触れさせて



「ここに雇われる前に、私が何処の出身かお調べになったでしょう?」

 小太郎様がコクリと頷く。

「私は北条様に代々仕える国人(地侍)の娘。だから、身元はしっかりしていると、皆様思っていらっしゃる。誰が、ここの殿様に仇なすと思っているのでしょうね。恨まれる心当たりもないのでしょう」

 私の声は知らず知らずに、怒りと興奮が含まれ、その一瞬は、北条の殿さまや小太郎様への畏怖が薄れる。

「ええ、恨んでいますとも。私は、私の村は、一族は、戦に巻き込まれました。そして多くの血を流した。恨みに思って当たり前なのに、殿様たちは気づきもしないのだから!」

 本当に、私は、私の父は、北条の家に代々仕えている、身分の低い国人で。小さな村を任えている、身分の低い国人で。小さな村を任されていた。私には強い兄、優しい姉、やんちゃな弟、妹に囲まれて、それほど裕福ではないけれど、一族郎党で、その地を耕し、年貢を納め、そこそこ幸せに生きていたのだ。

 だが、隣国との戦で、私たちの村は、戦略的には価値のない地とされ、救援は来なかった。そう、私たちは、男たちは合戦にかり出された後、守る者いない中、捨て置かれた状態になったのだ。
 家々は焼かれ、矢で射られ、私の家族も友達も、親類も、一緒に過ごしてきた村人たちは、狩られる獣のように散り散りになって逃げた。
 あの時の光景は今でも、夢を見て、悲鳴をあげたくなる。

 私は運良く助かって、早くに嫁いだ姉の住む村へたどり着くことが出来た。姉はその村を治める侍の妻になっていた。
 義兄は、私たちの村の惨状を知り、そして生き残った人たちを収容してくれた。それは驚くほど少なくて、皆、家族や財産を無くしていた。だけど、北条家的には、その戦は大勝利だったのだ。

『次は自分たちだ』

 義兄と姉はそう話し合った。村の位置といい、地理的条件でいえば、ここが戦場になった場合、同じような目に合う。
 村の者と生き残った者たちは相談した。

『村ごと逃げよう』

 北条の殿様個人には恨みはない。でも、戦に勝つための捨て石として放っておかれるのは嫌だった。
 義兄はあちこちと連絡をとり、自分たちの村を絶対焼かないという約束をした領主に寝返ることにしたのだ。
 だが、これは北条にとって裏切りだった。そして、いつそれを決行するか、見極める者が必要だった。
 だから、私は志願した。
 亡くなった父が得意だった、軟膏と灸の腕で、小田原城に潜り込んだのだ。

「あなたは不思議でしょうね。殿様にだって理解できますまい。私たちが何で、こんなことをするのか……。虐げていないのに逆らうなんて。でも、見過ごされることだって、辛いことなんです。死んでしまうのです。そんな立場の人だっているのです」

 私は大人として振る舞うつもりだった。だのに、情けない。興奮して涙がぽろぽろこぼれる。やだ、本当に、小さな女の子みたい。

「…………」

 小太郎様は相変わらずの無言だったけれど、気づけば、私の傍らに立っていた。そして無骨な指が私の頬を撫でた。涙を拭ってくれている?
 ああ、やっぱり、この人は優しい人なのだなぁと思った。そう知っただけで、嬉しかった。その嬉しさを、私は冥土の土産にするのだ。

「今の戦のどさくさに紛れて、私の恩人達は、御家を離れます(村の名前は死んでも言わないつもりだ)私はその機会を伺うために、ここにいただけ。もう、お役目御免です。ついでに、この恨みを北条の殿様にぶつけるつもりだった……」

 そう。戦時に、氏政様が、悪いものを体に入れて、具合が悪くなってくれれば、さらにいい。私はそう思って、薬を調合したのだ。

「でも、出来なかった……」

 悔しい? 悲しい? それとも安堵?
 小田原城に忍び込んだ私に、周囲はとても優しかった。あの殿様だって、武将という立場を離れたら、あんなに優しい人なのだ。小田原城を守るために、私の村は捨て置かれた。憎む方が楽なのに、私は、ここの人たちを嫌いになりきれなかったのだ。

