さいしょはお前のこと嫌いだったんだ、と言われると、「よく言われる」と、ごくあっさりと嵐山は言った。そういうところが好きだった。おれはもう嵐山のことを好きになっていた。15歳だった。
 夕食を、嵐山の家で摂った。はじめて招かれた嵐山の家で、おれはようやく、すべてのつじつまがあった気がした。絵に描いたようなアットホームな家庭の真ん中で、嵐山准は笑っていた。嫉妬することもできないくらい、絵に描いたように、完璧だった。
 そうだ、嵐山はいつも完璧で、おれはそのことに最初腹を立てていて、でももう、どうしようもないくらい、嵐山のことが、好きだった。それは嵐山が、絵に描いたような完璧な存在だったから、だと思う。そうしてそうであることに、なんの裏表もなかったから、だと思う。そういうことに、おれが嵐山の向こうに見ていた全てに、家族を見た瞬間気づかされてしまった。
「……かなわないな」
 笑っておれは言う。嫌いだと言われて、よく言われる、なんて言い方で返すとき、なんの皮肉もこもらないあまりにもあっさりとした、端的に事実だという言い方ができるのは、嵐山だけだろうと思った。いや違うな、既視感、そういう言い方をする相手を、おれはもうひとり知っていた。
「……かなわないよ」
 嵐山は首をかしげて、笑っていた。
 かなわないよ、最上さん。あんたのいない世界で、だれかを信じるなんてもう二度と、できないと思っていたのに。
 嵐山准はまるで、あんたにそっくりだ。

 十四歳の夏に最上さんが死んだとき、俺の心もすこし死んだ。それからおれはランク戦にのめり込むようになって、ほとんど依存しているみたいな感じで、太刀川さんに相手をしてもらっていた。太刀川さんを殺すこと、太刀川さんを殺し続けることだけがおれの全てだったし、そのことを否定しようとも思わない。あれがおれの人生のなかで最高に幸福な時期だった。最上さんがいない世界でランク戦に救いを求めていたあの渇望の時期だけが、おれの最高だった。
 そうしてその間嵐山准は、最上さんの死後新しくクリーンな(ふりをした)組織になったボーダーの、顔役をすでにやっていた。
 大規模募集の一期生の中から、広報担当として雇われた根付さんに抜擢された嵐山は、C級の頃からテレビに出て笑顔を振りまいていた。それがおれはあの頃大嫌いでにくくてならなかった。おれだってにくしみを感じることくらいある。ただそれを顔に出さないことに、長けているだけだ。だれもが簡単におれをにくむこの世界で、目の前の相手に真摯に向き合うなんてなんの必要もないと思っていた。だれかが死ぬたびおまえはそいつを救えなかったと、くりかえして言われる世界で、だれも言わないとしてもそう感じなくてはならない世界で、だれかを信じたり愛したりすることは、無意味だとしか思えなかった。
 最上さんは死んだ。それをおれは止められなかった。
 母の死という未来を、切り替えることができなかったのと、同じように。
 それはおれのせいだった。だれがなんといおうと、彼らが死んだのは、死なない運命に切り替えることができなかったのは、それを作ってやれなかったのは、おれのせいだった。だからおれは――
 ただランク戦は本当だった。そこでは全力でいられた。スコーピオンの開発を始めた。太刀川さんから一本でも二本でも取れるようになっていった。おれはもともとそれほど斬り合いが上手いほうじゃなくて、少なくとも太刀川慶ほどじゃなくて、でも姑息に振舞うことに関しては太刀川さんよりずっと上手で、姑息に振舞うことこそが、おれの全てで。
 嘘を。
 いや違う、嘘じゃない。本当だけどジャストではないこと。本心だけど全部じゃないこと。架空の戦闘がおれの全てだった。
 そしてその間嵐山はずっと、「現実を」戦っていたんだ。
 あんなのはずっと芝居だろうと思っていた。全部空虚な芝居にすぎないのだろうと思っていた。あんなふうに明るく笑い続けていられる人間は嘘だろうと思っていた。
「なんて呼んだらいい? 迅さんって呼んだほうがいいだろうか、やはり、先輩だし」
「いいよ同い年だし、迅で」
「ありがとう」
 なんでありがとうなんだ、と思った。嵐山は笑って、「迅」と呼んだ。世界で一番明るい言葉であるように、おれの名前を呼んだ。
 そのとき嵐山のむこうに、嵐山の未来をおれは見た。
 世界がずっと先まで調和してきれいにできていた。おれはぽかんとした。そこにはにくしみもいたみもなかった。嵐山の未来には、ただただ幸福しかなかった。ボーダー隊員なのに。ボーダー隊員なのに? あまりにも完璧に幸福な未来像のなかで、現在の嵐山がにこにこと笑っていた。
 ああ、こいつは本物だ、と、おれは思った。
 ボーダーという組織が抱える闇と、この男は無関係だった。だからこそ、嵐山准は、ヒーローで、偶像だった。根付さんの抜擢はただしかった。こいつはたぶん神に似ている。
 嵐山准が死ぬ未来が見えない。

