暴力とは求めるということだ、と嵐山准は思う。
 だからといってなにもかもを与えるわけにはいかないし、たとえば近界民がかれらをもとめてやってきているという理由でかれらを受け入れることはできないように、暴力の全てに屈することはできない。けれどそれが准の守るべき存在、三門市民が、准にたいして与える暴力であればどうだろう。どうだろう、のけっかとしてここに准の生活があり、准は今日も作った料理を捨てた。食欲がなかった。
 食べ物を粗末にしてはいけませんと言われて育ったのに准は、最近ずいぶんたくさんの食事を捨てている。食べるべき人は帰ってこなかったし、食べるべき人はその食べ物をいつもだめな食べ物だと言ったし、そして准は食欲がなかった。捨てた食べ物はもう食べ物のかたちをしているようには見えなかった。どうして泣いているのだろう、と准は思った。泣く理由があるかどうか、准には判断ができなかった。
 恋人と暮らし始めて四年が過ぎていた。それは准がボーダー隊員となってからの年月とほとんど等価だった。准は殴られることは平気だった、むしろ殴られることを愛していると言ってもよかった。けれど作った食事を捨てることはいつまでたっても堪えた。ただ作った食事を捨てる、それだけのことなのに。鮭のムニエルの骨を取ること。米は固めに炊くこと。玉ねぎを使わないこと。そうしてそのすべてを守ったあげくそれは食べられないで廃棄されること。その全て。
 その全てだ。
 ゴミ箱の前にぺたんと座って、准はぼんやりと泣いている。どうして泣いているのかわからない。四年間。シーツにアイロンをかけること。毎日床を磨くこと。そうして毎日崇高な儀式のようにきちんと殴られて安定すること。安定する、そうだ、准は、恋人に殴られると安定した。自分は必要とされている、この人に必要とされている、俺じゃなきゃできないことをしている、大丈夫、今日も殴られた、大丈夫。
 そう思いながら殴られている最中にごめんなさいごめんなさいと気が狂ったように繰り返していること。
 だって殴る方が辛いだろう、だから俺は謝るんだ、そうだ、と准は思う。かわいそうだった。かわいそうでだから大事にしてひとつもつらいことのないように幸せに幸せにしてあげたかった。なにもかも全て不足がない美しい完璧に整った、准と恋人の愛の巣、そして、准は重い体を引きずって、壁についた赤い痕を消してから眠らなくてはならない。抱かれた日も、抱かれなかった日も。
 着信音が鳴った。准は弾かれたように立ち上がった。昔、弟妹に吹き込ませていた着信音を使うのはやめてしまった。怒られるような気がして、怒られる前に、あたりさわりのないコール音に変えた。恋人は、准はだれかほかの相手を好きでいることを嫌った。それを口に出すことは許されなかった。しだいに、准の口にすることば全てが否定されはじめた。准が悪いのだろうと思った。彼は傷ついていて守ってあげなくてはならないのだから、守ってあげなくてはならないのだから、大切に、大切にして。
 電話が鳴り続けている。心の底からおびえている自分に准は気づいている。誰かが准を呼んでいる。准のこの美しい完璧な守られた世界の外側から准を呼んでいる。わかっている。わかっている。わかっているのだ。
 深呼吸をした。電話に出た。

 弟の話をしたとたん、涙を抑えられなくなった。
 どうしても家から出ることができないと思い、どうしても家からでなくてはならないと思い、だって家に招くと叱られる、家に誰かがやってきた痕跡を少しでも残すと叱られて悲しい思いをさせるからそうするわけにはいかないから出かけていかなくてはならなくて、ファーストフードショップで待ち合わせをした。准がちぐはぐな様子をしていてもそこならたぶん浮いたりしないだろうと思ったからそこにやってきて准は、できるだけ上手に笑っているつもりだった。
 迅は、近くまで来たから、と言って、いつもよりやさしかったような気がする、そうして、副に会ったと迅が言ったとき、准はこらえきれずに顔を覆った。副に会いたいと思った(けれどそんなことは思ってはいけないのだった)。佐補や家族や愛犬に会いたいと思った(けれどそんなことは思ってはいけないのだった)。ここで迅に会っていることだって間違ったことだったと思った。だけどいつからそうなったのだろう。いつからすべてを差し出さなくてはならなくなったのだろう。いまはまだ仕事はできている、ボーダー隊員であることをやめろとは言われていない、けれどテレビを見てはヘラヘラして気持ちが悪いと言われるからきっと、それは、近いうちに、そうしたら。
 目の前に置いた野菜ジュースのブリックパックには手をつけていない。
 迅が笑って、そっと、カウンターのとなりに座った准の背中を抱いた。
「大丈夫だよ、嵐山はよくやってる、頑張ってる、おれはちゃんと知ってるよ。おれは全部視えてるんだから。おれは嵐山のやってることは正しいと思うよ。大丈夫。立派なことだよ。すごく立派なことだ。嵐山を誇りに思うよ」

 そしてそれは全部嘘だ。
 玉狛支部近くのスーパーマーケットのトイレの便座に首をつっこんで、迅悠一は、ファーストフードショップで口にしたものをすべて吐いた。咳き込みながらトイレの床にべったりと座り込み、目の前をかけぬけてゆく未来視をみつめた。ファーストフードショップに出かけていっていたことがバレて嵐山は殴られる、でもつらいとは感じていない、なぜなら悠一が、麻酔を打ったから。
「……もっとダメになって」
 悠一は小さな声で呟く。どうして自分が泣いているのかわからない。すべては願い通りに動いている。観測された未来は悠一の作り出した通りのかたちをして、とても調和している。悠一が嵐山准を作り出している。ほかならぬ迅悠一自身が。
「もっとダメになって、……おれだけを信じてよ」



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