「お兄ちゃん」


幼い頃、アイツは俺をそう呼んでいた。
血が繋がっている訳ではなく、ただ同じ被験体なだけの俺を。

その頃の俺は、まだ何も知らなくて。
「兄」と呼ばれる事に、何か違和感を感じていて。
よくアイツを怒鳴ったり、嫌悪していたのを今でも覚えている。
酷い言葉を浴びせて、大きな声で怒鳴って、逃げ回るように走りさって。

――我ながら酷い事をしたと思ってる。

でも、どんなに怒鳴っても、アイツは笑ってた。
どんなに暴言を吐いても、傍にいて。
どんなに逃げ回っても、必死に後を追いかけてきた。
"真実"を知った時も、"本部"へと移った時も、"エクソシスト"になった時も。
アイツは、イヴは、ずっと俺の後を追ってきた。

だから、錯覚していたのかもしれない。
これからもずっと、イヴは俺の後を付いてくるんだって。

――なのに。


「今日はもうノルマ達成したし、午後は街にでも出てみようぜ」

「ん、ラビ。もう本はいいの?」

「イヴの為に、一秒間三枚っつー速読で終わらせたさ!」

「一秒で三枚!? ラビすごっ!」

「これも愛の力さ〜♪」


食堂の一角で、そうケラケラと笑い合っているのはイヴとラビ。
二人の顔は、戦場にいる時やアクマと対峙している時は勿論。
互い以外には見せる事のない、柔らかい笑顔が浮かんでいた。
まるで恋人同士のような……いや、"ような"は必要ないか。
二人は実際に恋人同士なのだから。

何時からか、イヴは俺を「兄」と呼ばなくなっていた。
任務の時も、教団にいる時も、二人きりの時も、イヴは俺を「ユウ」と呼ぶようになった。
俺の後ろではなく、ラビの隣にいる時間の方が多くなっていた。

俺には見せた事のない笑顔。俺に向けるのとはまた違った、"愛"という感情。
ラビにだけ見せる表情。ラビだけが見る事が許された、イヴの気持ち。


(……なんで、アイツなんだ)


"兄"と呼ぶなと言ったのは俺だ。でも、何故か釈然としない。
付いてくるなと怒ったのも俺。でも、本心ではなかったのかもしれない。
イヴの元から走り去っていったのは俺の方だった。でも、本当は――。


「……チッ」


今まで、自分の傍に居た者を無くしてしまうのかという喪失感。
捨てられてしまうのかという不安感。
自分以外の誰かのものとなってしまうのかという嫌悪感。
何より、ラビに対する嫉妬の気持ちが膨れ上がっていた。


(――馬鹿な事は考えるな)


内から湧き上がってくるような、黒く浅ましい想い。
その気持ちに一度だけ強く歯を噛み合わせては、軽く頭を左右へと振る。
一瞬、脳裏を横切った最悪な想いを打ち消すように。
浅ましい想いを、消し飛ばすように。


 ―ドンッ


「おわっ!?」

「ゆ、ユウ!」


今だ談笑中の二人へと寄っては、手に持っていたトレイを叩きつけるように乗せる。
突然の音に、突然の俺の登場。会話に夢中になっていた二人を驚かすには十分だったようだ。
最もラビは、俺(兄)の登場に別の意味でも顔を引きつらせていたが。


「もっと静かに登場してよ!」

「手が滑った」


悪びれた様子もなく告げれば、「嘘つき」とイヴから言葉が返ってくる。
勿論、二人の隣へと座ったのも、二人を驚かしたのもわざと。
コムイ如く、"兄"としての細かな抵抗、嫌がらせという奴だ。……認めたくはないが。


「ユウも、けっこーシスコンだよなァ」

「黙れバカウサギ」

「否定はしないんだ」


呆れるように前で呟くラビと、俺の横で薄らとした笑みを浮かべるイヴ。
そんな二人の視線を浴びながらも、出来上がったばかりの蕎麦を啜っていく。

イヴの言う通り、否定はしなかった。
今の俺には、別の事を否定するだけで精一杯だったから。
自分の気持ちを否定する事に。
自分の想いを押し殺す事で手一杯だったから。

だから――ただ、イヴの、血の繋がらない妹の幸せを。
俺は、兄として願おう。


これからも、ずっと
(お題:幼い頃、必死に後を追いかけてきた小さな影)

 
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