たしかに真史は恋を知らないのだろうと、東と冬島が笑いながら揃って言った。やはりそう思うか、と真史が言ったときの声がやたらに深刻だったということで冬島はひとしきり笑った。謎の面子だったがこの集まりに真史は何度か呼ばれていた。ふたりで飲んでるとすぐに喧嘩になるんですよと東は笑いながら言い、「もし迷惑でなければ一緒に酒を飲んで仲裁をしてもらえませんか」と言われた。
「そんなに深刻な顔しなくても」
「もう30もとうに過ぎて恋愛を知らないでもないだろう」
「もう30も過ぎているんだから逆に、そういう志向なんじゃないですか。恋愛に興味がない、そもそも性欲がない、という連中はふつうにいますよ。開発室なんかごろごろいる」
「あとは人間相手じゃなくても勃起できるやつとかね」
「狙撃手は変態しかいねえのか」
「そうです」
「東くんを筆頭にな」
「あなたに言われたくない」
 それからかれらは笑いながらお互いの恋愛に関して罵り始め、その内実については真史は関与できなかった。彼らがなにを言い合っているのかまったく理解できないまま、コンドームに穴をあけるようなまねだとか、ハイエースだとか、よくわからない単語が飛び交う間に座って説明を求めるでもなくぼんやりと、自分の、恋愛、あるいはそれに似た、似ていると感じている感情について、思いを馳せていた。東と冬島が酔ってじゃれあいが口論になるまえに仲裁をしていいかげんにしろと言い聞かせてその日は終わった。
 恋愛感情を、知らないのかどうかわからない。恋を知らないと言われたのは昔のことだ。それは呪いのように、真史のなかにくすぶっている。
 城戸正宗の半身が不随になったことを空閑有吾は知らない。
 知らないままことばをしらぬ存在として帰ってきた。そのことを不当だと、彼は感じているだろうかと夢想する瞬間があった。夢想しても仕方がない、彼らの間にあったものを想像することなんかに、自分なんかがそれをすることに、意味はないのだとわかっていても、真史はときどきそれを夢想する。そこに彼らはいた。そこに彼らがいたということを。
 いまでは玉狛支部と呼ばれるようになった、かつてボーダーと呼ばれていた場所に、彼らは存在していた。彼らは圧倒的な存在で、彼らのことが真史は好きだった。胸を高鳴らせて焦がれていた。そのことを空閑有吾に打ち明けたこともある。これは恋なのではないかと。自分はたとえば空閑に恋をしているのではないかと。
 空閑は笑って答えた。おまえのそれはただ強いものに憧れているだけだ。恋とは違う。おまえは恋を知らないんだよ。
 たぶんそのまま、知らないままで、ここまできている。
 ノーマルトリガー最強の男と呼ばれることに対する、ずっと続くかすかな違和感と安堵感。自分はそれができる。自分にはそれができる。ここに自分がいることで止められる。
 城戸正宗はまだベイルアウトという機能が開発される前、市民を庇って半身に重篤な傷を負った。そもそも彼がゆっくりと衰えていることに、真史もたぶん林藤も、気づいていた。最上宗一は、おれももうじきだな、と笑って言った。そうやって残酷な言葉を残して最上宗一も消えた。
 城戸は換装すればいまでも戦える。けれど彼はそれを望まない。彼は最強と呼ばれるべき男の名を口にする。忍田くん、と呼ばれる。
 口論をしていた。
 いつもどおりの口論で、そこで城戸に対して真っ向から対立し続けるのが、真史の役割だった。城戸はなにもかも見通しているような目をして、真史をじっと見ていた。射抜かれる感覚のさなかにいることは戦うことに似ていた。真史はながく弧月を握っていなかった。いつも脳のどこかでじりじりとなにかを待っているような感覚がある。ほんとうはこんな場所にいたくなどないという感覚が。城戸はそれを感じないのだろうか。城戸はいつからこんなふうに変わってしまったのだろう。この組織はどこへ行こうとしているのだろう。かれらは昔もっと素朴な組織でもっと原始的な闘争をおこなっていた。そこにはあたたかなものがたしかにあった、城戸正宗のなかには、あたたかなものが、たしかにあったはずだったと真史は思う。
 会議室のなかに真史の声とそれから鬼怒田や根付の声ばかりが響いている。城戸は黙ったまま指を組んでそれを聞いている。閉ざされた氷の城のように彼はそこにいる。
 ぴん、と、声が鋭く場内に響いた。自分の声だった。その声はどこか城戸に似た、声だった。
 かつて彼らは三人だった。
 ただひとり残って真史の目の前にいる。それだけ。
「……あなたが」
 真史はただひとり残った男を見つめている。城戸が肉体を損傷したとき最上はあるいは彼を救おうと少しでも考えただろうか。もしもっと重篤な怪我だったとしたら。空閑が息子にしたように城戸を。わからない。結局最上は、次は自分の番だ、と言っただけだった。
 昔彼らは、三人だった。
「城戸さんあなたがこの組織を間違った方向へ進めるとしたら私は全力であなたを止めます」
 殺します、と言葉にしなかった、その言葉はおそらくきちんと城戸のなかに届いていた。城戸正宗はまっすぐに真史を見て、
「やってみろ」
 と言った。
 昔彼らが三人だった頃、真史がなにか新しい訓練を思いつくたびに、そう言ったように。
 その日、夢を見た。
 真史はそれを淫夢だと思った。
 夢のなかで城戸正宗は弧月を手に立っていた。真史は彼と交戦する力を持っている、もはや彼を凌駕する力を持っている、真史は彼を負かして勝つことができることを知っているのにそのことをかなしみながら城戸に対峙し、そうして、
「俺を殺してください」
 と、
「あなたを俺が殺す前に、あなたが俺を殺してください、今度こそ、あなたの手で」
 と、少年時代の一人称で。
 俺をはやく殺してください。あなたが殺せないままあなたを残して死んでいった、あなたの、盟友のかわりに、今度こそ。あなたがあなたの手でとどめておくことができなかった彼らのかわりに、殺してください。だれを求めているのか自分でもわからない。ただそこに残っているのは城戸正宗だけなのだ。
 昔彼らは三人で、そうしていまはひとりしかいない。昔彼らは三人で、ふたりとも城戸正宗を置いて、ロストしてしまった。そしてここに忍田真史がいて、目覚めた彼の体は、ずくずくととほうもなくなにかを探して追い求めて熱をおびていて真史は顔を覆う。
 それは恋ではないと空閑有吾が言った。
 けれどこれ以上に強い感情を、ほかに知らない。



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