「このまま、黙ってお仕えし続けようかと思いました。でも、やっぱり自分の村が、故郷が無くなったことは忘れられない」
「…………」
「かといって、北条の殿様へ恨みをぶつけることも出来ない」

 私は泣きながら笑った。弱い自分――「だから、あなたに決着をつけてもらおうと思って、あんな事したんです」

 北条家を守る凄腕の忍びに見つけてもらおう。そして、迷っている、弱い私を……

「無害とはいえ、殿様のお膳に悪さをした人間は許されないですよね」

 私は小太郎様に問いかけた。小太郎様は静かに頷き、私に一歩近づいた。
 その腕が、指が、私の首にゆっくり回される。

「……覚悟はしていました……」

 指にゆっくり力がこめられていく。私の皮膚にくぼみをつくっていく。

「私の弟も妹も、先の戦で、訳が分からず死んでしまった。私は自分で死に方を決められるのだから幸せですね」

 私は段々息苦しくなったけれど、それでも何とか微笑もうとした。

「…………」 小太郎様は抱えるようにして、私の首を絞めていく。
 視野が狭くなり、胸が苦しくなる。でも、恋しい人の手に掛かるのだから、私は多分幸せだ。

「貴方のお声が聞いてみたかったです。願わくば、名前を呼んで欲しかった。……名前……って……」

 それは、無理な願いだと承知で私は言い、そして、意識は暗闇に覆われた。
 そう、私は自分から願って、風魔小太郎の手にかかったのだ。



 目を開くと、見慣れない天井。
 頭と喉がズキズキ痛み、私は困惑して起きあがる。
 ここは、何処?

「目が覚めましたか? 名前殿」

 部屋に、上品な老女が入ってきた。

「は……はい。ここは?」 

死んだ人が住まうという極楽? にしては、やたら見るもの、感じるものが、現実的で生々しい。

「ここは、谷の合間の風ふく地。だから、風間村と呼ばれております」
「風の……?」
「ええ。北条領地の隠し里。この里の男達は、代々、受け継いだ技を持って、北条家に仕えているのです」
「受け継いだ……技…… あっ」

 風間……風魔だ!
 私は驚いて、寝床から跳ね起きた。

「こ、ここは、風魔のお里なのですね? 小太郎様は?」

 私の問いに、まあまあと、老女は穏やかに諫めた。

「この里一番、腕のいい者が代々、小太郎と名乗ります。貴女を連れてきた我が主は、次の仕事に向かわれましたよ」
「ここには、いないのですね……」

 私は座り込み、それからまだ痛む喉を撫でた。確かにあの人の手が、私を触れたのだ。

「今の小太郎様の任期はあと五年。それから次の方へ引き継がれます」

 老女は、水差しから茶碗へ水を入れてくれ、私に手渡してくれた。

「五年……」

 私はつぶやく。では、五年経ったら、あの人は、自由の身になるのだろうか?

「待てますか?」

 老女は私をのぞき込んだ。

「その五年の間、あの方は戦場に身を置きます。もし待てるのであれば、この地で、傷ついた人々を癒してください。待てないのであれば、ご親戚の方の地へ送り届けましょう」

 それが、我が主からの指示です。老女はそう言って、私の返事を待った。
 私に迷いはなかった。「待ちます。待たせてください」

 老女はゆっくり微笑んだ。

「この地には、お医者はいないので、知識のある方は、皆大変喜びます」
「私は、灸士ですけど……」
「ええ、それも大歓迎」

 その言葉に勇気づけられ、私は、新しい地で生き直すことにした。
 そして、あの方を待つことにしたのだ。
 今度、会う時、小太郎様は、小太郎ではないのだろうか?
 本当はお声が出るのだろうか?
 私を助けた真意は?
 聞きたいことは、いっぱいあったけれど、答えは未だ知らなくていい。
 あの方に触れられて、あの方の優しさに気づけて。今はそれだけでいい。
 私は、喉をそっとさすった。まだ痛みはあるけれど、嫌な痛みではなかった。痛みすら愛おしかった。

(終わり)






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