たぶん俺は間違ったことをしている、そう悠一は思う。間違ったこと、けれど、かつて嵐山准が言ったように、それは意味のあることでもあった。たしかにそれは、意味のあることでもあった。
 無人の放棄地域を歩く。おでんがさめないようにけれどこぼさないように急ぎ足で歩いて行った先の、小さな部屋を勝手に使っている。高い高いマンションのてっぺんで、犬を飼っている。
「准」
 そう呼ぶと、罪悪感が減るので良かった。そこにいるのは、かつて悠一が嵐山と呼んだ友人ではないのだと、そういうふうに思えるから、そう呼ぶのが好きだった。ぽかんとした目つきで「准」は悠一を見る。けれどごまかすことはできない。そこにいるのはまぎれもなく、嵐山准だ。
「ゆういちくん」
 嵐山はぽっかりと空洞のような声でそう呼ぶ。
 そう呼ぶように、悠一が教えた。
「じゅんはゆういちくんがすきです」
 そう言うように、悠一が教えた。
「おでん買ってきたよ。あったかいやつ、あったかいの、あんまり食べれてないだろ、夏でもちゃんと、あったかいの、食べないとな」
「あったかい」
「そう、あったかいの。まだちゃんとあったかいよ」
 差し出すと、嵐山は口をあけて、差し出されるままに、串にささったつくねを食べた。
「おいしい?」
「……じゅんはゆういちくんがすきです」
「うん」
 悠一は嵐山の頭を撫でる。そう言うように教えた。だからそれしか嵐山はもう喋ることができない。嵐山を壊したのは悠一ではない。でもそれを止めなかった。
「じゅんはゆういちくんがすきです」
 それ以外の言葉を、嵐山は知らない。
「ごはん食べたら、お風呂に入ろうな」
 水も水道も止まっているから、近くの川から汲んでくる水をガスコンロで沸かす。携帯トイレを使わせる。食べ物はコンビニで買ってくる。そんな生活がいつまで続くものかわからない。けれどいまここに嵐山はいて、まっすぐに悠一だけを、みつめているのだった。

 嵐山准という個体は、常に、オリジナルなラブストーリーだった。だから大丈夫だった。嵐山はいつもなにかをあらゆるものも三門市を、愛し続けていた。だから悠一は嵐山が好きだった。嵐山准があらゆるものを愛し続けるところを見るのが好きだった。大丈夫な愛を悠一は見たかった。
 だからなにひとつ止めなかった。なにを予知しても。
 嵐山はいつも、だめな男と寝た。
 想像できる範囲において、あらゆるだめな男、なぐる男、金をせびる男、罵倒する男、でもみんな、嵐山の仕事をやめさせはしなかった。嵐山の仕事は金が儲かったからだ。彼らはみんな嵐山からできるだけ金を搾り取りつづけて、嵐山はいつもありったけのものをありったけ、与え続けていた。
 悠一は、時々、そのことがなにより、一番、ひどいような気がした。
 嵐山の仕事をやめさせなかったこと、誰ひとりして、嵐山を誰かひとりの持ち物にはしなかったこと、嵐山は愛の民だったけれど、だれかひとりの愛の民にはついにならなかったこと。そのことが一番、ひどいことだったような気が、していた。
 けれどそれは悠一の勝手な期待でしかなかったのかもしれない。
 嵐山は広報特別給のついたA級手当でだめな男たちをやしない続けそしてその対価として暴力とだめなものを受け取り続け、そしてある日、ぼろぼろと壊れた人形みたいにして道端に捨てられているところを、悠一は拾った。
 そこまで予知したうえで、そこにやってきて、悠一は拾った。

「じゅんはゆういちくんがすきです」
 機械のようにそう、嵐山は言う。嵐山はもうにこにこと笑うことはない。ぽっかりと空白に満ちた目をして、じっと悠一を見る。高層マンションの一室。嵐山が窓を開けることを知ったら、嵐山は簡単に、自分の命を、絶つことができる。
 行方不明になった嵐山をこっそりと飼っていることがばれたとき、きっと悠一は許されるだろう。ボーダーの顔として知られた男がこんなふうに壊れたことを知られたくなかったのだと、なにより友人であるからこそ耐えられなかったのだと、その言葉はきっと信じられるだろう。
 けれどそれは本当の理由だろうか。
 悠一は嵐山の頭をそっと撫でる。嵐山准はいまでも愛の民だ、きっとそうなのだろう、そうだから悠一は、その、ただ教え込んだだけの言葉に、救われているような気がする。俺はたぶんだれかが欲しかった。そう悠一は呟く。俺はたぶんだれかが欲しかった。それがおまえだったのかどうか、わからないんだ。俺にすら。
 俺にすら、おまえをたったひとりのための愛の民にすることができるのかどうか、わからないんだ。
「じゅんはゆういちくんがすきです」
「……明日またおいしいごはんを買ってくるよ、そうしたらおまえは、食べてくれるんだろ。准。おまえは俺がやるものを、なんでも、食べてくれるんだろ」
「じゅんは」
 くり返し与えられる、拷問のような愛の言葉。



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