迅はリングノートを開き、メモを書いている。そのメモはおよそ悪趣味なものだ。迅は嵐山准の未来について文章を書いている。嵐山准は今日も殴られる。年上の恋人に今日も殴られる。迅はそのビジョン、視えているビジョンを克明に詳細に書き留める。嵐山准が笑って、俺は大丈夫だよと言う。言った、そういうことも。
 全部知っていた。全部知っていて止めなかった。
 嵐山がダメになっていくところが見たかったから、止めなかった。

 救えるはずだ、と思った。
 いつもくらい部屋だった。明かりが灯っていると鬱陶しいといって叱られた。だから准はいつも暗い部屋のなかで一生懸命に部屋を掃除して料理を作った。十七歳の夏だった。窓をあけても空気はこもったままだった。
 はじめは、放棄地帯に住んでいた。ねえここに住んでると捕まって問題になるよそういうの困るんだごめんなさいお願いしますと懇願して、准は、新しい部屋、きれいな部屋を男に与えた。そうしてふたりで暮らすようになった。親には、A級の任務で本部の近くに住まなきゃいけないんだと嘘をついた。准はその頃嘘をついてばかりいた。マンションの一室。クーラーを嫌いな男のためにクーラーをつけないでも涼しいように工夫をしては、余計なことをすんなと殴られていた。
 いつも殴られていた。
 十七歳の夏だ。なにをどうしたらいいのかわからなかった。ただいつも准はにこにこと笑い、ヘラヘラすんなと叱られていた。ヘラヘラすんな気分悪いんだよ、てめえが笑っても死んだやつは戻ってこないんだよ、てめえが悪いんだろうが。それは正論だった。正論だと思ったから准はそこを離れられなかった。
 准が交際していたその男は二十歳ほども年が離れていて、娘を、近界民に殺されていた。
 体が動かなくなるまでぼこぼこに殴られた。それが最初だった。てめえが、てめえらが、てめえらがあの子を殺した、そううわ言のように言い続ける男を、准は殴り返すことができなかった。痛みを感じながら、トリオン体でなくてよかったと思った。ちゃんと痛みを感じられなければ意味がないと思ったから、トリオン体でなくて本当に良かったと思った。起き上がれなくなるくらいまで殴られたあとで准は、男の腕を掴み、「俺と、いっしょに、いてくれないか」と言った。懇願した。だって可愛そうだった。だって可愛そうだった。
 十五歳だった。ボーダーの顔役として広報の活動をしはじめたばかりの頃だった。おまえがテレビでへらへら笑っているから腹が立つのだと男は言った。じゃあ俺はあんたを救いたいと准は思った。
 ただそれだけだった。

 嵐山さんの、トリオン体以外の姿を全然みていない、そう時枝は思い、そうしてそれは、嵐山が言った一言で、決定的になった。
「充、俺の顔は、変じゃないか。気持ちが悪くはないか」
 嵐山と組んで広報の活動をするようになって数年過ぎていた。その瞬間、時枝は天啓を得るように、おかしい、と思った。嵐山准の笑顔が気持ちが悪いだなんて、そんなはずはない。誰が見ても好感度が高い、そういう顔なのに。
 不安はいくども広がっていった。私服で出歩いている嵐山が、そそくさと身をひそめるように歩いているとき、足をひきずっている。あるいは腹に手を置いている。顔に傷はない。けれど。
 蓄積されていく恐怖。嵐山さん、どうして、けれど時枝はそれを、口に出すことができない。

 ねえセックスしよう、そう准は言った。ねえセックスしてよ、俺あんたのこと好きなんだ、ねえ。痛くても平気だったけど面倒をかけるのはいやだったからいつも事前に準備をした。肛門にゼリーを仕込んで、乳首をかんじやすくいじって、そうして派手な嬌声をあげた。そうして愛し合っているふりをしていた愛し合っているふりをしていたあいしあっているんだと、おもおう と していた。
 殴られると安心した。俺はこのひとのしたいようにさせてあげられると思って安心した。

「嵐山さん、彼氏に殴られてるらしいじゃん」
 そう当真が言うと、迅は一瞬、ひどく底光りする目つきで当真をみて、笑って、「知ってるよ」と言った。
 うわあ、と当真は思った。
「やべーじゃん、ボーダーの顔だぜ。DVいきすぎて死んだりしたらどうすんの」
「さあ? 嵐山の問題だろ」
「つっめって。俺奪っちゃうぜ? 見てらんねーよ」
「誰から聞いたんだよ」
「とっきー。泣いてたぜ、あいつ」
 あーあ、と当真は声を上げ、「迅さんひでえよ、そんな人だと思わなかった、視えてんだろ」と言った。
 だからなんだよ、と迅は思った。
 だからって善人になる必要はなかった。……そんなことはなかった。ウソだった。
 ただだめになっていく嵐山が見たかったんだ。
 
「嵐山」
 迅は嵐山の手をつかんでいる。嵐山が、自分に向かって包丁を握っている。男はそれをじっと見ている。嵐山。もう一度迅は言った。嵐山の腕がふるえた。
「迅、俺は、死ななきゃならない、俺は、この人を、救わなくては」
 迅は嵐山の手をじっと掴んだまま、そこに転がった男を蹴った。力を込めて蹴った。
 嵐山が悲鳴をあげた。「ゆるしてくれ」そう言った。「さびしいだけのひとなんだそれだけなんだ、ゆるしてくれ、俺が力が足りなかったんだ、ゆるしてくれ迅、ゆるしてくれ」迅はくりかえし男を蹴った。男はひいひいと悲鳴を上げた。どうしてここに来てしまったのかわからなかった。ただ俺は泣いている嵐山が見たかった。
 俺は泣いてだめになってくるしんでそれでも、神のように天使のように清らかなまま、ゆるしてくれ、愛してくれと、そう囁くことしかできない嵐山准が、見たかったんだ。



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