自分で着られるのかと訊いたのはなるほどそういう意味だったわけだと透は自分の認識の甘さを呪っている。ペン習字は祖父に、浴衣の着付けは祖母に習った。透は実際のところなんでもできる子供だった。何事に関しても平均値以上を叩き出すが、平均でしかない。そういう自分を当たり前だと思っていたし、そういう自分として生きていくつもりだった。あの日家が倒壊し、ボーダーという選択肢を突きつけられ、自分がスナイパーの天才なのだと気づかされるまでは。
 天才。
 くだらない言葉だ、と思った。
「……いつまで、……舐め、てるん、だ」
「いつまでも」
 遠く祭り火が聞こえる、土の匂いが強い場所、人気はないが人の声はかすかに聞こえている場所に、転がされている。透自身もジムに通ってきちんと鍛えているのに、うまく筋肉はつかないままで、そもそも骨格から負けているこの男に腕力で適うことはなかった。けれど本気で抵抗したら逃げることくらいできた。つまり予定調和だった。
 当真は嬉しそうな顔で、下駄を脱いだ、脱がされた透のつまさきを顔の位置まで持ち上げ、さっきからゆっくりと口に咥えている。指の一本一本を舐め上げ、爪のあいだをくすぐり、指のあいだに歯を立てて、当真があたらしい動きをくわえるそのたびずくずくと、腰のあたりに快楽が溜まっていくのがわかった。ほとんど奉仕されているような状況で、しかし支配されているのは透のほうだった。浴衣はまだ乱されてはいない。しかし着付けができるのかと聞いた以上は、それは予定された未来なのだろう。当真は(なりに似合わず)城戸派のなかでは穏健派に位置する立場だったし性格もそうだった。
 ただとほうもなく趣味が悪いだけだ。
 三輪隊が祭りにでかけていくのを断りたくはなかった。そっちのほうが絶対に心安いに決まっていた。にもかかわらず、当真に、来いよと言われると、もはや透は抗うことができない。章平は目をまるくしてそして決意を込めて首を縦にふり、「先輩たちにはうまくいっておきます!」と言った。ああいけない。こんなときにかわいい章平のことなど考えていてはいけない。こんなことをされている時に。
「当真、さ」
「おまえ声、すげえけど。俺なにもしてねーよな?」
「、あ、ま、さんっ」
 浴衣を握り締めていたふるえる手で口を覆った。わかっている。つまさきを舐められる事それ自体に快楽を得ているのではない。このシチュエーションに興奮しているのだ。そして当真が、ほかならぬ当真の口に、透の足が運ばれているということに。薄闇に包まれた場所で、ほとんど見えてはいなかった。見えないからこそ興奮は募った。歯を立てられる。かるく、しかし、これから噛みちぎることはできるという意志のみえる強さで。びく、と透はからだをふるわせた。
 闇夜の中で、当真が笑った気配があった。
 する、と、つま先から踵、かかとからくるぶし、くるぶしからふくらはぎ、ふくらはぎから太腿。するするするっととかげが這うような自然さで当真の指が動き、ボクサーパンツにひたりと指が触れた。透は身を硬直させた。
「……びっしょびしょ」
 当真の声が全身に熱を充填した。
 はー、は、は、と声を漏らし、透はそこにこもった熱を必死でのがそうとする。このままではいってしまいそうだった。そしてそのことを当真も知っているのだった。
「おまえ足だけでイケんじゃね」
「願い下げ、……だ、」
「すげえな、透クン」
 ぐにぐにと、溜まった袋を揉まれる。痛みとほとんど区別のつかない快楽が突然走り、びくん、とからだを痙攣させた。いく。口走った透をみおろした当真が、「まだだろ?」と言った。まだだった。いきたいのに、まだだった。当真は手をとめ、転がった透の上に覆いかぶさってきた。鎖骨にしばらくとどまったあと、はだけさせた胸にたどりついた。いやだ、と透は言った。そこはいやだ、やめろ、やめてくれ、そうぶつぶつと言っているのはただの自分の矜持のためであって当真をやめさせることなどできないことはよく知っていた。
 がりり、と歯をたてられたとたん、だった、透は、イった。
 気持ちが悪い。パンツのなかがぐしょぐしょに濡れている。今すぐ脱いで捨てたい。もちろんここに捨てて帰ったりはしない、けれど事前に告知されていれば、ビニール袋の一枚くらい持ってきていたのに。……たぶん当真が持っている、ということはわかっていた。当真勇は周到な男でもあった。きちんと計画をして問題にならない程度の行動をする(問題になると面倒だから)、そういう範囲の、常識的な男だった。常識的な男がこんなところでこんなことをするか?
