「なんて顔してるんだ」嵐山は笑った。シャワーをあびたあとのやわらかな湯気をまとって、まだ髪を乾かしていなかった。なにひとつ傷ついていない顔をして、実際なにひとつ、傷ついていないのだろうと思えた。いつも嵐山はそうだったから、傷ついていないのだろうと思えたし、そのことを悠一は知っていた。
 悠一は黙って、鏡の脇のドライヤーをとりあげ、嵐山の髪を乾かし始めた。指先でぱらぱらと髪を散らしてやって、髪のなかにまぎれこんだ精液のかけらを、全部払いのけようとした。そんなことをしなくたって、嵐山は髪を洗ったのだから、そこにはもう痕跡は残されていないはずなのに。
「視えたのか?」
「……遅くなってごめんな。ぜんぜん間に合わなかった」
「構わないさ、たいしたことじゃない」
 とたん、悠一は怒鳴りつけたくなり、けれどそんな必要はなかったので、まったくなかったので、鏡の向こうの嵐山に向かって曖昧に微笑んだ。いったいこいつは自分がされたことを理解しているのだろうかと悠一は思った。
 嵐山がワゴン車に乗せられて、放棄地帯へ連れて行かれる、市民を人質に取ったと言われる、駅に爆弾をしかけたと言われる、それは嘘だと嵐山は数語の質問で暴く、けれどその上で彼らの要求を飲むのが嵐山准という男で、待受画面に設定した嵐山の写真を見たとたん悠一がそれを視いだしたのが、嵐山がまさに乱暴な挿入をされながら顔に精液を撒き散らされているその瞬間だった。そのあとの展開はすべて穏便で、穏便としか言い様がない、笑ってしまうほど穏便で嵐山は陵辱の限りを尽くされた結果そこに放り出されて男たちは去っていって終わりなのだった。
 嵐山はそのあいだ一貫して、起こっている出来事がよく理解できていないというような中途半端な表情を浮かべて、殴られれば呻き、強引な挿入には苦悶の表情を浮かべ、しかし、たぶん。
「……おまえ自分がなにされたか、わかってるのか」
「説明をするようなことでもないだろう、たいしたことじゃない」
 たいしたことだよ。……たぶん理解していないのだ。要するに嵐山准はレイプされたのだった。ワゴン車に乗った男たちは悠一の通報によって確保されており、記憶処理を行なって嵐山の写真のデータを(クラウドからも)抹消されている。嵐山が看破したとおりただのチンピラで、写真を撮ったのもちょっとした小遣い稼ぎ程度の目論見だったらしい。
 目の前で、嵐山の裸がちらつく。未来視で視たそれは写真よりよほど鮮明で悠一の感覚を抉った。ぽかんと、何をされているのか分かっていないようすの嵐山の口にねじこまれる男性器。がくがくと揺さぶられる体。ろくに慣らされもせずに挿入され、苦悶の表情を浮かべながら、けれど嵐山は結局、困ったように笑っている。小さな子供のわがままを、受け止めてやっているだけだというように。
 糞、と悠一は内心舌打ちをし、けれどそれを表情には載せずに、ただ嵐山の髪がもとどおりぴょこぴょこと跳ね回るようになるまで乾かした。そうして襟足に唇を落とした。
 他人の分まで傷つく必要などないのだと思ったから他人の分まで傷つくのをやめた。先回りして傷つくのをやめてなにもかもを笑い飛ばして面白がって操っていつでもふざけていることがいちばん良いことなのだと思っていた。それなのにどうしても、どうしてもだ、悠一は嵐山のせいで傷ついてしまうから、これは結局悠一のためのしぐさなのだった。
「これから病院か?」
「ああ、そうだな、行かなきゃいけないだろうな」
「あたりまえだろ」
「終わったら、今日は玉狛に来いよ」
「……どうかしたのか?」
「どうかしたのはおまえだろ」
「たいしたことじゃないって言ってるだろう」
「たいしたことじゃないと思ってるならなんで最初に風呂なんだ?」
「それは……」嵐山は首をかしげ、「どうしてだろうな」と言った。ほんとうにどうしてだかわからないという言い草だった。悠一は笑ってしまう。汚いと思ったからに決まってるだろう、他人の精液なんか浴びせられて、汚いと思ったから換装して汚れを知られないように本部に来て、シャワールームで換装を解いて精液を流して、痛みが走る体でふらふらと座り込んで、……そこにやっと、悠一はたどり着いたのだ。たいした王子様だった。
