高校時代は一緒に帰ったり、遊んだりしてた。いつもあいつに振り回されたけど、あいつの隣は何故か心地良かったんだ。卒業して何年も経つけれど今も忘れられなくて、地元に帰ってきては会えるかな、なんて思ったり。結局一回も会えてないけれど、ずっと会いたいと思ってた。


「…お前、おそ松の事好きだったのかよ…バーロー…」
「でもね、卒業したっきり連絡し辛くて、連絡もしてない」
「お前ら近くに住んでんじゃねえのか?」
「意外と会えないものなんだよ」
「じゃあ連絡しねぇのか?」
「…今更連絡するって言ってもね、何年も前のことだし、不安なの」


  まるで理解出来ないと言ったようなチビ太を無視して、わたしはおでんを頬張る。


「そういえば仕事休みなのか?」
「夏休みで一週間お休みもらったから実家に帰ってきてるよ」


  今日から夏休み、束の間の一週間だけれどわたしは実家に戻って来ている。仕事を始めその近くに一人暮らしを始めたわたしにとって、久しぶりの地元だった。こうしてチビ太と話していると益々学生時代が懐かしくて、お酒が進む。夏の暑い時期におでんを食べるなんてミスマッチだと思うけれど、地元に戻ると必ずチビ太のおでん屋には遊びに行っていた。お酒を飲みながら、昔話をするのはもう何回目だろう。「チビ太も見飽きちゃったよ」なんて冗談を言うと、チビ太は呆れたようにため息を吐いた。それを見て笑っていると、バチが当たったように屋台の明かりを目掛け、蝉が明かりに向かって突進した。声にならない叫びをあげて屋台から離れると、わたしの頼んだビールの近くに落ちる。未だバチバチと大きな音を立てる姿は、今も昔も大嫌いだ。明かりも少ないこの場所に、ぼんやりと屋台の光があるものだから、虫にとっては格好の場所なんだろう。


「無理帰る」
「けけ、バチが当たってやがる」
「もう無理!じゃあね!今度は暗くなる前に来る」
「おーう」


  急いで手を振って公園を歩いていけば、何匹いるかわからない蝉が一斉に鳴いている。いつになったら居なくなるんだろう、蝉は嫌いだ。姿が見えない時は綺麗なのに、一度姿を見てしまうと恐ろしい。公園を抜けた実家への帰り道、道の端で仰向けになった蝉を見て、体が強張った。側を通るのも怖いものだから、慌てて距離をとり、早足で通り過ぎる。それでも力なく足を閉じている姿を見ると、どうしようもなく切なくなった。君も一週間の命だね、なんて。わたしも一週間後には此処には居ないし、仕事という名の地獄だ。仕事と命を一緒にしてはいけないと思いつつも、此処に居る事が出来る時間を数えると、息絶えた蝉の気持ちになったような気分になる。
実家のドアを開けるまでの道のりはわたしが何十年も通った道のりだった。地元に帰ればたまに同級生と会う事があるが、会いたい人にはめったに会えなかったりする。逆にあまり会いたくなかった人にばったり会ったり、人生そんなものだ。


  わたしがこの帰省に何故こんな気持ちになるのかと言うと、近々高校の同窓会に呼ばれていたからだった。彼も参加予定だと、幹事である友人に聞いていて、もしかしたら卒業後、会いたくても会えなかった彼に会えるかもしれないと、期待を膨らます。今も会わなくなった彼を思い出して、1日だけでも良いから、学生時代に彼の隣にいたように、また彼の隣に寄り添いたいと思っていた。


・・・


  今何時、と目が覚めて時間を確認すると、体の底から冷や汗が吹き出して、青ざめていった。


  休みが続くと体も怠けてしまうのだろうか。そう、わたしは同窓会の夜の習合時間にも遅れていた。体を起こしたのは、もうとっくに同窓会が始まる時間だった。勢いよく飛び起きて準備をしようにも、化粧もしてないし、何を着ていくかもなかなか決まらない。あれもこれも全部会えるかもしれない、あいつのせいだ。どうでも良かったら化粧にも洋服にも力を入れない。試行錯誤を繰り返し、家を出るまでに随分と時間がかかってしまった。
居酒屋まで走って、せっかく整えた髪もボサボサになるくらい汗だくになる。急いで友人に到着した事を電話で伝えると、店の外まで出迎えてくれたのは良いものの、勢いよくわたしに駆け寄った。


