「本当に文化祭委員、誰かやる人いないの」
「…じゃあ、わたしやります」


  1年の前期のHRで、学級委員と同じくらい責任のある文化祭委員は、中々決まらなかった。多数決、くじ引きといった案が出る度にクラス中が目をそらす。学級委員のマーモンが最後に痺れをきらして言った言葉に、隣の女の子が手を挙げたのだ。正直まさか手を挙げるとは思っていなかったし、あまり人の前で発言をする事が得意ではなさそうな彼女が立候補した事に、周りは驚いているようだった。オレは彼女がこの大役を本当に出来るか心配でもあった。きっと誰もがそう思っていたと思う。けれど彼女はクラス中の心配を捻じ曲げ、すんなりと進め始めた。


  部活にも入っているはずなのに、その時間を削って他の文化祭委員と遅くまで教室に残っていた。その時は良くやるなあ、としか思ってなかった。こいつ、初日から授業でウトウトしてたから、クラスには無関心系だと思ってたけど意外としっかりしてるんだな。ほぼ毎日文化祭の企画書に向かう彼女に最初のような心配など何もなかった。


・・・


  席は近いのに何か用事がある時しか話せなかったが、最初の定期テストで彼女の意外な一面を見る事になる。オレは1年の頃から学年トップで、授業で分からない事なんて何もなし。定期テストの結果も予想出来た。余裕で満点の点数を広げると、隣の彼女はテスト用紙を小さく見ながらオレの点数を凝視している。そして微かに見えた彼女の点数は俗にいう赤点というやつだった。え?まじ?意外とそういう点数とるんだ。文化祭の件で真面目な子だと思っていたけど、意外だな。「満点…」彼女がそう呟いた時、オレはつい彼女を揶揄ってしまった。


  その日の放課後、テスト直しの提出を手伝ってやる。ルーズリーフに数式を書いて行くと目の前の彼女は表情がコロコロと変わる。そんな姿に柄にもなく照れてしまい、何となく無言になる。直しが終わった時、彼女は深々と頭を下げて駆け足でプリントを提出しに出て行った。いつもはこんな居残りに付き合ったりはしないし、おかしくなったのかとマーモンに言われた。おかしくなってるかもしれないな。文化祭委員にしても頼まれたらやってしまう、どこまでもお人好しな彼女を気付けばずっと見ていたのだから。


「…好き、なんだけど」


  初めて誰かに告白した。オレにつられたのか彼女の顔も真っ赤になる。沈黙の後、顔を上げた彼女ははにかみながら「わたしも、好き」と小さく声を紡ぐ。時間が止まるってこういう事を云うんだろうな。


・・・


  初めて誰かを本気で好きになったんだと思った。類は友を呼ぶ、その言葉の通りオレには軽い女しか寄って来なかった。付き合っていても他の男と歩いていたし、それをオレだって気にした事も無かった。その割には女はオレを求める。だからすぐにキスだってそれ以上の事だって。


「…一緒に帰りたい」


  彼女のお願いを聞いた時、そんな小さな事幾らでもしてやると心の底から思った。外を歩けば当たり前に手を繋いでいた事も、照れくさそうに俯いている彼女が、どうしようもなく愛しくなった。こんなに驚くものか?と不思議に思ったのは最初だけだ、本当に好きなら触れたいと思うものだと漸く理解したのだ。また彼女が他の男と話をしたり、近くに居る事が嫌で仕方なかったり妙な感情が渦巻く。イライラが分かりやすいオレに、マーモンは「男の嫉妬は面倒だよ」と嫌味を言った。これが嫉妬なのか、気持ち悪い感情だな。けれど彼女はオレをいつだって安心させてくれたから、それで良かったんだ。


  文化祭が終わった辺りから、オレ達が付き合っている事が公になり始めた。一緒に後夜祭に参加していたり、一緒に回っていた所を見ていた奴が多かったからだろう。別に隠す事でもないから気にしてはいなかったが、徐々に彼女の態度が妙に
余所余所しくなっていった。


  俯くことが多くなったり、下手な笑顔ばかり見せるようになったり、話せば避けられていると感じるほど話題を逸らされた。


  彼氏なのに、全然あいつの気持ちがちっとも分からなくて正直かなり凹んだ。本当に理由が分からなかったし、どう解決したらいいのかも分からなかった。だから他の人への態度が気に食わなかった。オレには話さないのに、なんで他の人には話せるんだと。だから、あの日爆発した。ズタズタに傷けた、オレが、傷つけた。彼女は大きな目をいっそう大きく見開いてその瞳からは今にも溢れそうな涙。乾いた音が静かな空間に響いた。ヒリヒリと赤くなる頬。去っていく彼女。


「もう、いい…」


  ゆっくりと染みていく言葉に体は動く事なんて出来なかった、なにもかもがスローに見えてゆっくり自分の両手で強く拳を作る、そして自分の体が震えている事にやっと気づいた。そこからどうやって帰ったかあまり覚えていない。翌日からあまり勉強も手がつかなくなって、気付いたら彼女とも目が合わせられなくなった。むしろあんな事を言った手前、どう接していいか分からなくなっていった。あからさまに避けているオレは、明確な別れが怖かったんだ。何も話さない訳ではない、話してもただの事務的な会話だった。
  そんな中、別れたという噂が飛び交い、女が付きまとい始めた。抱き締めたり、キスをねだられたからしてやった。これじゃない、オレが求めている感触はこれじゃない。女から手を握られた。握り返せなかった。校門までの道のりを違う女と歩くことは、彼女との繋がりを消した事を意味していた。


