「お前にだけは負けたくねー」


  そう奴に意味深な言葉を吐かれた数日前、その本当の意味を知ることになる。フラフラと学校を宛てもなく歩いていれば、所々で懸命に話し合う姿が目に入った。楽しそうに見えてもその姿は忙しそうで、ゆっくりと彼女の姿を思い浮かべる。何処もこんな忙しそうに仕事をして何で疲れないのか、オレは絶対そんな事はやりたくねーな、と再び教室の中へと視線を送った。


「この所なんだけどアウトかな?」
「天井に木が触れなきゃいいんじゃねーの?作り方は問題ないと思うけどな」
「そっか椅子とかの数は問題ない?」


  企画書のような物を指差し真剣な様子で質問を投げかけているのは、先程思い浮かべた彼女で隣にいるのは憎たらしいオレの兄貴だった。呆然とその場を見詰めると、ソイツは彼女から視線を反らしオレへと視線を合わせ憎たらしい笑みを浮かべた。


「どうしたの?」
「いや、なんでもねーよ」


  即座に座り込みドアに寄り掛かるとどうしようもなく焦っている自分がいた。何故オレの兄貴が彼女と一緒に居ることを問うているんじゃない、一瞬であの日の言葉の意味が分かった気がした。いつもアイツはオレの物を奪っていく、現状でもテストのトップの座だって運動だってそうだ。今度はそこに手を出そうって言うのか。アイツはあの時本気で考えれば簡単な事だった、面倒な、宣戦布告だった。


・・・


  伝えたい言葉は山程あったはずだった。きっと不器用すぎて伝えられなくてわかってるはずなのに諦めきれなくて。あの日のわたしはずっと俯いていた。毎日彼の背中ばかり見てる理由は未だ彼の存在を意識しているからだろうか。薄れていったはずの感情だが、隣に居たいと思ってしまう。そう言えばもう一人の彼は言う。


「ベルなんかよりオレにしとけよ」


  きっと上部だけの言葉だけどあたしには大きく聞こえた。


  夏休みもすぐに終わり、わたしはまた楽しく充実していると思えない日々の渦の真ん中だった。皆から聞くベルの彼女の話はわたしとの付き合いが最長だったようだけれど、どうやらまた珍しく長く続いているらしい。そう聞いて憂鬱になる事もわたしはまだ慣れていない。ベルの話を聞くことは腐るほど経験したはずなのに、体は慣れを知らないのだろう。友達は気を使ってその話題をあまり出さないけど、クラスの中心人物のベルは人気だってあるし、話題が出てくる事は仕方ない事なのだ。校舎までの木に囲まれた一本道からセミの声はだんだんと聞こえなることは、最大のイベントが徐々に近づいてくることを示していた。


  夏休みがあけて、すぐに文化祭準備期間に入った教室内は忙しそうにしていた。わたしの手元には何枚かのプリント。自分の作業を黙々と進めながらクラスメイトに指示を出していく。


「ここにおけばいい?」
「うん!ありがとう」


  そんな会話を繰り返しながら着々と進んでいく準備を見るのは嬉しいことだ。わたし以外の係の子も忙しそうに働いていて、男の子もめんどくさそうにその言うことを聞いている。


「ちゃんと仕事してよー」
「王子に仕事やらせんの?…ってことでオレそのへんにいるからさ」
「もう…じゃあこれ!この長さに切っておいてよね」
「…めんどくせー」


  もう新学期とは呼べないくらい時間はたっているのに、まだはこの空間に慣れていない。話すことはないといった方が正しいだろう。わたしはベルを避けている。出てくるのは懲りない嫉妬だった、そんな事を思うのも諦めの悪いわたしがいるから。


「浴衣持ってきたから此処に置いちゃうね」


  今年企画したのは甘味屋だった、女の子たちは皆浴衣を着て接客をする予定である。当日のために持ってきた浴衣を、出来上がったスタッフ室の中に置いた。そして浴衣の着付けなど当日の楽しみを皆で語れば、先輩絶対勧誘してくるから!などと恋に張り切る女の子ばかりで、自然と顔がにやけてしまった。


「最近なまえもジルくんといい感じだよね」


  突然話を振られて驚いてしまった。そんなふうに見えるの?そう遠慮がちに聞いてみると皆は冷やかしてくる。まだよく分からなかったけれど、そんな事を言われると照れてしまう。髪型は何にしよう、普段あまり出来ないお化粧だって頑張ってみよう。二回目だけど文化祭ってこんなにも楽しみなものなんだ。徐々に教室が完成に近づくに連れてクラスメイトもよりやる気が出てきたように思えた。


「男子によって好みの雰囲気ってあるんだよね、知ってるかい?」


  突然と顔を出したマーモンに驚いてしどろもどろに返事をすると、くすりと笑われた。直ぐに視界に入ったのはいつものように隣にいるベル。黙々と椅子の上に胡座をかきながら作業している姿を自然と見つめてしまう。それを見ていたのか再び笑みを浮かべたマーモンが口を開いた。


「なまえは何色着るんだい?」


  ストレートに聞かれてしまうと何も気にしていなくても少しばかり照れてしまう。先程の友達との会話を思いだし、軽い気持ちでその返事に答ようと口を開けば、教室のドアから顔を出した影に顔を勢いよく上げた。


「オレは女の子らしい感じ好きだぜ、赤とかピンクとか」
「あ、ジルくん久しぶり」


  言われた事を咀嚼せずに、わたしが挨拶をすると彼も苦笑いしながら右手を軽く上げた。見慣れた顔と声に自然と強張った表情も緩んだが、逆にマーモンはジルくんが教室に入ってきた事が気にくわないらしくムッと顔をしかめた。


