「退屈だったらいなくていいんだよ」
 そっと耳打ちした迅が、そのまま准の手を引いて、するりと部屋を出た。暗躍が趣味だと公言しているだけのことはある、あざやかな手つきで、そうして准は部屋の外に拐われた。酒を飲んでいる席でのことで、もちろん准は飲んでいなかった、未成年だから。ボーダーは規律が厳しく、法律に違反することはもちろん隊務規定にも違反した。トリガーの没収をかけてまで未成年飲酒を試みるものはいなかったしもちろん周りの人間も飲ませなかった。
 いつも准は呼ばれないのにその席にはめずらしく呼び出されていて、わいわいとにぎやかに成人した隊員たちが酒を飲んでいる姿を、末席で眺めていた。あまり喋っていないこと、うまく会話にはいりこめないでいることに、どうして迅は気づいたのだろう。
 走ろう、と迅が言っていきなり走り出した。あわてて准は追いかけた。けれど慌てることなんてなかったのだ、准はやすやすと迅に追いついてしまった。夜の街で迅ははあ、はあ、と息を切らし、「追いつかれちゃったな」と苦笑して言った。そうして、あー、と、いきなりおおきな声を出した。繁華街の人々が驚いたように振り返った。けれど繁華街ではよくあることなのだろう、そのまま迅の声は闇のなかに流れて道行く人々もほとんど気に止めないまま流れていった。
「かっこわるいね、おれは」
 迅はしゃがみこみ、准を見上げて、言った。
「……よく、わからないが。俺には迅はいつでも、十全な存在に思えるぞ」
「十全?」
「いつも全てに意味があるというふうに思える」
「……おまえいつもそう言うね」
 はは、と迅は笑った。繁華街の道端にしゃがみこんで、はあ、ともういちど、ため息をついている。
 准ははっと気づいて、「お金」と言った。
「え?」
「お金。払わずに出てきてしまった」
「ああいいよそんなの、太刀川さんのおごりだよどうせ」
「そんなのは悪いだろう」
「いいんだよ。……ごめんな」
 くい、と迅が准のスラックスを引っ張る。准は引っ張られるままにかがみ込んだ。首にするりと指が回され、ちゅ、とくちびるが合わされた。准は目をみひらき、それから、ははっ、と声を立てて笑った。笑いながら迅の頬をぱちんと、ほんの軽いしぐさでじゃれつくように叩いた。「やめろ」
「ちぇ」
「公道でなにをやっているんだ」
「私道ならいいの」
「……場所による、かな」
「本部でなら?」
「それも、場所による」
「玉狛では」
「馬鹿」
 わかりきったことを聞くなと准は苦笑し、「ほら、立て、いつまでしゃがみこんでいるんだ」と頭をくしゃくしゃとかき回した。
「落ち込んでるんだよ」
「どうして」
「おまえああいうの苦手だろ、酒とか、宴会とか、酔っ払いとか。……みんなで集まる、とか」
 ぐ、と准は言葉を詰まらせた。笑顔を保ったまま、それでも准は結局息をつき、「……かなわないな、迅には、お見通しだからな、なんでも」と、笑みを混ぜたままでけれどやっぱりそれは苦笑いだった。准はあまり友達がいない。うまく付き合いが持続しないというか、会話がうまくかみ合わないというか、いやこれは准が感じていることではなく、周りの人間が言うことなのだけれど。兄ちゃんは正しすぎる、と、いつだか弟の副がほとんど投げやりな口調で言っていた。付き合うのが、めんどくさくなるんだよ、それは、悪いことじゃ、ないのかもしれないけど、でも、正しすぎる。
 皆が楽しそうにしているのを見るのは好きだった、好きだと思っていた。思っていたはずなのに、どうして迅はそこで、居心地悪くしている准を、見抜いてしまったのだろう。
「……柿崎やおれを呼ぶのに、嵐山だけ呼ばないのはおかしいだろって、太刀川さんにおれが言ったんだ。嵐山が広報で忙しいからって、太刀川さんだってレポートも出さずに遊んでるくせに、言い訳になんないよって。なんていうか、ハブにする、みたいなの、よくないだろって言ったんだよ。おれが。でもさあ。……わかってたからさ、おれは」
 はあ、と迅は、もういちどため息をついた。今日の迅はため息をついてばかりいる。准はなんだかかわいそうになって、もういいからと言いたくなって、迅の頭をくしゃくしゃと撫でた。くしゃくしゃと撫でつづけていると迅はこらえきれないようにくっくっくと笑い、「おれは犬じゃないよ」と言った。
「犬みたいなものだろう」
「……ほんとはおれは嵐山が宴会とか苦手なの知っててさ、ていうか、視えてて、視えてたのに、居心地悪そうにしてる嵐山が、……見たかった、です」
 准は、きょとんと目を丸くして、迅を見つめた。迅が目をあげた。目があった。ばつのわるそうな顔をしていた。こんな顔を、あけすけな顔を、迅悠一にさせることができるのは俺だけかもしれないな、と准は思った。腹の底から湧き上がるような幸福感がやってきて、どんと胸のあたりで爆発した。そうして准は、赤面した。
 迅がぱちくりとまばたきをした。
「……どうしたんだ?」
「いや……」
 顔がひどく赤い。よくわからない。よくわからないけれど迅に、好きだ、と言われた、ような気がした。迅に、おまえが特別でおまえが見たくておまえのすべてをさらけ出して欲しいと、言われた気がした。見せて欲しいと、言われた気がした。ひどく隠微な、そう、いやらしいことを、言われたような気がした。ただ宴席に出かけて行って居心地の悪い顔をして彼らの会話に混ざれなかったそれだけのことなのに、准は迅にいやらしい姿を、まるごと見せてしまったのだという、気が、した。
 そしてそれを迅が求めたのだということ。
「……好きだ」
「え?」
「好きだ、と言ったんだ!」
 准はほとんど怒鳴りつける口調で言った。声の大きさに振り返る人がおり、ひやかす声も上がった。准は耐え切れず走り出した。おい待てよ待ってまじ待ってくれよと迅が言う声が聞こえた。ああ待ってやるさと准は思う。待ってやるとも待ってやるとも走り終わったらそのときには。どうせ准と迅はこれから玉狛に行ってやるべきことをやるのだから最後には同じところにたどり着くことになっているのだからいくらでも。
 ――おまえに俺も言いたいことがある。
 宴席は苦手で、うまくなじめなくて苦手で、けれどそこでするすると立ち回っている迅悠一を眺めるのは、美しい芸術作品を見つめているようで准はとても好きだ。迅は誰にでも上手に話しかけ、誰とでも笑い合って、迅を嫌っている相手とでも結局はそれなりに会話を成立させてしまう。ほんとうにそれは素晴らしいことだと准は思う。迅はかっこいい、迅は十全だ、迅はいつも、なにもかもをみきわめて、なにかを、すべてを、叶えようとしている、俺はおまえのそういうところが、すごく、かっこいいと思うよ。
 空を見上げた。夏空に蠍座がみえた。スコーピオン、迅と准とをつなぐ名前に准は手を伸ばし、喉から声を発して、「好きだ!」ともういちど、声をあげた。
 ずっと引き離したうしろを走っているはずの迅はきっとその声を、聞いていない。



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