「なまえちゃん、好きだよ」


  まるで息をするように彼は言うものだから、何を言っているのか全く理解が出来なかった。開いた口が塞がず、その言葉を言われてからぽかん、とおそ松の顔を見ていた。


「なまえー、ずっと見られるとお兄ちゃん照れちゃうよー」


  なんて言うものだから、ハッとおそ松の顔を意識して見てしまった。顔に熱が集中するのが分かる、わたしの顔は今きっとゆでダコのようだろう。ずっとずっと好きだったおそ松に告白された、『好き』という言葉だけが頭の中でぐるぐると回る。まさかおそ松もわたしの事を好いていてくれたなんて、1ミリも思わなかった。トト子ちゃんみたいに可愛くないのに、どうしてだろう、全然そんな素振りじゃなかったのに。なんで、どうして、何故を考えている内にわたしの頭はパンクしてしまった。じりじりとおそ松との距離をとり、なんと、わたしは。


  地面を蹴る音だけ聞こえた。しばらくすると自分が走っている事に気が付き、ゆっくりと立ち止まる。ドキドキと心臓が煩いのは、走ったからじゃない。その時わたしがしてしまったことを、漸く理解した。

  パニックになったわたしは、そこから逃げ出してしまったのだった。


・・・


  な、なんてことをしてしまったんだ。片思いを拗らせ過ぎてしまっているからって、告白されて逃げるなんて小学生か。わたしは小学生なのか。翌日の仕事帰りに昨日の告白を思い出し、むずむずと恥ずかしくなり自分の頬を叩いた。
  それでも自分のした事は消えない、わたしはせっかくのおそ松の告白を無駄にしたのだ。この想いのせいでこの年になっても男の子の人と付き合う事ができなかったはずなのに、いざ片思いでなくなるというところで、わたしは、なんで逃げてしまったんだ。拗らせるのも良いところだ。


  その後も仕事にも集中できず、夜も思い出してしまい眠れなくなり、週末の朝の鏡に映った自分の顔はそれはそれは酷いものだった。目の下の隈は酷いわ、肌は荒れるわで女の子としてどうなんだ。そして理由が好きな人から告白されたからなんて、わけのわからない理由でケアを怠るなんて。この一週間わたしなりに考え、おそ松に会いに行く事を決意していた。昨日の夜から考えて、考え抜いた文字をおそ松に送ろうとして手が震える。『今日お休みとれたよ。話があるので、夜会えませんか?』ただそれだけの連絡で、緊張する。今日絶対にわたしから告白する。あまりに現実味がなくて緊張して、逃げてしまってごめんなさい、と伝えて、それから…。


『おっけ、じゃあなまえんちの近くの公園でいい?何時がいい?』
『ありがとう、それなら18時ぐらいかな』
『りょうかいー』


  可愛らしい絵文字が付いたメールが届くたび、顔がにやける。会えるなら、と全力で隈の部分をマッサージして、悪足掻きでパックもして、洋服はどうしよう。告白する、そう思うと体に火が付いたように熱くなる。何度も何度もシュミレーションした告白シーンを頭で繰り返し、思い切り深呼吸をした。


・・・


  告白、というワードを考えるとカジュアルな服装の考えに至らず、滅多に履かないスカートを着てしまった。公園のベンチに座って赤くなる顔を手で隠した。気合い、入れ過ぎてしまったかなあ。


  そろそろ約束の時間になる頃、入り口付近から小さく赤い色が見え、ぶわっと汗が吹き出した。まだ気付いていない、まだ気付いてない。そんな気持ちを隠しきれずキョロキョロとしてしまい、思わず膝に乗せたバッグの取っ手を握りしめた。何回も頭の中でシュミレーションしたじゃないか。足音が近くに聞こえた頃、わたしは今気付きました!とでも言うように勢いよく顔を上げた。数メートル先に赤いパーカーを着た、わたしの好きな人。わたしの顔を見ると、にかっと笑い手を上げて「よーっ待った?」と声をかけた。その瞬間体が押されたように、ガバッと立ち上がってしまった。おそ松が来てくれた事が嬉しすぎて、口元がにやけてしまう。


「お、っおそ松!久しぶり!」
「なまえ連絡くれないから、暇だったんだけどー」
「あの、仕事がちょっと忙しくて、」
「…あ、もしかして今日飲みたくなっちゃった?とりあえずいっとく?」
「うん!いく!あの、おそ松…」
「…うし!じゃーいつものとこ行くかー」


