呼吸ができなかった。
「ユウ」
歩いていた足が止まる。何故か少しだけ息が上がっていた。不思議に思いながらも振り返えると、心配気な顔をした男が立っていた。
「大丈夫か?」
眉根を寄せ、辛そうな表情で尋ねてくる。返答する気は無いと言うのに、何故何度も同じ事を聞いてくる。何度も何度も。
イライラする。
「ジジイが」
再び歩き出そうとして、また声をかけれた。今度は違う言葉だった。
「明日までに目覚めなければ――眠らせてやれって」
でもやはり、聞きたくない言葉だった。
**
気が付くと白い部屋の中に居た。目が痛くなる程の白の中、人形のように眠るアイツの隣。
手を翳す。緩い呼吸が伝わってきた。生きているんだ。
なのに、何故、目覚めない。
「起きろよ」
俺の声が響く。俺の声だけが木霊する。
「聞こえてんだろ、俺をおちょくってんのか」
ベッドの脚を蹴り上げた。一段と音が鳴った。それでも、コイツの瞳は動かない。俺を見ない。
イライラする。
「ふざけんなよ、テメェ」
もう一度蹴った。続けて蹴った。何度も、何度も。
――そうだ、こいつは朝に弱いんだ。
もっとベッドを揺らせば起きるんじゃないか。それともいっそ壊してしまおうか。そうすれば起きずには居られないだろう。いや、それなら直接コイツを殴った方が。
「やめろっ、ユウ!」
手を振り翳したものの、背後から押さえ付けられた。
俺以外の声、俺以外の音に、一瞬身体が震える。だが、ベッドの上のコイツはまだ目を閉じたままで、口を閉じたままで。
――違う、コイツの声じゃない。
じゃあ誰の声だ?
――廊下ですれ違ったアイツか。
名前……なんだったか。
――ああ、ラビだ。そんな事も忘れるなんて。
それもこれもコイツのせいだ。コイツが速く目を覚まさないから。コイツが……イヴが、俺の名を呼ばないから悪いんだ。
(どうして俺にこんな痛みを教えたんだ)
誰かの手でお前の人生を終わらせたくなかった。
俺の手でお前の命を閉じさせたかった。
それが俺からの最後の贈り物だと、首に手を触れた時。
微かにお前の唇が、指が、瞳が、震えた気がした。
幻覚でも見ているのかと自嘲したけれど、次の瞬間、確かに聞こえたんだ。
「ユウ」と。
時を止めていた世界が。
やっと――動きだした。