 だから好きになった。

 「キスをしてもいいか」
 さんざん家族の歓待をうけてから、嵐山の部屋にきていた。温泉にでも行ったみたいな気分で、おれはとてもさっぱりしていた。嵐山の家族の未来には、気分が悪くなるような、悪酔い要素がまったくなかった。おれが改変しなくてはならない要素がひとつもなくて、だからおれはおれの未来視のことを、ほとんど忘れていられた。双子は試合に勝ったり負けたりする、でもそのことにへこたれない。おばあちゃんはいつか死ぬ、でも十分に人生を楽しんでから死ぬ。犬だっていつか死ぬ、でも極限まで愛されて死ぬ。
 おれはその美しい未来に、ふわふわと酔っ払ったみたいな気持ちでいた。ずっとむかし最上さんに酒を舐めさせてもらったあと、こんな気分になったなと思った。世界に美しいものしかなくて、美しいものしか見えなくて、見えなく、してもらっていて、とても幸福で、だからおれはそう言った。
「なあ、おまえにキスしてもいいか。嵐山」
 おれをその未来のなかにいれてよとおれは言いたかった。
 おれをおまえの未来のなかにいれて、おれを守ってくれよと。
 嵐山は目を丸くし、それから、笑って、「いいよ」と言った。そのことはわかっていた。おれは見えている未来に従って行動するから、姑息な人間だから、許可される行動しか取らないから、そんなことはわかっていた。
 キスをした。
 未来が、かたん、と、書き変わるのがわかった。おれは嵐山の未来の、一部分になった。そうしてそれが、守られるということだった。いつか最上が、そして母が、おれの未来の一部分として、おれを守ってくれていたように、嵐山はおれを守る、美しい未来だった。嵐山准は宝石に似ている、とおれは思った。うつくしいばかりでそれだけなのに、それ以上の何でもないのに、ただそこにいるだけなのに、美という名の幸福を振りまく、宝石に似ていて、そしておれはそれにいま、守られていた。
 遊びの時間はもう終わったのだろう、そうおれは思った。ランク戦はおれの夢の城だった。そこは最も幸福な俺の場所だった。けれど遊びの時間はもう終わったのだ。おれはもっと強くならなくてはならない。
 嵐山の美しい未来が消えてしまう前に、強くならなくてはならない。
 次に風刃の選抜があったらおれは今度こそあれを手に入れようと思った。手に入れなくてはならないと思った。
 嵐山准が生きているこの世界で、最善を尽くすために。
「……どうだった?」
「はじめてだから、感想なんて言えないよ」
「はじめてだったのか」
「迅は?」
「じゃあ、嵐山が、はじめてだってことにするよ、そうしたい」
「はは。じゃあふたりともはじめてだってことでいいか」
「うん」
「迅」
「なあ嵐山。またおまえにキスしてもいいか。繰り返し、おまえにキスしてもいいか。これから先も」
「うん」
「簡単に言うなあ」
「簡単なことだよ。迅。なんどでもしよう。おまえが好きだよ」
 ふと泣き出したくなった。でも泣き出さなかった。かわりにもう一回キスをした。幸福な未来に繋がるだけの、あたたかいキスを。



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