「イッたな」
「……だ、れの、せいだと……」
「てめえが淫乱なのは俺のせいじゃねえよ」
 びく、とからだが反応した。透は顔をしかめた。まったくもって不本意だった。当真のしめすすべてに透の体は反応を示しそれのすべてが快楽だと思う、そういうシステムのなかに取り込まれてしまっていた。
「足と乳首でイった人」
「……玉も」
「あれ余計だったな、やめとくんだった。つかあれなしでも成り立っただろ」
「もういいだろう」
「なにが?」
「……本番を始めろ」
 はははははっ。大きな声で当真は笑った。「それおまえが言うのかよ!」
「言わなきゃ始めないのはあんただろう! いつまで遊んでいるんだ!」
「怒鳴んな怒鳴んなうるせえ。つうか元気だな奈良坂クン、一回くらいじゃ足りねえってか、あ?」
「足りない」
 足を男の体に絡ませ、透はぐいと男を引き寄せた。当真は甚平の下にTシャツを着ている。あんたばっかりきっちり着込んでいるのは不均衡だろうと思いながら、そのTシャツの襟首をつかんで、引き寄せた。
「なにも、足りない」
 ……ははは。笑った当真はそのまま、透にキスをした。ぐちゃぐちゃになっていくばかりのすべて奪われるような汚いキスをしながら、透の足から下着を引きずり下ろして、下着をどこか遠くへ放り投げた。馬鹿かと思いながら脱がせる作業に透はきちんと加担してやった。あのパンツはちゃんとあとで探して拾ってもって帰らなくてはならない。
「ローションいらねえかな。ベタベタ」
 言いながら、小さな使いきりパックを取り出している。「でも温熱買っちゃったから」
「いま使うものなのか、それは」
「いやだって買っちゃったから」
「冬までとっておけよ」
「やってみようぜ、すげえいいかもだろ」
 どうせ冬にもやろうぜ。へらへらと笑いながら当真は言い、そのあたたかい液体を、どろりと透のそこにかけた。緩慢に射精されたような気分になり、あたまがおかしくなる、と思った。ぬち、ぬち、音を立てて、指が入ってくる。あたたかい液体をまとった指が、いつもより熱く感じられる。いちど萎えたものがすでに反応を始めていることに気づいていた。
「足緩めろよ。ひっくり返れ。やりづらい」
「あんたの、……顔が、……見たいんだよ」
「デレいらねーよ」
「いいから……」
 しゃあねえなと言いながら当真は、当真の腰に絡めている透の片足はそのままに、片足を当真の腰からはずして持ち上げた。ほどんどかつぎあげるようにして足を持ち上げて、そこをのぞきこむようにした。見たからといってなにかうまく作業ができるというものでもないように思うのだがと考えている反面、透は心拍数が上がっていくことやからだがあつくなってゆくことのさなかに放り込まれている。当真が透のそこを見ているのだ。入れた指の二本で押し広げて、そこをつくづくと見ている。当真の癖に真面目な、真顔で、特別なものを、見るような顔で。
 特別な、ものを。
「とうま、さ」
 すすり泣きに近い声が聞こえた。あ? と当真は顔をあげ、「まだなんもやってねーだろうが」と言った。
「はやく、してくれ」
「なんでおまえ臨戦態勢なんだよ……」
「知るか!」
「泣くな、泣くな、なにがツボったんだか全然わかんねー」
「早く、当真さん、はや」
「もうちょっとな。もうちょっと待ってな」
 透がどんなふうに懇願しても、当真は透のそこをゆっくりと拡げる作業をあくまでもゆっくりと気長に行った。前立腺にはけっして触れず、いけそうでいけない接触だけを繰り返して、透はほどんど気が狂いそうになりながら、実際に、気が狂いそうだと口走ったと思う。
 唐突に衝撃が走り、ほとんど意識が白濁する感覚があって、気がついたら、精を、吐いていた。またイった。入れられただけでイった。
「一言くらい……!」
「うるせーうるせートコロテン野郎黙ってもっかいイけ」
「あ、ああっあ、ああああっ!」
「ほんっとうるせえな」
 当真が苦笑し、透の口を手のひらがふさいだ。透はその手のひらに歯を立てた。ぎちりと本気で歯を立てた。手を持ち上げてふらつかせると、甚平を掴ませてくれた。がつがつと性急に掘られてからだが浮き上がるような感覚、当真に支配されて宙に浮かんでいるような感覚、当真が世界の全てであるような感覚、それだけが全てであってほしいと思いながら必死で追いかけるように透の指は当真を求めてさすらい、もう片方の手もいずれ与えられた。まるでただの恋人同士のように、かたく手をつないだままもう一回イった。

 勇の目の前で、いちどすとんと浴衣を落とした奈良坂透が、闇の中に、完全無欠なかたちをしたからだをさらしている。それを勇は飽かず眺めている。適切な量鍛えられた、うすい筋肉で覆われた体は目に愉しかった。すぐにその彫刻じみたからだは、汚れた浴衣で覆われた。
「あんたのシチュエーションプレイ一回でこの浴衣は終わりだ」
「捨てんのか」
「捨てる」
「つか、このために買ったの? 浴衣」
 闇のなかではあるが、奈良坂が首を朱に染めたことははっきりと勇にはわかっていた。くくっと勇は笑った。奈良坂の一途はあまりにも度を越しているのでつまりこれが勇のバラ色の日々だった。甘えかかる犬のように奈良坂のその朱い首筋にむしゃぶりついて齧ってやりたいと勇は思いながら、その欲望を殺すことさえバラ色の日々の一部だったから穏やかに笑って、手際よく、汚れ尽くした浴衣をもういちど身にまとって、汚れ尽くしているにもかかわらずどこか静謐なままに思える奈良坂透は、その美しさではなく一途さゆえに、特別な人間だと思った。



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