しゅるっという音と共に首のネクタイを緩めては、溜息にも似た声が落ちていく。元々声の主であるワイズリーはいい加げ……もとい、かなり大雑把な性格である。何事にも適当、もとい拘らない所があり、普段着とてラフな格好が多い。
故に、正装する必要のある食事会が面倒というか、少々苦手であった。まして長は礼儀には特に厳しく、食事中でも構わずにあれやこれやと指示を飛ばしてくる程。
食事時ぐらい、好きなようにしてもいいではないか。等と不満を零しながら、緩めたネクタイをそのままにワイシャツのボタン、上二つを外していく。
もっとも、その原因を作ったのはワイズリーの食事態度にあるのだが、当然彼がそれに気がつく事はない。思考を見る事ができるのだから、気がつきそうな事ではあるのだが……やはり、いい加減、もとい適当すぎる性格のせいだろうか。
――さて、特にやる事もないし、どうしたものか。
一通り不満を吐き出した事でスッキリしたのか、一人ベッドの上で脚を組む。
時間が時間なだけにできる事は限られており、今からできる事と言えば就寝ぐらいである。少し時間が早い事で勿体ないような気もするが、他にする事もないし……。
そう考えていた、その時。不意にコンコン、と扉が訪問者を告げる音を立てた。
「イヴか。開いておるぞ」
扉が開くよりも先に、ワイズリーの声が部屋の外まで響き渡る。"魔眼"という能力を持つ彼にとって、扉の奥にいる人物を当てる事は容易い事だった。
「千年公が明日、例の所にいってほしいって」
軽音と共に扉が開いては、訪問者事イヴが廊下に立ち尽くしたままで言葉を繋ぐ。
食事会の直後という事もあり、イヴは未だに正装である。いや、盛装と言うべきか。リボンとレースをふんだんに使った黒のミディアムドレスは、普段よりもウェーブがかかった白銀の髪をより一層引き立てていた。
恐らく長子である少女が仕立てのだろう。イヴの保護者である男すら絶賛していたのも伊達ではなく、ワイズリーもまたイヴを視界に捕らえては、無意識に緩い笑みを浮かべていた。どうやらノアの一族というのは、揃いも揃ってこの少女を溺愛しているらしい。良くも悪くも、だが。
「そうか、わざわざすまんのぅ」
そうとは知らずに、用件を告げるなりクルリと身体を翻すイヴ。
無表情のせいで怒っているようにも見えるが、別段機嫌が悪い訳ではない。ただ表情に乏しいだけであり、またここに長居する理由も無いが為に帰ろうと言うのだろう。
「もう帰ってしまうのか、連れない奴だ。どれ、ヒマなら少しワタシと話しでもせぬか?」
「ティキが、ワイズリーには近寄るなって」
早々に立ち去ろうとするイヴに声を掛けては、自分の方に来るようにとワイズリーの指が動く。――が、すぐにキッパリと首を横に振られてしまった。どうやら"保護者"から、接近注意命令がでているらしい。
随分と警戒されたものだと思いながらも、クスリとワイズリーの口から笑みがこぼれ落ちる。
「ほぅ。イヴが好きそうな飴があるのだが、残念だの」
ワザとらしく大きなため息を落せば、扉を閉めようとしていたイヴがピクリと反応を示した。この少女もまた、長子である少女同様に無類の飴好きなのだろう。その様子を横目で確認しては、更に決定的な追い討ちをかける。
「ああ、そうだ。明日の仕事なのだが、ワタシ一人では少々不安でな。お主も一緒にいくか?」
「いく!」
背を向けていたイヴが振り返ったのと同時に、一際大きな声が部屋の中へと木霊する。
元気よく、また勢いよく返答したイヴの瞳は、「外」と「仕事」という言葉への好奇心で輝いているようだった。
魚が餌に食いついた。と言うのは、こう言う事を言うのだろうか。
保護者がこの男に要注意警報を発令した理由もよくわかる。――が、それも魔眼の前では何の役にもたたないらしい。
「そうかそうか。ならば二人で、ゆっくりじっくりねっとりと話そうではないか」
艶笑を浮かべつつ、緩めていたネクタイを外していくワイズリー。
話すだけなのに何故ネクタイを外すのか。まして何故ワイシャツのボタンを外していくのか。色々と疑問は残るものの、飴と外出に釣られた魚事イヴが気がつくはずもなく……。
―パタン
そう扉が閉まった音だけが、廊下に空しく響き渡ったのだった。
ネクタイを緩める
――翌日。保護者とワイズリーの殺し合いが繰り広げられたとか