同期が死にまして、と堤は言った。うん、と洸太郎は答えた。
 堤大地はボーダーに入隊したはじめ、通信室に勤務していた。通信室オペレーターから模擬戦闘室に配備され、そこで諏訪と知り合い、たまたま共通の本の話題で盛り上がって、おまえ俺の隊に来いよと言われて防衛任務を兼任するようになって、けれど堤大地は通信室からはじまったのだし、だから、と堤は言った。喪服を着てネクタイを緩めないままで、背を丸めて座って、言った。
「あそこで死んだのはオレだったかもしれないですね」
 そうだな、と洸太郎は答えた。
「通夜でも葬式でも、オレはうまく泣けなくて、なんでなんだか、わかんないんですよ、なんでだかわかんないけどオレはうまく泣けなくて、あいつが死んでて、死んでる体を見て、でも、こないだ見たあれ、あれより全然きれいな死体なんですよね、でもあいつが傷つけた体で、でもあいつも死んで――しかもオレらが殺したわけでもなくて。わかんないですね。わかんないですよ全然。こんなことでこんなふうになるってこと自体が、わかんないです」
 そうだな、と洸太郎は答えた。手が伸びてきた。伸びてきた手が洸太郎をつかんで引き寄せた。「あんたそればっかり」わずかに熱っぽい言葉がざらりと落とされて洸太郎は小さく笑っている。あんた、そればっかり。
「傷つくってこと知らないんですか」
 言ったあとで、堤は、自分自身が傷ついたような声で、「そんなわけないのに」と言った。
 そうだな。
「葬式の帰りに、ほかの同期とお好み焼きを食いました」
「匂いがする」
「うまかったです、ちゃんと、うまいんですよ、おかしいですよね」
「そうだな」
「ビールも飲みました」
「へえ」
「あんたのこと考えてました」
「そう」
「あいつは死んだのにオレはあんたのことを考えてました、あいつは、殺された、のに、憎いとか、思う暇もなかった、あんたがあんなことになって帰ってきて黒トリガーなんかとやりあって全部ありえないことが全部一瞬すぎて憎いとか考える暇もなくてオレたちが殺すこともできなかった、それでいまやっぱりオレは憎いとかじゃなくてただ」
 ただ。
 そこで言葉が途切れた。
 堤大地の部屋の入口の前に便所座りをして洸太郎が文庫本を読んでいると、階段をかんかん音を立ててのぼってきた堤と目があった。どうしてそこにいるのかと堤は言わなかった。妙に静かな声で、「寒いでしょう」と言った。鞄から鍵を取り出してかちゃりと開けるその動きを洸太郎は記憶しようとしている自分に気づいた。妙に、すべてが、はっきりしていた。妙にすべてがはっきりしていてそこにあり、堤大地は喪服を着てどこかぼんやりと洸太郎を見返した。「どうぞ」と言った。
 すとん、と座り込んだ堤はちゃぶ台を背にしている。オレは、と堤は、だれかに聞き咎められることを忌避するような声でしゃべり続けていた。洸太郎はちゃぶ台に頬杖をついて、片手に文庫本を弄びながら、そうだな、と言い続けていた。堤が振り返った。洸太郎を見ていた。腕がしっかりと洸太郎を抱き寄せた。堤の腕はかすかにふるえていた。
 う、う、と声を殺して、堤が泣き始める声をきいていた。
 かわいそうにな、と洸太郎は言わなかった。誰の前でも泣くことができずに気丈なふりをして仏さんみたいなお地蔵さんみたいな顔をして洸太郎のとなりにいた堤大地は死ななかった。かわいそうにな、と洸太郎は言わなかった。堤大地はかわいそうではなかった。堤大地は死ななかったから、かわいそうではなかった。堤大地は諏訪洸太郎に選ばられたから死ななかったし、諏訪洸太郎が選ばなかった方の堤大地が殺された戦争だった。
 洸太郎は大地の背中を抱き寄せてそのままずっと、黙り込んでいた。泣き喚くことができない程度の分別なんか捨ててしまえばいいのにと思いながら。

「そんで俺は結局泣かなかったし、泣く予定もねーんすけどね」
 大学の喫煙所で東に会ったので、そんな話をしていた。堤大地が泣いた話と、諏訪洸太郎が泣かなかった話を、飄々としてとらえどころのない先輩は笑いながら聞いていて、洸太郎は喋りながら、ああこの人も向こう側だからだめだなと思う。もうとうのむかしに向こう側に行ってしまった人だからなにも伝わりはしないだろう、きっとだめだ。
「それで俺いつ死んだんだろうなって思ったんですよ」
「いつ死んだんだ? というか、死んだのか」
「感受性とか」
「ああ」
 東は煙草の灰を灰皿にこぼし、一般論として、と言った。
「一般論として、普通に生きてても、大人になると感受性は麻痺する。あとひとつ、おまえはキューブ化から解凍されたばかりで戦闘に戻ったから現実感が薄いんじゃないか。あともうひとつ」
「まだあんスか」
「おまえは格好をつけたいだけだ」
「……はは。それかな」
 煙草を灰皿におしつけた。換装中と違って、大学構内ではそう好き勝手に煙草を吸ってはいられない。

 あの日一枚一枚脱がした喪服の散らばった部屋で、真っ暗な部屋のなかで堤はアダルトビデオを観ていた。洸太郎が買うだけ買って手をつけずにほったらかしていたDVDを観ていいですかと尋ねて、パッケージをあけて、女のなめらかな裸をぼんやりと堤は見ていて、勃起していないのでこいつ昔は女とやってたこともあるはずなのになと洸太郎もぼんやりと思いながら喪服の散らかった部屋でぐったりと体を投げ出していた。
「会いたいです」
 堤が、女の裸から目を逸らさずに、言った。
「誰に」
「……諏訪さんに」
「諏訪さんいるぜ」
「はい」
「ここにいる」
 腿に指を滑らせた。洸太郎がそうするのと、堤が画面から目を離すのと、同時だった。体を起こして、降りてくるものを待った。キスをした。そうしながら、誰が諏訪洸太郎を殺したのか、わかった、と洸太郎は思った。堤が俺のかわりに泣くから、堤が俺のかわりに傷つくから、堤がつらいつらいと嘆くから、俺は傷つくことができない。もう二度と。
 そして俺はおまえを選んで、おまえに殺されたのだ。
「堤」
 洸太郎は呼んだ。
「はい」
 堤は答えた。
「生き残っておめでとう」
「……なんですか」
「あとありがとう」
「なんですか」
 堤は小さな、だれかに聞き咎められたらいけないことを口にするようなほんの小さな声で言い、そうしてゆっくりと手を持ち上げて、顔を覆った。



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