているから迅と寝ているわけでもなく、ただ迅と寝ることは不愉快ではなかったし、ほかの相手と寝る必要性も必然性もなにひとつ感じていない。
 迅、とレイジは呼ぶ。そうして何も考えないまま、迅の、困りきったような顔をして眠っている迅の、頬にキスをしてみる。べつにそれで迅が目を覚ますわけでもなく、レイジが迅に恋をするわけでもなく、ただたんにそれだけで、レイジは階下に降りてゆき、食欲がないという林藤に味噌汁だけでも飲めと勧め、陽太郎の食べっぷりを褒め、野菜サラダを咀嚼し目玉焼きに醤油をかける。迅は朝食を取りに降りてはこない朝だった。
 迅のぶんの朝食にはラップをかけて冷蔵庫にしまう。数時間後迅は目覚めてくるだろう。そうしてきちんと、用意された朝食を食べて、まるでさわやかな朝であるかのように、おはよう、と言うだろう。



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