わたしは、なんてことをしてしまったのだろう。人を試した罪悪感に飲まれ、堪えきれない涙が地面にポツポツとシミを作る。頭から一松の表情が纏わり付いたように離れなかった。わたしが一松を、傷つけた事実は消えない。


  呆然と地面の染みばかり見つめて、その染みが薄くなった頃、勢いよく玄関の扉が開き、何やら出掛けようとしたトド松とバッチリ目が合ってしまった。ようやく顔を上げたわたしは、玄関を開けた主に酷い顔を見られている予感がしつつも、目を反らす事が出来なかった。驚いたようにわたしを見つめていたけれど、ため息を吐き呆れたような表情をした。それが今わたしの身に起こった事がバレてしまったような気がして、急に恥ずかしくなる。自業自得だと思うほど、心臓が苦しくなるほど後悔した。とにかく話をしようと目に付いたのは、差し入れのプリンが入ったビニール袋。地面に転がったそれを手に取り、無理やり顔を作ってトド松にビニール袋を押し付けた。


「あ、…プリン、買ってきた」
「…だから僕、言ったじゃん」
「うん…」
「あーもう、何やってんの」
「う、ん…」


  呆れるように言うけれど、トド松の言い方が優しくて引っ込んだはずの涙がまたボロボロと溢れる。ぎょっとして頭を抱えるトド松だけれど、ポケットからハンカチを取り出してわたしの顔に押し付けて乱暴に顔を拭き始める。思わずぎゃ、と変な声が出てしまい、「可愛くない」とトド松に言われるのだった。
  何となく察されていたが、トド松に何があったのかゆっくりと聞かれた。遊びに来ようとした途中に一松に会った事を伝えると、トド松はまたわたしが泣いた時と同じように頭を抱えた。「それは、また最悪な時に会っちゃったね」トド松に貸してもらったハンカチを思わず握りしめると、とりあえず入って、とでも言うようにわたしの手を掴んだ。一階の居間に入るとその他の兄弟が揃っていて、居間に入ったわたしを四人の同じ顔が一斉に揃っていて、それはそれは迫力があった。「なまえじゃんー」と声を掛けられるけれど、大事な兄弟を試してしまった罪悪感から彼らをどう見たら良いかわからず、黙り込んだ。止めておいた方がいいと言われたのにも関わらず、カラ松にも迷惑をかけてしまった。ごめん、と言葉にしようとした瞬間、わたしはカラ松の変わり果てた顔を見て思わず大声を出してしまった。


「カラ松!?どうしたのその顔…!」
「なまえ、何とかしてくれないか…」
「なんでそんなにボロボロなの…」
「最近一松の機嫌が悪すぎて手に負えなくてさ、カラ松が餌食になっててー」
「それはお前が煽ったりするからだろ馬鹿」
「待って、なんで?」
「一松の誤解を解こうとしたんだが…聞いてもくれなくてな…」
「それ、って」


  もしかしなくても、わたしのせいなのではないだろうか。心臓の音が聞こえるくらい体が冷えていくようで、汗が流れる。そんなわたしの気持ちはつゆ知らず、彼らは何故か楽しんでいるようだった。おそ松に関しては煽ったと言ってたな、何したの。そんな思いを込めておそ松に視線をやると、それを汲み取ったのかヘラヘラと笑いながら話し出した。


「面白かったよ〜だってカラ松がなまえって言う度手が出るから本当分かりやすくて笑ったわ」
「誤解だと言っても聞いてくれなくてな…」
「ねえ、もしかして、一松は…わたしのこと好きなの?」


  少しだけ間があったと思う。一松が泣いた時から、もしかしてと思っていた淡い希望。そのまま言葉にしてしまうと恥ずかしくて俯向くけれど、彼らはフッと顔を緩ませるだけだった。後ろからトド松に「本人に聞いてみなよ」と玄関を指差される。どくん、と今度は違う気持ちがこみ上げて、心臓が高鳴る。手を握りしめると、わたしは彼らに頭を下げた。


「…っごめん、特にカラ松。ありがとう」
「ブラザーのためなら、ノープロブレムだ」


  彼らに背を向けると、わたしはプリンの入った袋を乱暴にトド松に押し付けて歩き出す。玄関を出ようとした瞬間、「なまえちゃん」と明るい声で名前を呼ばれる。靴を履きながらゆっくりと振り返ると、きっと公園のベンチにいると思う、と十四松はわたしにそう言った。「一松兄さん、最近のよくあそこでぼーっとしてるんだよ!こうやって!だから、なまえちゃんが笑わせてあげてね!」伸びた袖を一生懸命振る姿に、踏み出す勇気をもらった。行ってきます、と手を振るとわたしは言われた通り、一松がいるであろう場所に走った。



