微かに聞こえてくるのは、部活に励む青春小僧達の声。
普段よりも広く感じる、シチュエーションバッチリな教室。
――とまぁ、舞台は完成してるっていうのに。
「あー、もう無理。向こうで死んだお婆ちゃんの飼い猫が手を振ってるのが見える」
名前はハチベェって言うの。って言ったら「うっかり?」って聞かれた。
なんで皆そういうんだろう。「ちゃっかり」に決まってるじゃない。
「というか、それ紛らわしくね? お婆ちゃんが死んだかと思うんだけど」
しかも猫が手を振るのかよ。って、呆れた顔で言われた。
いやいや猫だって手を振るって。……多分、きっと。
……いや、せめて尻尾にするべきだったか。
「それ以前にうちのお婆ちゃん、まだ四十歳だし。孫の私より元気ッスよー」
「は? え、四十? 四十で婆ちゃん?」
「なんか家って早く結婚、略して早婚する家系らしくて。お婆ちゃんもお母さんも二十前後で結婚してるんだよねぇ」
「という事は……お前の母さん、35.6くらい?」
「そー」
「マジデ? ちょっと紹介してくんn「死ネ、変態エロ教師」
なに教え子の家庭を崩壊させようとしてんだ。
なにが「10歳差なら全然おk」だ。
アンタそれでも教師か。将来の日本を背負う子供を育ててる役職の言う台詞か。
「冗談だって。つーか、ソレだけ元気あるなら残りの課題も出来んだろ」
「うっ、急に持病が。お腹が頭痛で吐きそう」
「え、何? 国語の課題も追加してほしい?」
「サー片付ケルゾー」
クッ、やっぱりお腹が頭痛じゃダメだったか。
次は頭が腹痛でにするか、頭痛が腹痛でに……アレ?
「はぁ……何が悲しくて、こんな先生と居残りなんかしなくちゃならないんだか」
「うん。ソレ、俺の台詞」
言葉と共に、クタリと机へと倒れ込む。
今の時刻は黄昏時事夕暮れの放課後。
まさに青春の一ページとも言えるこの状況で、何が悲しくて勉強せねばならんのだ。
しかも相手は担当のティッキー事ティキ先生だし。
「そりゃ先生は眼鏡外せばカッコイイけど。なんていうか不潔っていうか、女の敵っていうか、天パっていうか、ヘタレっていうか」
「あれ、そこだけわざと声だしてね? もしかしてわざと言ってる?」
「はぁぁぁ……せめてこれが神田くんだったらなぁ……」
神田くんとはこの学校一の美形生徒の事。
少々短気なのがたまに傷だけど、それでも女子からは絶大な人気を誇っているのだ。
顔がいいだけでモテルんだから憎……ごほん、羨ましいよね。
「というか、何も終わるまで見張ってなくてもいいのに」
終わったら、多分、職員室寄るよー。と声をかけながら、机から顔と体を上げる。
大体先生と二人っきりなんて、緊張しちゃって全然捗らないよ。
勉強的な意味でも、逃走的な意味でも。
「……って、あれ? ティッキー?」
先程まで先生が居た場所へと視線を向けるものの、既に先生の姿は無かった。
外に出て行った気配は感じられなかったけど、もしかして職員室に戻ったのかな。
「という事は――逃げるなら今がチャ「まてまてまて。帰る準備だけ無駄に早いな」
鞄を抱えるや否や猛ダッシュ! ……したものの、潜り抜ける前に後ろ首を掴まれてしまった。
私はネコかっ。というか、教室内にいたのか!?
「ちょっとしゃがんでへこんでた」
「やだ……なにこのヘタレ」
「この教室の窓から外にでたい?」
「先生、今日モカッコイー」
だから投げないで下さい。
いやほら、ここ三階だし。落されたら普通に複雑骨折するし。
「でも、そろそろ最終下校時刻でしょ。そろそろ許して下さいませぬか」
「許す許さない以前に、補習終わってるか終わってないかの問題なんだけど?」
「これだから先生は頭が天パ……もとい硬いって言われるんですよ。よく考えてみなさい。私、補習→補習で赤点→家族呼び出される=マイマザーとご対面!」
「時間じゃ仕方ねぇよな。この一枚やったら帰っていいぞ」
よし、説得成功!
……アレ、でも何か物凄く釈然としないのは何故だろう。
なんだか物凄くやっては行けない事をやってしまった感がするのは何故かしら。
「ま、いいや。この一枚終わらせれば帰れるんだし」
こんなの物の数秒で埋めてみせますとも!
ええ、正否関係なく、文字を適当に埋めるだけですから。
「なになに、『今まで異性と付き合った事があるか』……って、なんだ、○×か。ならもっと早く終わりそうだなー。えーと、×っと」
次は『現在好きな人がいる』。
んー、芸能人ならいるけど身近にはいないなぁ。まぁ△?
「あはは。何、この問題。『教師と生徒の恋愛は成り立つか』とか『ティキ先生の事どう思ってるか』とか書いてある。こんなの誰が作ったんだろうね」
「俺だけど?」
「よし、ちょっと教免だせ」
虫眼鏡で本物か確かめた後に、直射日光でジリジリと燃やしてやる。
ついでにその中身共々パーな頭も燃やしてやんよ。
「仮にも教師だよね。仮にも模範になる立場の人だよね。こんな事して恥かしくない訳?」
「んー、別に。何も全員に同じ事してる訳でもねぇし」
「全員じゃない……。ハッ! まさか先生好みの女子生徒だけを集めて、ハーレムでも作ろうとしてるんじゃ!?」
まさかの口リコンハーレム……だと!?
