たとえば思い出す。
 ほろ酔い加減でやってきた堤大地の家で、鍵あけれねーだろ開けてやるよとかいやそこまで酔ってないんでていうか絡むのやめてくださいよとか言いながらいちゃついていたら、うちがわからがちゃりと扉が開いて、太刀川慶が顔を出したのだった。ふたりは文字通り凍りついた。
 太刀川は、おかえり、と言いながらあくびをし、「ごめん今日泊めて」と言った。大地はぐるりと諏訪に向き直り、「そういうわけなんで、帰ってください」と言った。
「は」
「太刀川泊まるんで、あんたは帰ってください」
「ちょっと待てよそういうのねえだろ、今から帰れってのかここまで、おい、おまえが」
「泊まればいいじゃん」
 はたして太刀川はあっけらかんと言い、ぎょっとして大地と諏訪は太刀川を見た。太刀川は首のうしろをかきながらあくびをして、「泊まればいいじゃん、三人で」と言った。
 太刀川を真ん中にして、客用(というか諏訪用)と大地の布団を二枚引いて眠った。正直、大地はろくに眠れなかったし、自分の体のセンターにある鋭敏にしてコントロールが困難な物質の懊悩に付き合うことで一晩を終えた。翌朝顔を合わせた諏訪も似たような顔をしていたので、およそ似たような夜だったのだろう。およそ困難を極めた夜だったので大地は、豆腐の卵とじを作った。胃腸が荒れているような気がするときにいつも大地が作る料理だった。諏訪は、食った気がしない、と言って不平を言い、太刀川は、どこからどこまでが豆腐だか卵だかわかんないねこれ、と言った。ふわふわしたものを食べると少し、心が、安定するような気がした。諏訪といて心が安定したことなど、そもそもあったかどうだったか、わかりもしないのだけれど。
 寝ていくと言いながら死んだ声で見送った諏訪を残して、同じ一限を取っている太刀川をひっぱりだしてふたりで並んで歩きながら、太刀川はぼそぼそとしたいつもどおりの喋り方で、「ヤればよかったのに」と言った。
 は、と大地は唖然と太刀川を見た。
 太刀川は笑って、「諏訪さんとおまえがやるとこおれ、見たかったけどな」と言った。

 たとえば思い出す。
 飲み屋に、21歳だか20歳だかそのあたりの男が集まって、だらだらと安酒を飲んでいる。太刀川や風間、それに木崎や来馬は安い酒を飲む必要はないのだろうけれど、堤や諏訪への相応の配慮があって、そんなわけで安い酒を飲んでいる。ちなみに彼らの背後には黒服を着た来馬の護衛が烏龍茶を飲んでいて、そのことにはもう慣れきってはいるのだけれど、浮いているなあとは思っている。
 その店は安く酒を提供する割にはつまみの種類が豊富で、木崎の手配でいつのまにか野菜を中心としたメニューが並んでいる。そのほとんどに諏訪は手をつけていない。大地はそれをひととおりつまみ、それから取り皿をとって、そのなかから選んだものを諏訪に取り分けてやる。諏訪は来馬となにやら本について語り合いながらそれをごく当然のように受け取り、食べる。それは諏訪の好きそうなものだし、実際好きだったのだろう、なんの不満も漏らさずに諏訪はそれを食べ、そして当然のように、大地は次の皿を盛る。
 風間はそれを見て顔をしかめている。木崎は諏訪に向かって、「おまえは粉チーズが好きなのか」と尋ねている。諏訪はうるさそうにしていて、そうして、紛れ込むように小さな声で漏らされたしかし的確な、来馬のひとこと。
「堤はほんとうに諏訪さんのことが好きなんだね」

「思い出してるんです」
 堤大地は言う。昼間の電車にゆられて、向かい合わせのボックス席に座って、窓の外に目をやりながら、大地は言う。
「キスしましたよね」
「いくらでもしただろ」
 諏訪はどこかふてくされたような、それでいて静かな声で答える。
「本部長の家で。キスしましたよね」
「ああ。したな」
「だからなにってんじゃないんですけど。思い出してたんです」
「家っつーか、クローゼット」
「太刀川が、湯たんぽが見つからないって言って、風間さんが、新しく買うとかふざけてるのか部屋を探せば出てくるだろう、とか言って、そしたら太刀川の部屋、クソみたいに散らかってて」
「つか本部長の家に転がり込んどいてあれ居候だろ、よくあそこまで傍若無人によ」
「オレんちでブッキングしたの、まだ怒ってるんですか」
「はあ、それこそ何の話だよ」
「思い出してたんですよ、いろんなこと」
「なに。走馬灯?」
「ちょっとまだ早くないですか」
「結局三つも出てきて、パッキン壊れてるやつ捨てるって太刀川が言ったらこんどは柿崎が怒り出してな」
「迅、あのとき結局途中からいませんでしたね」
「なんであいつ呼んだんだろうな。要るのは木崎のほうだろ、つか木崎ひとりで全部片付いたろ」
「木崎さん晩ご飯の支度とかだったんじゃなかったですか」
「おまえよく覚えてんね」
「だから、思い出してたんですよ。クローゼットのなかでキスしましたよね」
「うん」
「あのときオレね」
「うん」
「……言いません、やっぱ」
「なんだよ」
「あのね」
「はい」
「なんかねえオレは、あんたに、豆腐の卵とじみたいなもんばっかり食わせてやりたかったですよ」
「……腹にたまんねえけどあれ」
「ふわふわしたあいまいなもんばっかり食わせられなくて、ごめんなさい」
「謝られる筋でもねえし、肉が食いてえし、意味がわかんねえし、……わかるけどよ」
「好きだったんですよ」
「うん」
「ほんとに好きだった」
 がたん、ごとん、がたん、ごとん、がたん、ごとん、がたん、ごとん、揺れてゆく電車。
 窓の外から海がみえる。

 キオスクの外で、好きな作家が書いている大衆文芸誌を立ち読みしていたら、諏訪が出てきた。
「遅かったですね」
「最後の飯になるかもしれないし奮発した」
「うまそうですね」
「おまえの好きそうなやつにしてやったよ」
 その一言は不覚ながらかなりキた。真顔になって立ちすくんでいる堤に駅弁の袋をおしつけようとした諏訪は、ひょっと堤の顔をみて、困ったように笑った。「なんて顔してんだ」
「……なんでも。これ買ってきます」
「最後の一作」
「遺作」
「おまえが書いたわけじゃねえだろ」
「書けばよかったですかね」
「書いたんじゃねえの」
 なにを、と大地は振り返る。諏訪はジャケットのポケットに指をつっこみ、
「俺とおまえと卵とじだよ」
 と言った。



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