どだいボーダーというような組織に所属するような人間は、他人に都合よく使われる側の人間か、他人を(結果的にであっても)利用する側の人間かあとは他人なんて目に入っていないような人間か、どちらかのはずでそれはぜんぜんめずらしくもなんともなく、そしてそれは強さ弱さに依存するものでは実は全くなく、たとえば洸太郎とは同学年にあたる木崎のような完璧超人ですら他人に都合よく使われる人間だったし、ひとつ下の来馬のほうは存在しているだけで他人にあれは大丈夫なのかと心配されるほうの人間で、で、どちらかというと諏訪洸太郎というのは、前者だった。
 はずだ。
「心中に行ったことあったじゃん」
「それ蒸し返すんですか?」
「おまえが俺を殺せなくてさあ」
「そうですよ、殺せなくて」
「それ俺がおまえを殺してやっても良かったのになって」
「はあ」
「考えてんだよ」
「オレを殺すことを?」
「殺さねえことを」
「はあ」
 はあ、と言って、堤は黙った。堤は台所に立つので忙しくて、諏訪の話を半分くらいしか聞いていないようなそぶりをしていた。そうではないことを、けれど俺は知っていたので、それは「ひどい」ことであるなあと思っていた。堤が勝手になんでもやっているのであって、べつに俺がやらせているわけではなかったのだが、結果的に堤は諏訪の「できた嫁」みたいな顔をしていたし、「できた嫁」がそばにいるのは、実のところそう、悪い気分ではなかった。来馬は村上の上にあぐらをかけるような人間ではないとわかるが、林藤支部長は木崎の上にあぐらをかいてご満悦というふうに見えるし、実際のところ外から見れば、諏訪も林藤側の人間にすぎないということかもしれなかった。
 堤大地の、こじんまりと片付いた楽園は、実際のところ居心地が良かったし、甘やかされていると感じるのも、悪い感情ではなかった。古道具屋からひとつひとつ買い集めて来ているという古い家具を、ひとつひとつメンテナンスしてがたつく机にはゴム板を貼って、まるいちゃぶ台のほうが角のものより高いのだけれどここは丸じゃなきゃとか言いながら諏訪の目の前に置き、本当はジジイみたいな飯が食いたいくせに諏訪のために肉ばかりごろごろと転がったような料理ばかりを作ってまったくしょうがねえなあという顔をしている、この男を本当は、俺はどうしたいんだろうと諏訪は思う。
 どうしたいんだろうというか、どうしてそこで「あえて」抱かれてたがってんだろう。
「なんで俺はおまえに抱かれてんだろうな」
 煙草を灰皿(陶器でできた、青い模様のある、白い皿、これも古道具屋で、堤が、買ってきた、諏訪さんにと言って)(諏訪さんに、と言って!)に直角に押し付けてフィルターを折りながら、そう言うと堤は、のそりと立った背中で、「その話イヤです」を伝えてきた。雄弁な背中だった。少なくとも俺にはよくわかる背中だった。
「おまえ以外に抱かれる予定もおまえを抱く予定もねーけど」
「……そうですか」
「そんなビビんなって」
「ビビってません」
「俺はおまえとどうなりてーのかなって。そんだけ」
「どうなりてーもなにも、もうどうかなってんじゃないですか」
「将来的に。今後を見据えて」
「煙草やめるんですか?」
「やめねーよなんだよやめてほしいのかよなんだよやめねーからな!」
「ムキにならなくたっていいですよ」堤の声がふらりと解けた。「やめろったってどうせやめねえの知ってますよ」ほとんど笑い声に近い声で堤は言い、俺は、言ったあとではじめて、俺はいま堤のために道化けて見せたのだなと思った。堤の声が数%分泣きたいような要素を孕んでいて可愛そうだったから俺は道化けてやって堤を守ってやりたかったのだなと思った。
 そんなことで守れるようなつもりになっているから馬鹿だね。