「遅いよ!おそ松くん帰っちゃったよ!」
「え?おそ松、いないの?」
「ほぼ入れ替わり、連絡もないから来ないと思って」
「っ入れ替わり!?」


  ほら、入ってと促されても、足に力が入らないといった表現が正しいだろう。あまりのショックに俯いて、友人の後を追う。結局、彼は居なかった。その事実が頭では分かっていても友人が嘘をついているのではないか、と疑ってしまう。参加するって言ってたじゃん、と呟いてあたかも彼が悪いような言い方をしても、嫌な気持ちになるだけだ。いやいや、そもそもわたしが二度寝しなければ少しでも会えたかもしれないのに。


「…てか、ぜんっぜん変わってないね、おそ松君」
「…そうなんだ」
「え?会ってないの?」
「…うん」


会ってない、よ。

  きっと言われるだろうと思っていた言葉は予想よりずっしりと重くて。わたしの知らない彼を知っている友人に少しだけ嫉妬していた。「仲良かったし、会ってるのかと思った」そう言った友人は二言目には違う話題を振る。きっと、そうしてしまうような顔をしていたのだろう。席に着いて、久しぶり〜!と挨拶を交わしてもぽっかりと心の中に穴が開いたままで、なんとか笑顔を貼り付ける。いつもは進むお酒も、あまり進まなかった。


・・・


  二次会を回避してなんとなく向かったのはチビ太の屋台だった。店仕舞いをしている途中だったけれど、まだ片付けられていないカウンターに座り込む。わたしの表情から何かを察したチビ太は、何時ものようにビールを置いた。「今日は同窓会とやらじゃなかったのか?」そう言ったチビ太は腕を組み、時間を確認するとため息を吐いた。


「もう日が変わるじゃねーか、バロー」
「明後日から仕事だし、わたしは終わりよ」
「死ぬみてえな言い方すんな」
「今回は同窓会もあるから会えると思ってた」
「…会えなかったのか?」
「入れ違いだった、もう運も味方してくれないよ」
「オメェ、あいつの家も知ってるんだから行けば良いのに」
「…会いにくいんだ、前だって付き合ってる訳じゃなかったし、偶然を装わないと、」


  実を言うと、おそ松の方から連絡が来るかと思っていた。卒業式の時も、わたしは彼に言われた筈だった。『またな』と。これだけ時間が経っても鮮明に覚えているし、その言葉を信じて待っていた。けれど、この時間で分かるのは彼との想いの差だろうか。もうあれから5年は経っている。チビ太はあまり変わりないけれど、この街並みだって駅が新しくなって新しいショッピングセンターが出来たり、美味しいと思っていたお店が変わっていたり。あの頃のままじゃないんだなあ、とビールをぐいと飲み干す。するとデジャヴか、蝉が弱々しくライトにぶつかり、地面に落下した。


「おー蝉飛んできた」
「…うん」
「この前はあんなにビビってたじゃねーか」
「今のわたしにそんな元気ない」


  この街に戻ってきたのは約一週間前だ。羽根をバタつかせる蝉を見て、一週間前の元気良く飛んで来た蝉を思い出していた。この子達に明日なんてあるか分からない。わたしも明日この街から出てしまえば、もう思い出に浸る事もないだろう。口数の少ないわたしを心配そうに見つめるチビ太だが、その理由を考えるとあまり納得のいかない様子だった。「…じゃあチビ太、また休みが取れたら来るね」ゆっくりと席を立つと、手を振ってくれた。


  夏の内は蝉が飛んでくるからといつも公園を抜ける時は小走りになる。一週間経つのに、一向に数が減らないんだね、なんて思いながら蝉が居ないか確認するために視線を下にして歩く。もう明日早めに一人暮らしの家へ帰ってしまおうか、と思うほどわたしは今日の出来事にがっかりしていた。それは、彼がわたしに会おうという気が無かったのではないかと思ったからだ。自分ばかりが恋い焦がれていて、馬鹿みたいにまた会える事を信じて、歳をとった。というか付き合ってもなかったし、意外とモテたように思えてたし、案外忘れてたりして。有り得そう、と思わず笑うと、ふと目の前で見覚えのある姿を視界に入れた。
  その瞬間、心臓を鷲掴みされたようにドクンと鼓動が波打つ。顔を確認するように、目を細めてみる。タオルと洗面器を持って、誰かを待っているようにそわそわとしているその人は、わたしの恋い焦がれる松野おそ松に似ていた。思わず早歩きでその人の顔をゆっくり覗き込み、屈んだような状態できょとんとする目の前の人物と数秒ほど見つめ合っていた。


