迅が玉狛支部のいちばん奥に部屋を取ったのは「恋人ができるってサイドエフェクトが言ってたから」で、だから准がどれだけ声をあげてもおおむね誰にも声は聞こえていない……と思う……すくなくとも迅はそうだと言った。そうだとは言われたが悠一はそこでするとき必死で声を咬み殺す。玉狛支部のような健全さを絵に描いたような場所であられもない声を立てることそれ自体に興奮して更に加速する、とは言わないでおいたがおおかた迅は気づいていたのだろう。まあ考えてみたら世界中の人間がセックスの結果生まれてくるのだから性交渉が不健全だという考え方もおかしいのかもしれなかったが。
 とにかく迅のベッド、ふたりで眠るには少し手狭なベッドの上でそれなりの交渉をそれなりに、いや違うな、かなり激しく行い、そうして腕を回してぎゅっと体を抱き寄せて眠った。准のほうが先に起きた。いつも准のほうが先に起きて、迅の顔をゆっくりと眺める時間を楽しんでから、ゆっくりとまぶたをおこす迅に、「新しい朝がきたぞ」と、古い歌の通りに言い聞かせてやる。眠たそうな顔をした迅は、うん、と、ほとんど吐息のような声を漏らして、准のむねもとに顔をうずめてんんんとうなったあと、しょうことなしにというしぐさで准を開放してくれる。そうしてたいていは、もう一度そのまま、寝入ってしまうのだった。夜が遅かったから、と准はくすくすと考えるのだけれど、准自身は眠り足りないと思ったことはない。いつも爽やかに朝が来るとともに起きて、ランニングに出かけてゆく。
 木崎レイジと一緒にランニングをしたあと、朝食を作るレイジを手伝って、林藤と陽太郎と一緒に食事をとり、木崎に「今日の卵焼きは嵐山のです」と言われて「お口に合えばいいんですが」と言っていると、林藤はひとの悪い笑みを浮かべながら、
「レイジが嫁をもらったみてーだな」
 と言った。
 はは、と笑う准の横で、レイジは真顔で、「嵐山、迅はどうしたんだ」と言った。
「寝てると思いますよ」
「まあそうだろうなー」
 林藤があいかわらずの口調で言った。准は一拍置いて、頬の紅潮を止められなかった。大きな口を開けて卵焼きを食べようとしていた陽太郎が、きょとんと目を丸くして、「アラシヤマ、はずかしいのか、はずかしがっちゃだめだぞ」と言った。
「そうだな……」
 木崎は我関せずといった(もしかしたらよく意味が分かっていないのかもしれない、そうであると思いたい)様子でひじきの煮物を食べている。にやにやと笑う林藤から目を逸らして、もう、と准はため息をついた。

 それが朝のことで、レイジと准はふたり揃って大学へ向かい(迅はけっきょく起きてこなかった)、そのあと准は広報の仕事があり、ばたばたと一日を過ごしたあとではじめて、迅の家に、自宅の鍵を忘れたことに気づいた。時刻はずいぶん遅く、家族はもう眠ったあとだった。准は少し考え、ボディバッグを担ぎ直して、もう一度走ることにした。どうせここまでも走ってきたのだ、もう少し走っても大差ない、そう思って准はゆっくりと走り始めた。
 夜の街を走りながら、その日をゆっくりと反芻した。教養の授業で読んでいる古い本や、嵐山隊の部下が寄せるささやかな信頼、テレビ局の人々と交流すること、木崎レイジの作る玉狛支部の朝食、走り続けているような気がする准の生活。走って、走って、走って、どこまでも出かけていくために生きているように思えた。そしてそのさきに。
(おまえとおまえの作り出す未来がある)
 迅悠一は未来を見ているのではなく、未来を作り続けている。それこそを准は愛しているのではないかとときどき思う。もちろん迅のことはすきだ、迅のやさしさや、善意や、甘さや子供っぽさや、さびしがり、そういうところが全部好きで、その上でそれでもやっぱり、迅が未来を作ろうとしているから好きなのだろうと、だからこそ迅は特別な男で意味のないことはしないと言い続けていられるのだろうと、そう思う。
 そしてその未来に追いつき続けていられるように、准は走っているのだ。
 玉狛支部に向かう、放棄地帯の道路、その真ん中に、迅が立っている。准はそれを見つけて笑う。スピードをゆるめて駆け寄り、そのまま首に腕を回す。こんなことばかりしているような気がするなと思った。俺ばかり迅を好きなのかもしれないな、べつに、それでいいけれど。
「会いに来てくれたの?」
「視えてたんだろ。迎えに来てくれてありがとう」
「会えて嬉しいよ」
「忘れ物をしただけなんだがな」
「知ってる」
「それも視えてたのか?」
 なんだ人が悪いな、それなら教えてくれれば、言いかけた准に、迅はにやりと笑いかけ、たいそういたずらっぽい顔で、
「……おれが隠した」
 と言った。
 准は一瞬あっけにとられ、ぽかんとしてそれから、爆笑した。
「は、はははっ、……ははははっ、……迅、……迅かわいい」
「かわいいだろ」
「今日も会いたいって、言ってくれればいいのに」
「試したんだよ」
「愛を?」
「愛を」
「愛してる」
「知ってるよ」
 腕を回した。放棄地帯の道路の上だ。だれもいない。もう誰に使われることもない家が並んでいるばかりだ。他人の家を借りるのは悪いなあと思った准に、悠一が、「河原まで行こう」と言った。なるほど、と言ってから准は、なにがなるほどだ、と思って頬を赤らめている。振り返った迅が小さく笑い、准の、紅潮した頬に、くちづけを落とした。



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