「おれのために来てくれよ」
 そう言うと、嵐山は困ったように笑って、「仕方のないやつだな」と言った。それはこっちの台詞だよ、と悠一は思った。

 未来視のなかの嵐山は、喘がないし快楽も感じていない。だから男たちはつまらないと思っているようすでもある。みじめに堕ちたアイドルの絵が取れなくてつまらないのだろう。けれど悠一にとってはそれは存分に刺激的な絵であってそうしてひどくうちのめされる光景でもあった。う、うぐ、と声をつまらせて男のものをくわえ、じゅぶじゅぶとイマラチオをさせられて目に涙をうかべ、そうされながら下半身はずんずんと深くえぐられてそれは性交ではなく暴力に過ぎず、けれどそれでも嵐山は笑っている、笑っているのだ、困った顔をして、そこで行われているできごとが、全部、理解できないからしょうがないなという、顔をして。
「まず風呂」
 嵐山がやってきたのは夜更け過ぎだった。対策会議が設けられて説教をされたと嵐山は、あいかわらず困ったように笑いながら言っていた。大したことじゃないのになとあいかわらず、言っていた。
「風呂? さっき入ったぞ」
「いいから」
 温水シャワーで十分にあたためた浴室で、嵐山の体を、ふわふわの泡をすべらせて洗った。泡でくるみこむようにして執拗に洗ってゆく悠一に、嵐山は怪訝そうな顔をしながらやはり笑って、したいようにさせていた。体を洗い、髪を洗った。目をとじさせて、顔のかたちを確認するように指を滑らせた。
 全部洗い流したあとで、それから歯磨きをした。子供番組でやるように、口をあけさせて、口の中をすみずみまで磨いた。仕上げに唇にキスをした。悠一の使っている甘ったるいメロンの味の歯磨き粉の味のするのキスだった。ほんとうは唇の奥に隠されたものを全部舐め取りたかったのだけれどきょうはダメだと思ったから、それはしなかった。きょうはえっちなことは抜きだ、と、悠一は決めていた。嵐山准をこれ以上消費してなるものか。
 小南からまきあげた、溶けていくなかから星がきらきらと湧き出すバスボムを入れた浴槽に嵐山は浸かった。嵐山は「なんだか女の子みたいだな」と言いながら、しかし「きれいだ、それに、いい匂いだ」と言った。心を穏やかにするラベンダーの香りのなかで悠一は浴槽の傍らに座り、嵐山の髪を撫で、それからキスをした。ひたいに、まぶたに、頬に、唇に、持ち上げた指先に、肩に。やさしく触れるだけのキスをして、嵐山はくすくすと笑ってばかりいた。
「子供扱いされてるみたいだ」
 バスタオルでくるんで頭を拭いてやっていると、笑いながら嵐山は言った。
「そうだよ」
 悠一は答えた。
 悠一の私室で、これは月見に頼んで選んでもらった、ボディクリームで嵐山の体をなでると、嵐山はひどくくすぐったがって笑った。悠一は教本を眺めながら、これが自律神経のツボ、これが安眠のツボ、と、ボディクリームまみれの嵐山の体をつついた。ほとんどじゃれあいにすぎないその交歓のあと、気がついたら嵐山は目をとじて、眠りについていた。悠一のTシャツと悠一のスウェットを着て、悠一のベッドで、ひどく無防備に。
「……そんなだからさあ」
 悠一は小さな声でつぶやき、あー、と声を漏らした。嵐山は幸福そうに笑っていて、今日起こった出来事など忘れたようにみえる。悠一は嵐山を全力で甘やかしているあいだずっと嵐山の痴態、痴態とも呼べないあの暴行のようすをフラッシュバックさせて苦しんでいたというのに嵐山のほうにはかすかな傷すら、残されていないように、思える。
「……傷つけられてるのはおれのほう、あまやかされてるのも、おれのほう」
 小さく吐息をつき、悠一は、ベッドの残された部分に潜り込む。この優しい男はいつだって、たぶんほとんど無意識に、ベッドの隅に寄って、悠一の場所を作って眠ってくれるのだった。
 腕を伸ばす。腕が巻きついてきた。眠っているはずなのにぎゅっと抱き寄せられて、甘い香りのなかで、悠一はほっと、吐息をついた。



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