「おそ、松?」
「…」
「久しぶり、覚えてる?」
「…」
「あ、の」
「…」


  勇気を出して声をかけても、なかなか答えない。薄暗いからか顔が見え辛いけれど、記憶の中の彼の顔を引っ張り出す。ふと5人の弟さんがいる事を思い出し、その瞬間青ざめて、まさかとんでもなく失礼な間違いをしているのではないかと気が付いてしまった。もしかしていやそんなことは無い、でもこんな雰囲気じゃなかったし、やっぱり…。そんな考えを繰り返していると、目の前の人は首を傾げて困ったように笑った。


「あー、ひょっとして間違えてます?」
「…もしかして、弟さん?」
「そうですね、チョロ松です」
「あ!その、す、すみません…」
「おそ松兄さんなら、多分」
「大丈夫です、すみません!申し訳ありません!」


  眉を下げた弟さんに深々と謝ったわたしは、背を向けて元来た道を歩き始めた。恥ずかしい。そして期待して声をかけてどれだけ恋い焦がれているのか、改めて思い知らされた。そういえば、わたしは彼に会って何をしたいんだっけ?別に何か用事でもあるわけでもないし、告白するつもりもない。特に何もない、理由などあるわけがない。彼が今何してようと、関係なかった。


ただ会いたかった。


  家に帰ればもう仕事かー、とゆっくりと歩きながら鼻を啜る。もう会うチャンスはない、わたしの一週間は明日で終わるのだ。弟さんに会えただけでもラッキーだったかな、なんて。そう思う事にしても、名残惜しくて思わずその場に立ち止まる。ただ何となくだ、似た顔を見たからか寂しさが募って、ゆっくりと振り返る。もう誰も居ないだろうと思っていたのに、わたしを見つめる2つの影。一人は、先程の弟さんで、あの似たような格好のもう一人は誰だろうか。どくん、と心臓の音が響く。引き寄せられるようにその影が走り出したのを見て、わたしも足を動かした。


「#名前#」


  この、感覚を何年も忘れていたような気がする。名前を呼ばれるまで、頭の中が真っ白だった。


「さっき、チョロ松からきいて、」
「あ、」
「多分お前だろうと思って」
「…」


  ゆっくりと上下する肩を見ながら、わたしは目の前の彼が間違いなくおそ松だと言うことを確信する。それでも信じられなくて、思わず両手で口元を押さえた。


「おそ松?」
「うん」
「ふふ、」
「んだよ」
「変わってない」
「てか今日行ったの?」
「…それわたしのセリフ」


  おそ松を睨むと、おそ松は変わらずへらへらと笑う。「おそ松が帰った直後に来た」事を伝えた瞬間「はあ!?」と驚いた声が響いた。あまりにも大きな声だったから、思わず人差し指を立てて合図をする。おそ松も慌てたように口を押さえていて、少し笑ってしまった。日付けの変わりそうな時間、車も人も通らないからわたし達の声だけが響く。お互いが話さなくなると恥ずかしい空気が漂い、何を話して良いか分からなくなる。話したい事、沢山あった筈なのに何から話して良いか分からなくて、視線を逸らした。「なあ、」おそ松の声に呼び戻されたように、ゆっくりと視線を合わせる。


「こっち住んでないんだろ?」
「あ、うん、今の仕事先の近くに住んでる」
「いつ帰んの?」
「え?明日の昼、かな」
「じゃあ、…今度いつ会えんの?」


  暗い中で彼の頬が赤くなるのが分かった。おそ松は照れ臭そうに視線を逸らして、わたしの言葉を待っているような気がした。ずっと待ち望んだ言葉はわたしの心にじわりと滲んで、思わず視界が歪んだ。


「次の、休みに帰ってくる」


  今迄見えなかった明日が楽しみになっていく。『またね』と、信じ続けていた言葉が現実になり、並んで歩く彼に当時の想いを募らせる。もう不明瞭な未来はきっと来ないだろう。

次の休みには蝉の声も減っているだろうか。


2016.0918
夢松企画 夏 様へ
愛を込めて