資格とかいらないだろ、一生ボーダーで働くのに、それでも取るんだな、と迅は、笑いながら言った。どうして取るんだ、と尋ねないところが、迅悠一だと准は思った。
「自分がどこまでできるのか、知りたいからだよ」
 TOEFLを受けるから(そもそもTOEFLとはなにかという説明からしなくてはならなかったのだけど)英語の勉強をしなおしているのだと言うと迅は、なにもかもわかっているというようないつもどおりの声で、資格なんていらないくせにと言ったのだった。なるほどそれはたしかにそうだった。きっとボーダーという組織は永遠に存続し続ける(ゲートはこれまでもひらき続けておりこれからもひらき続けるだろうし、それを仮に強制封鎖しつづけることができる技術ができたとしてもその強制封鎖を行うのはボーダーであり、つまりボーダーはきっとこれから永遠に存続する機関である)のだから、そして准はボーダーを辞めて別の職を探す気はまったくなかったから、資格なんて特別必要ではないのだった。
「でも英語ができたら、外国の人が三門市で困っている時に助けられる、そうじゃないか?」
 迅は一拍おいて、「なるほど」と、笑みを含んだ声で答えた。
 Skype通話をしていた。迅はどこか野外で歩きながら通話をしているようで、ときどき、車の走る音が聞こえてきた。准は勉強をしていたから、ほとんど会話の相手にはならなかったと思うのだけれど、会話はできないぞと言ったのだけれど、それでもいい、と迅は答えた。べつにそれでいい、勉強してろ、かりかりとかぺらぺらとか、そういう音が聞きたいんだ。
「おまえの音が聞きたいんだよ、嵐山」
 ぐ、と准は言葉をつまらせ、こいつはまったく、と思う。たぶんわかった上で言っているのだろう。全部わかった上で、こういう、なんとうのか、気恥ずかしいほどの愛の台詞を漏らしてゆく。准はできるだけ明るい声で、「ありがとう」とだけ答えた。
 万年筆のインクの色が青い。
 迅の好むターコイズブルーのインクを入れた万年筆で、英文を書きながら、つながったむこうの迅が、埒もない話を続けているのを聞いている。迅は准に、ささやかな善い話をよく話してくれる。それを聞くたび、守られている、と思う。守られている。愛されている。ターコイズブルーのインクと迅悠一の爽やかな声で綴られていく甘い言葉に守られている。そらおそろしいほど幸福だな、と思った。頭がくらくらする、くらいに。
 指が疲れてペンから手を離した、ところで、かっきり測ったタイミングで、こつん、と窓に音がした。は、と息をついた准は、はははっ、と笑ってしまう。わかっていた。わかっていて准は窓をあけ、手を振った。
 待ってろ、とSkypeの画面に向かって言った。音を立てないように階下に降りて、玄関の扉を開けた。開けた途端に引き寄せられた。くちびるを奪う、という言い方が率直に似合う、勢いのあるそれを受け止めながら、体を抱き寄せた。深夜をまわって家中の人間が寝入っている。静かにしなくてはという気持ちと、いまなら大丈夫という気持ちと。
「……迅」
 我ながら困ったような声が出た。隣で弟妹が寝ている准の部屋で、こういったことはできない。でも深夜だ、という声が耳の中で響いた。でも深夜だ大丈夫だれも起きてきやしないさ子供達は眠っている――だめ、だろう。
「うん。わかってる」
 迅はあいかわらず笑みのこもった声でそう言い、准の手を、乱雑さの混ざった手付きで引いて、扉の外側に連れ出した。かちり、と扉が閉まる音、そこに背中を押し付けて、准は二度目のキスを受け止めた。体じゅうがぞくぞくしていた。口のなかを迅の舌が暴れまわって身動きがとれない。迅の背中に腕を回し、ほどんどしがみつくようにしながら、迅がそのことで痛みを感じないようにジャージだけをうまくつかもうと准は苦心した。
「ふ、……あ、ぁ」
「嵐山」
「ごめん……」
 なにに謝っているのかはわからなかったが、言葉は自然に漏れた。迅は笑い、
「嵐山のこういう顔見れるのおれだけなんだよな」と言った。
「優越感感じてるよ」
「……ほんとうにおまえは」
「なに? ばか?」
「すきだよ」
「おれも」
 それきり身を離した迅が、「ごめんな、今日はここまで」と言った。はあ、と息をついて准は、背にした扉から身を起こす。
「忙しいんだな」
「これからまだ寄るとこあってさ。嵐山も勉強だろ」
「もう勉強どころじゃないよ。おまえのせいだ」
「とか言いながらちゃんとやることやって寝るんだろう、知ってるよ。おやすみ」
「……おやすみ」
 それだけの逢瀬だったのに、びしょびしょに全身を濡らされたような気分になった、と思いながら、准は手を振り、ターコイズブルーの背中を見送った。扉を開いて家に入った。ずっしりと重みを自分の体に感じながら、洗面所に行ってタオルをとった。自分の部屋に入って、タオルを噛んで頭の後ろで縛った。どんなに乱れても弟妹にばれないように。
 ベッドに転がった。
「……やることやるさ」
 胸中で呟いて、目を閉じた。迅の指の動き方を考えた。それがどんな場所に、准を連れて行くかを。



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