もう、戻れない。


  心を締め付けられたような息苦しさを感じながら、帰宅する。罪悪感、後悔、それでも彼女を失いたくなかったのに。違う女と帰った事で噂も流れるし、彼女の耳にも入るだろう。けどまた彼女を見るとどうしようもなく焦がれる。…矛盾してる。自室の机にもたれ掛かると、全国模試の結果が来ている事に気付きまた落胆した何も手につかなくなった後の模試は、前回と比べものにならないくらい下がっていた。捨ててしまおうと自室をでると、待ってましたと言わんばかりの兄貴が歯を見せて笑っていた。


「今回の模試ヤバいだろ」
「…お前には関係ねーだろジル」
「オレ初めの模試お前に負けたじゃん?あんときお前すげー機嫌良くてさ」
「あー、うっせーよ」


  ジルがオレから結果を取り上げた、仕方ねーだろ何も手につかないんだからさ。満足気に笑うヤツにナイフを投げると、ヤツも同じように投げ返した。やはり、コイツは大嫌いだ。


・・・


  相変わらずジルのヤツにはあと一歩で勝てなくてもう学年も1つ上がる、そうクラス替えの時期になった。


  生温い風が心地よく感じる、桜の木の下を歩くと既に生徒が集まって騒いでいた。どうせマーモンとは一緒だろう、とクラスの紙を見ると彼女の名前も載っている。その瞬間諦めていた気持ちがまた蘇った気がした。胸の高鳴りを感じてまだ彼女を諦める事が出来ないんだなあ、と改めて実感する。そんな気持ちが分かっているのか隣のマーモンはニヤニヤとしているから、さっさと教室に向かいたかった。腕を頭の上で組んで歩こうとすると、まるでバケモノでも見たような表情をしたマーモンが口をあんぐりと開けている。


「…あのさ、あれ見なよ」
「んだよ」
「僕アイツ見た事あるんだけど、ベルの家で」
「…っはあ!?」


  マーモンに指を刺された方を向き、騒がしい中に見慣れた人を見つけたのはその瞬間だった。「おい、ジル!」と思わずでかい声で叫ぶとようやく状況を理解したマーモンは腹を抱えて笑っていた。…何でアイツがこの学校に居るんだ、つか一緒が嫌つったから違う学校行ったんだろ!未だ笑っているマーモンに一発食らわして、ジルに向かって歩いて行くと素晴らしい笑顔で手を振る。


「…ふざけんな何でいんだよ」
「しし、同じ学校になっただけじゃねーか」
「聞いてねーよ!」
「そんな面白い事お前に言うわけねーだろ」


  え?ベルくんが二人!?なんて声も沢山聞こえてよりイライラする。コイツとオレを一緒にすんなっつの!とりあえずヒラヒラと手を振って歩いて行くジルに一発ナイフを投げた。本気で最悪な一年になりそうだ。何が楽しくて家でも学校でも顔を合わせなきゃなんねーんだ、マーモンと教室に入ると既にオレとジルの話題で持ちきりだった。オレはアイツの引き立て役なんてゴメンだからな。周りではお兄さんはベルに似てるの?なんて馬鹿馬鹿しい質問ばかりで話したくもなかった。

  一日中その話題でよく保つなあと思いながらやっと放課後になる、直ぐに帰ろうとするが今の彼女と呼んでもいいのか分からない女に呼び出しを食らった。内容はどうでもいいようなものできっとジルの事を聞きたかったんだろうと思う。

「今日機嫌悪いね」

  分かってるならそっとしておいてくれよ。思いの外時間がかかってしまった、もう帰ろうと教室から出てもその女は着いてくる、小走りで隣にしがみつく女を無視して一人歩いた。家にはまだジルは居なかった、少しだけ嫌な予感がした。


「…大分寄り道でもしたんじゃねーの」
「面白い事見つけたんだよ、ベルの学校に来て良かった」


  確かにマフィア系の進学率はトップクラスだからこの学校に転校する理由は分かる。けど帰って来たジルの機嫌は最高に良かった、この学校が良かったなんて理由でここまで機嫌が良くなるはずはない、何があったのか問い詰めればジルは怪しく笑った。


「しし、なまえちゃん?だっけ」
「…な」
「ベルにしちゃ珍しくね?あんな純粋そうな、」
「…お前、なまえに何したんだよ」
「なまえ?今そんなにいい仲だっけ?」


  うるさいうるさい!何も言えずに黙り込むオレにすかさずジルはそこに入り込む。何をしたんだ、と辛うじて声にすると楽しそうに笑う。


「お前が彼女と仲良く帰宅してるのを見せてたんだよ」


しし、弱った女は落ちやすいって覚えとけ、ベル


  永遠と頭を巡るのはジルの言葉だった。拒絶が怖くて逃げたオレがアイツになまえを取られたって何も言えないって分かってる。分かってるけど、誰にも渡したくない。呆然と立ち尽くし結局気づいた、そして大きくため息をつく、何故あの時あんな事を言って傷付けてしまったのだろう。


まだこんなにも好きなんだ。

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ある後悔の話