そして、幸せ。その度合いや量こそは違うけれど、誰にでも必ず一度は訪れる。
どんなに辛い人生でも、どんなに小さな事でも。
「さてと」
黒のスラックスを履き、白いシャツに袖を通す。ベストは、今日はいいかな。布と紐の帯はどちらにしようか。両方を手にとり、鏡の前で数秒程にらめっこ。ベストを着ないとすると、やっぱり布かな。片手に持っていたもの鏡にかけ、もう片手のものを素早く首元で結わく。後は寝癖が目立たないように髪を梳かすだけ。
任務中はこんな事している余裕すらないし、休みの時ぐらいはキチンとしないと。
「よし」
完璧、かどうかは分らないけど、人前に出ても恥ずかしくはない、筈。
念の為軽く身体を捻って背中を見ているいると、ぐぅとお腹が空腹を訴えた。時間も丁度いいだろうし、食堂に行こっと。
*
教団の廊下は静かだった。それこそ、何時もより静かな気がする。何かあったんだろうかと一瞬不安が横切ったけれど、時々すれ違う人達に慌てた様子はない。
――でも、この空気は嫌いじゃないな。
静かで、ゆったりとした空間。僕の人生は、どちらかと言えば賑やかな所が多いから、何となく新選だ。人込みの騒音も、戦いの鈍音もなく、まるで時の流れさえもが動きを緩めているような穏やかな雰囲気。――うん、悪くない。
「アレンくーん」
緩慢な雰囲気を堪能していると、不意に背後から名前を呼ばれた。柔らかい少女の声。振り返るまでもなく持ち主がわかったけど、呼ばれたからには振り返らなければ失礼だ。相手が女性ともなれば尚更。
「おはよう、リナリー」
「おはよう、アレンくん。これから食堂?」
「うん、リナリーも今から?」
「ええ、良かったら一緒に良いかしら」
「もちろん」
断る理由なんて何処にないので、当然笑顔で快諾した。
*
「あれ?」
それから数分、他愛も無い会話をしつつ食堂へ到着する。でもその中の光景に、思わず首を捻ってしまった。
「誰も居ない、ですね」
食堂には人っ子一人いない。確かに時間帯によっては空席だらけになるけど、それでも誰も居ないなんて事は一度もなかった。何せ、厨房を仕切るジェリーさんでさえいないのだ。
――まさか、やっぱり何かあったんじゃ。
そう思うが早いか、先程の不安が再び込上げてくる。少なくとも、何かあったのは間違いない。辺りを警戒しつつ、隣のリナリーを背後へと押しやろうとした。――その時。
――パアンッ
『アレン、誕生日おめでとー!!』
唐突に軽快な破裂音が木霊したかと思えば、目の前にカラフルな"何か"が飛び交っていく。と同時に大勢の声、声、声。
「おーおー、驚いてますよ。ラビさん」
「大成功さね、イヴさん」
突然の騒ぎにそれこそ目を丸くしていると、何処からともなく現れた大勢の一番手前――つまり僕の目の前へと、頬を緩めた男女の姿があった。
いや、頬を緩めたというより「してやったり」と言った方が正しいだろう。
「……なんなんですか、コレ」
「見ての通り、アレンの誕生日パーティですよ! 前に今日だっていってたっしょ」
「そうゆう事。俺の時のお返しさ」
「驚かせちゃってごめんなさい、アレンくん」
少し困ったような笑顔を浮かべている所を見ると、どうやらリナリーもイヴ達の仲間だったようだ。所謂"ひき止め役"という奴だろうか。悔しいけどしてやられだ。
「驚いてるアレンくんに更に驚きの一報でーす。ななんと、あのユウからも祝辞が届いてますよー!」
「まぁ、イヴが無理やり書かせたようなもんだけど」
「そういう裏話はしない! ゴホン、えー……『アレン、おめでとうである。折角のパーティなのに参加できなくて本当に申し訳ないである』……あれ?」
「イヴ、それはクロウリーさんの手紙。神田のはこっちよ」
「あら失敬。んでは改めまして、『くたばれモヤシ』だそうです! よかったね、アレン!」
「どこが良いのか全く分らないさ!」
呆けている僕を他所に、まるで漫才のような会話を続ける二人。彼等の背後には、よくよく見れば科学班や救護班、ファインダー達の姿もある。皆して二人の計画に乗ってくれたのだろうか。僕の誕生日を祝ってくれているのだろうか。
「ん、アレンどったの?」
「お?」
「アレンくん?」
三人が僕を見ている。きっと呆けているだけでない事に気が付いたんだろう。――そうは分っても、顔を上げる事ができなかった。
だって、見られたくないじゃないか。
嬉しくて、目の前が霞んでいる姿なんて。
*
人には、誰にでも平等な事が幾つかある。
幸せもその一つだ。
度合いこそ違うけれど、とても小さな事かもしれないけど。
何時か、忘れてしまうかもしれないけれど。
それでも必ず、幸せは誰にでも訪れると信じている。
貴方は今、幸せですか
「アレン、ハッピーバースディ?」