  頭の上で腕を組んで、歩いていくおそ松に少しだけ不安を感じた。いつも緊張してうまく話せていないけど、話を被せたりは絶対にしなかった。歩くの、いつもより早い。もしかして、思った以上に先週おそ松を傷つけていたのかもしれない。ほら、今言わないと、行っちゃうよ。


「お、おそ松!」


  ピタリとおそ松が立ち止まるが、振り返る事はなかった。どうしようどうしよう、そんな五文字だけが真っ白な頭の中にぐるぐると回る。そんなに後になって後悔したいのか、それでも声を出さなきゃ伝わらない。両手が汗で滲む。力を振り絞って声を出し始めた。


「あの、この前はせっかく言ってくれたのにごめんね、…ビックリして返事できなかった。わたし、…その」


  何度も何度も考えた言葉が全く意味を成さない。彼はどんな表情でわたしの声を聞いているんだろう、心臓の音が鮮明に聞こえるほど緊張して、口が動かない。おそ松が好き。最後なのに、わたしの口は魚のようにパクパクと動くだけで、肝心なところで声が出ない。


「なまえちゃん」


  葛藤していると、彼の優しい声が聞こえた。ザッザと砂を蹴る音が聞こえる。その音はわたしの目の前で止まり、わたしはやっと顔を上げた。目の前には悲しそうに笑う彼がいて、じわりじわりと視界が歪む。ぐしゃっと髪を撫でられたと思うと、軽く頭を叩かれる。はあーっと大きくため息をついた彼は、「ばーか」とまた無理矢理笑ったのだ。


「…困ること分かってたのに、あんな事言ってごめん。俺ニートなのにさ。困らせて、本当にごめんな」
「あ、」
「だから、なまえが悩む事はないっていってんの。先週のアレは、なし!ってことで!」
「…!」
「…だから、俺のこと避けるのもなし、な」


  うーんと考えるような仕草をしたと思うと「じゃあはい!これでこの話終わり!飲み行こーぜ!誰か誘うかー、誰か家に居たっけな〜」なんて平気なふりをする。おそ松にあんな顔をさせたのはわたしだ、悲しそうに笑うあなたなんてらしくない。


「待って!」


  カチコチに固まった体を動かし、彼の腕に手を伸ばす。わたしの声に立ち止まった彼は不思議そうに振り返った。


「…なまえ?」


  視界がぼやけて彼の顔も分からないけど、大好きな赤の色は見える。いよいよ耐えていた涙が止まらなくなると、彼はぎょっとして慌てて空いている手でわたしの頬を撫でた。


「あーもう泣くなよ。俺だって悲しくなるじゃん」


  つんと鼻の奥が痺れてボロボロと涙が止まらなくなる。気合いを入れてきたメイクが落ちてしまうことなんて気にならなかった。向き合う事に逃げて傷付けて、そのままでいいわけないじゃない。頬に触れたおそ松の手に安心して、ずっと粉々になっていた言葉が口からポロポロと溢れ始めた。


「ごめん、ごめんね」
「だーから、お前は何にも悪くないよ、」
「好きなの」


  は?と、上から間抜けな声が聞こえると思うと、おそ松の顔が赤くなっていくのがわかる。言葉にしてもなおわたしの涙は止まらないけど、掴んでいるおそ松の腕は絶対に離さなかった。


「え?なにそれ俺振られたんじゃないの?どういう事?」


  おそ松は慌てているのか早口でそんな言葉を言っていたけど、わたしが何も言わない事で察したのか、はははと乾いた声で笑った。


「俺、馬鹿だからわかんない。なまえ、もう一回言って」


  下を向いていておそ松の表情は分からないけど、今ならまた言える。


「おそ松が、好きなの」


  言葉にした瞬間顔を上げた彼は、唇を噛み締め少しだけ涙を浮かべたように見えた。掴んでいた腕が離されたと思うとぐい、と彼の腕に包まれる。


「あーあ、もう離してなんか、やんないよ。また逃げたら、今度こそ泣くからな」


  温かい温度にぽつぽつと涙が落ちて、地面にじわりと染みていく。心臓は煩く動いているのに、地面からあの時みたいに足は動かない。ああ、この温度を知ってしまったわたしはもう、逃げられない。


2016.0501 title にやり
水玉ロックンロール