残念ながら日本は一夫多妻制は認めてないんだよ。って言葉を掛けたら、何故か物凄く大きな溜息を落された。しかもあからさま程に落された。なんだこの敗北感。
「お前さ、バカだろ?」
「今回の前期、全教科総合で三十点でしたが何か」
「あーそうだったね。先生お前の事考えるだけで胃が痛ぇよ」
「バファ○ン飲む?」
「頭痛薬だろソレ。半分が優しさで出来てたって、何にでも聞く訳じゃねぇから」
チッ。先読みされたか。ティッキーの癖にやるわね!
「大体、こんな事するのはお前だけっつの」
「はえ?」
呆れたように肩を竦める先生に、思わず口から情けない声が零れる。
えっと……それってどういう?
「ここまで言っても分かねぇのかよ。つまり――」
「おおぅっ!?」
先生の言葉が途切れたのと同時に、私の体に力が加えられる。
考え込んでいた私は抵抗する事もできず、次の瞬間、目の前に先生の顔があった。
しかも超ドアップ。こうやってみるとやっぱり無駄に整ってるなぁ。
なんて思う反面、唇からは何かを押し付けられている感触が伝わってくる。
――あ、あれー、もしかして先生のドアップ+押し付けられてる感覚=……。
「――ぎっ、ぎぃや――むぐっ」
「しー。叫んだら見つかるぜ?」
咄嗟に先生を突き飛ばしては、あわあわと口を開く私。
そのまま叫び声をあげかけるも、ソレよりも早く先生の手に防がれていた。
と、とととというか、今っ、今――!!
「――ああ。もしかしてキスも初めてだった?」
「キッ!?」
途端にボッと、私の顔が赤く染まる。
ニヤリと笑う先生に反応したのか、或いは言葉に反応したのか、それは自分でも分からない。
ただ、今理解できるのは、自分の顔が物凄く火照っていて。
目の前の先生が物凄く楽しそうな表情をしている事。
ああああれ、さっきまでのヘタレ先生はいずこ?
「へぇ。んじゃ、セカンドも貰っておこっと」
「は――っ!?」
い!? と声を荒げるよりも先に、再び唇を塞がれる。
しかもさっきよりも深くて、更にし、ししし舌までいれてきおった……!!
「……ふぁっ、せっ、んせ」
「ん。あんまり可愛い声だすなって。押さえ聞かなくなるから」
「かわっ、ととというか押さえって……んんっ!」
唇が離れた事で、深い溜息が落ちていく。
な、なんだか、足に力が入らない。もしかして先生に体力を吸い取られて――!
これはいかんっ。と、軽くキスをしてくる先生を押しのけるように手を当てる。
「な、なんでこんな事するの……っ」
あれ、なんか涙声な気がする。
だめだ私、こんな事で泣くんじゃない!
ここで泣いたら相手の思う壺ではないかっ。……いや、ツボ?
「せい、と、からかってっ、面白い訳!?」
そう思ってるのに、私の意志とは反対にポロポロと零れていく涙。
だぁあっ、私はこんな乙女キャラじゃないっていうのに!
こういう時はあれだ。昨日見たお笑い番組を思い出して――って、昨日恋愛映画しかみてないじゃん。しかもお涙物だったし。……あ、思い出したら涙が。
「せ、先生のばかぁっ」
後自分のバカ。
なんて思いつつ、涙を見られたくなくて、先生の胸へと顔を埋める。
突然泣き出してしまった私にびっくりしたのか、先生は暫く無言だった、けど。
「あー……悪い。ちょっとやりすぎたわ」
言葉と共に、ぽんぽんと、頭を優しく撫でてくれた。
むぐぐ……慰めてくれてるんだろうけど、なんか負けたみたいで物凄く悔しい。
というか先生に負けたのが納得行かない。
「でもさ、お前も悪いんだぜ?」
数回頭を撫でたかと思えば、溜息のような声が聞こえてくる。
何で? と私が問い掛けるよりも先に、ぎゅっと体を抱きしめられていた。
「結構前からアピールしてたのに、全然気が付いてくれねぇし。このプリントだって、お前の為に手間暇かけて作ったんだぞ」
アピール、されてたっけ……?
確かに雑用ばかりやらされてたような気はするけど、まさか、あれが?
というか、それって、つまり。
「私の事、からかってるんじゃない、の?」
「からかうだけでここまでやるかよ。そこまで性格悪くねぇっての」
私を抱きしめている手に、少しだけ力が込められる。
今、気がついたけど、先生の鼓動、凄く早い。
もしかして、本当に?
「でも、私、先生に酷い事いっぱい言ってたし。からかうような言葉だって」
「センセー大人だから、その位聞き流せるし。それに、お前が素直じゃない事だって知ってる。自分の気持ちとは反対の事を言っちゃうのもな」
うっ……ま、まさかそこまで知られてたなんて。
先生って、もしかして結構鋭いのかな。仮にも先生になれた訳だし。
「し、信じて……いいの?」
「どうしたら信じてくれる?」
先生の服にしがみ付く様にして尋ねたら、耳元で囁くように聞き返されてしまった。
直ぐ耳元から聞こえる先生の声に、思わず体が反応してしまったけど。
それを知られたくなくて。なんとなくこのまま負けっぱなしなのが悔しくて。
「もう一度、キス、してくれたら……信じてもいい、よ?」
できるだけ普段通りに言葉を告げたつもりでも、やっぱり私の声は震えてしまっていて。
「全く、お前程世話の焼ける生徒はいねぇよ」
それでも、先生は笑いながらもう一度、優しくキスをしてくれた。
そのキスを受けながら、答案を書き直さなくちゃと思っていたのは――ここだけの秘密。
( 放 課 後 の 教 室 )
「――はっ! 先生まさか、私を経由してお母さんを狙ってるんじゃ!?」
「ねーから安心しろ」