「…何で君が居るんだい」
「ちょうどなまえの声聞こえたし面白そうだったからさ」
「茶番するなら余所でやってよ…ジル」
「あ、そうだベルお前も同じ系が好きだったよな」


  ベルの作業をしていた手がピタリと止まった。にやりと笑みを浮かべるジルくんに対して、ベルはジルくんを睨みつけていた。そんな光景を見てマーモンは呆れたようにため息を零すが、わたしは不謹慎だけども女の子らしい系統の浴衣を持っていない事に落ち込んでいた。一度だけベルと付き合っていた頃にお祭りに行った事を思い出す。その時少しでも好みの色を着れたらよかったのに。


「ま、色なんてどーでもいいけど、なまえがかわいーの来てくれたら嬉しーかな」


  俯いたわたしにぐしゃぐしゃと髪を撫でるとジルくんは優しい顔で笑っていた。このクラスの企画楽しみにしてるから、となんともかっこいい台詞を残して去って行った。わたしはその余韻を確かめるようにジルくんの後姿を見つめてしまった。隣ではマーモンの今日何回目か解らないため息。何かと思えばベルは過去最大にイライラした表情をしていた、やっぱり仲が良くないという噂は本当だったらしい。


「うっっぜええええ!!!!」


  急に叫んだベルは「ぜってーアイツ殺す!」と地団駄を踏んで教室を勢いよく出て行った。


「大人気ないからね、二人とも」
「そ、そうなんだ・・・」


・・・


  準備も順調に進み後は当日の準備だけとなった、もう教室には自分おらず明日の文化祭に備えてチェックをしていた。とことん和に仕上げた雰囲気を見つめると、明日売る品物の甘いにおいを感じる。静寂な空間に他のクラスから聞こえる笑い声や話し声が聞こえた。また静かだからこそ考え込んでしまう。あれからずっと準備だからとか忙しいからだとか、考える暇をなくしていたけど本当はずっと考えていて。


(ジルくんといい感じだよね)


  あの言葉の意味をずっと考えていた。無自覚だったけれど近くにはジルくんが居て連絡も沢山して、安心する。考えてみればわたしはつい探しているんではないかとも思う。けれど思えば思うほど切なく苦しくなってくる。もう考えたくない、もう大丈夫だろう、とチェックを終わらせた。そこらへんに出ていた筆記具や紙くずを捨てて鞄を持った。なんだかんだ言って明日は盛り上がるだろう、去年の体験でそれはわかるしね。去年、去年は。


『どこ行く?王子腹減った』
『お疲れ様、いい企画だったんじゃねーの?』
『なまえ、』


  覚えてる、覚えていた。記憶は忘れようとしても忘れられなくてどんなに離しても着いてきて結び付く、でもきっと違うのかもしれない。また記憶を捕まえているんだ、綺麗な思い出にしたくて思い出にしたくなくて。苦しくなるのはこの恋が叶うはずがないと分かっているからで、わたしは新しい恋に踏み出そうとした。結局はどちらに歩けばいいのか自分には分からない。思わず目頭が熱くなり頬が濡れた。


―――ガラッ


「……ってまだ居たのかよ」
「べ…、ベル、」


  かけたてのパーマでふわふわの髪を自分で弄りながらベルは顔を出した。「もう下校時刻なはずなのに遅いね」と問い掛ければあたしの心臓はどくどくと波を打った。


「…目、赤いけど」


  びくりと体が震えた。慌てて目を抑えるとその腕はベルくんに押さえられた、思わず堪えていた涙がポロリと零れた。


「ジルになんかされた?」
「な、なんでジルくん…?」
「…好きなんじゃねーの、」
「…」


  解らない、何故こんなにも苦しいのかもベルが問い掛ける意味も全くわからない。


「は、離して!」


  自分でも思ったより大きな声が出た、それに反応してベルはゆっくりと掴んでいた手を解いた。


「彼女に悪いよ」


  俯いたベルを拒絶してしまった事で怒ってしまったのではないかと慌てて声を出したのは自分が一番聞きたくない事。


「別れた、」
「え…?」
「別れたんだよ」


  この事はベルにとってもわたしにとっても聞いてはいけなかった事のようだ。わたしはまた地雷を踏んでしまったようだった。どう言えばいいのだろうか、励ましの仕方なんてわからなくてただ俯いたベルを見ることしか出来なかった。


「お前はどうなんだよ」
「わたし、は…」
「…協力くらい、してやってもいーよ」


  うしし、と笑うベルは、何時ものようには笑っていなかった。そんな顔をされて笑い返すことなんて出来ない。協力なんて要らない、必要ないよ。ベルに協力なんてされたくもない。わたしはそんなもの欲しくない。わたしは、わたしはベルが、


「いらない、協力なんて」


  隠してばかりだった。好きだと言うのには勇気が必要で気付くにも時間が必要だった。まるでぶくぶくと深海まで沈んでいくようだ、周りが真っ暗で何も見えない。手を伸ばしてもそれは掴めそうで掴めない。素早く鞄を持って教室から出る。「…なまえっ!」大きな声で呼ぶ声が聞こえる、振り返る事なんて出来なかった。わたしは気づいた事がある。諦めは悪い方ではないのにかつての大きな存在は消えては居ない。


  全てに押し潰されてしまえばいいと走る事を止めない自分自身が本気で憎く思えた。

next
気付いたらもう遅い