 いつだか俺たちが、もう面倒だから心中しようと言って、どうせ世界がダメなの変わんねえから死のうと言って、海まで出かけて行ったとき、極寒の冬の海の中に立ち尽くした堤大地は、本当は一緒に死にたいのではなく殺したいのだと言って、そしてそれは自殺と同じことなのだと言って、それ以上先に進まずに立ち尽くしていた。諏訪のほうはもう本当に、堤がそうしたいのならなんでもしてやろうというくらいの気持ちで、死んでもいいし、死ななくてもいいし、どうだっていいし、どっちにしろもう地獄を見たのはたしかだから落ちるとしたらどちらかというと地獄のほうだろうと思ったし、ボーダーという組織が人間を救えないのだとしたらボーダーという組織に関わった人間は皆地獄に落ちるのだろうし、太刀川まで行かなくとも来馬なんかだってそこから逃れられないのだろうし、死んだからなにが変わるとも、変わらないとも、思わなかったのだけれど、堤が諏訪を殺したいというからそこにいた、だけで。
 責任を転嫁するつもりはなかった。ただ結局どう転んでも、諏訪が堤のために生きたかった。だから抱かれてやったし、殺されてやりたかった。飯を食ってやっているし、毎日のように来てやっている。そばにいてやっている。
 そういう理屈になる。
 諏訪洸太郎とて堤大地のために生きたいと、思っているのだ。
 諏訪は平気なツラをして堤の部屋で煙草を吸うし、堤の自慢の古道具類は数年でヤニに汚れててらてらと光っている。おまえが抱きたがったから俺は抱かれている。違うか、おまえが抱きたがってるだろうと思っていたから勝手におまえのちんこをくわえ込むことに俺が決めた。おまえが俺を殺したがっていると知っているから殺せよというのに、おまえは俺を殺さないまま、そこで豚肉を煮込んだりしている。なんかもうそれが俺にはハッピーエンドのような気がするんだけど、世界のために死ぬよりおまえのために死ぬのが、ハッピーエンドのような気がするんだけど。煙草を吸うのをやめて、転がっていた本を拾い上げた。
「だから、君もいっしょに帰りたまえな。せっかくいっしょに来たものだから、いっしょに帰らないのはおかしいよ」
 びく、と背中が震えた。
「……一緒に来たのは、俺の勝手ですよ」
「引用だよ」
「知ってます、読みましたから」
「どこまでも一緒に行けるなんて、思っちゃいません」
「思えよ」
「あんたのほうが先に死にますよ、肺ガンで」
「だろうなあ」
「そういうことでしょ。煙草やめますか」
「やめません」
「そういうことじゃないですか」
「せっかくいっしょに来たものだから、いっしょに帰らないのはおかしいよ」
「そうですね」
「一緒に帰るんだろ」
「どこへ?」
 どこへだっただろう。
 帰るべき場所など、そういえばこの部屋以外に、どこにもないような気がした。もちろんこの部屋の外には日佐人がおり瑠衣がいる。本部があり支部があり城戸や忍田や太刀川や風間や木崎や来馬がいる。しかしそれでも、ここで全ては完結していると、そう言ってしまっても構わないような気もした。長い時間をかけて豚肉を煮ている男と、きりもなく煙草を吸い続けている男が、お互い、お互いを憐れんで一緒に暮らしている、一緒に暮らそうという約束すらしないでいろいろなことにひとつひとついろんな形の蓋をしながら、生きているこの部屋だけが俺の、帰る場所のような気がする。
「おまえのところへ」
 そう諏訪は答えた。はあ、と吐息に近い、ため息に限りなく近い吐息としての、笑い声を堤は漏らした。そうして椀によそったものをことんと差し出した。豚の角煮だった。
「うまくいきました」
「おおー」
「これはビールより酒ですかね」
「俺はビールで」
「あんたいつもそれな」
「おまえは勝手に酒でもなんでも飲んでりゃいいだろビールくれよ」
「はいはい」
 煮玉子乗ってる。


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