・・・



  十四松の言う通りだった。チビ太が屋台の準備をしている道を走り抜けると、公園のベンチが見える。一松は猫を抱えながら、ぼーっと考え事をしているような仕草をしていた。一松の膝の上の猫は気持ち良さそうに寝ている。空を見上げていたせいか、近くにいるわたしの姿に気付かず、わたしは彼に「一松」と小さく声をかけた。声を掛けられるとは思ってもみなかったのか、わたしの声に酷く驚き、膝の上にいた猫は走って逃げて行った。不機嫌そうにわたしを見ると、また視線を反らし膝に手を当てて背中を丸めた。「何しに来たの」一松の声がわたしの頭の中でこだまする。どくん、と心臓が嫌なリズムで鳴り出し、思わず息を飲んだ。


「い、一松、あのね」
「いいよ、惚気とか聞きたくないし」
「一松に聞いて欲しい事があって、」
「聞く事なんて何もない」


  声を荒げるまではいかないが、一松の強い気持ちがこもった声は久しぶりに聞いた。一松の隣に座り、深呼吸をする。一松の顔は俯いてよく見えないけれど、きっと泣きそうな顔をしている。その顔を想像したわたしは、勢いよく頭を下げてしまった。「ごめん、本当ごめん一松」うっすらと見えた一松の顔はきょとん、としたような表情をしたと思うと、勢いよく顔を歪ませた。彼の両手は痛いくらい力が篭っていた。


「…ごめんって何?カラ松と付き合ってること?」
「違う!…聞いて一松!」
「…聞きたくない」
「わたし、」
「なまえの口からごめん何て言うなよ!もっと惨めになるだけだろ」
「…っ、ごめ、あ、」
「…時間が経てば、お前の事、諦められるから。だから今はおれの前に現れないで」


  はやくこの場から離れろとでも言うように、彼はわたしからゆっくりと視線を反らした。この瞬間だけでも痛いくらいに伝わる一松の気持ちに、わたしの心は悲鳴をあげていた。泣きそう、と思った時にはもうすでにわたしの頬は濡れていた。汚い顔を見られたくはなかったけれど、もうどうにでもなれと一松の肩を掴み視線を合わせる。驚いたようにわたしの顔を見た一松は、握りしめていた両手の力を抜いた。


「なまえ泣かないで、…おれは何も出来ない」


  すぐにそっぽを向いた一松から、その言葉を聞いた瞬間、耐え切れなくなった涙がこぼれ落ちる。悲しそうにそれを見つめる一松を見て、わたしは思わず彼の胸に飛び込んだ。「え、あ」と言葉に出来ない声を出した一松は、まるで凍ったように動かない。紫のパーカーに涙の跡がついてしまうほど、強く一松の胸に飛び込んだ。



「…一松が好きなの、カラ松と付き合ってるって嘘ついて、わたしは、一松の気持ちを試そうとした」
「…は、え、どういう」
「嘘ついて、ごめん。最初からちゃんと言えば良かったのに」


  ちゃんと言えば一松が傷つく事はなかった。罪悪感もある、けれどこれだけは言わなければいけなかった。好きだと言ってしまえばすっきりしたような気持ちになり、ゆっくりと息を吸う。何も言わない一松に気付くと、急に自分の言葉に恥ずかしくなり一松にしがみ付く力を緩めた。一秒一秒がとてつもなく長い時間に感じる。一松が息を小さく吸った瞬間、一松がわたしの体に腕を回す。その温もりに心臓が口から飛び出しそうなほど、高鳴り出した。一松は今どんな表情をしているだろう、慌ててカチコチになった手はぎこちなくわたしの体を掴む。


「なまえは、おれのこと、好きなの?クソ松より?」
「うん。ずっと。カラ松より好き。一松は、わたしのこと、好き?」


  ああ、体が沸騰するように熱い。一松は安心したように息を吐き、優しくわたしの体を離す。もう最初のような悲しい表情ではなく、優しく笑うわたしの大好きな表情。半開きの目の視線を反らしたと思うと、一松は顔を少しだけ赤らめて、むすっとした表情を見せる。ああ、きっと一松はわたしのほしい言葉をくれるだろう。何年も待ち焦がれた、あの言葉。


「…おれの方が、ずっと前から、好きだったよ」


  ボロ、とまた涙がこぼれ落ちるけれど、嬉しくて顔が緩む。わたしの涙に慌てる一松だけれど、今度は優しい手でわたしの頬に触れた。
  何処かで良かったな、と笑う彼の兄弟達を思い浮かべた。



2016.0616
title にやり