※次男が浮ついてます


  お昼時の公園、小さい子どもやカップルで賑わう中、カラ松兄さんの彼女であるなまえちゃんと木の陰に隠れていた。別に変な気があって、一緒に隠れているわけではない。ただ僕らの目の前の光景は俄に信じ難い光景で、僕も呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。慌ててなまえちゃんの様子を見ると、僕と同じく呆然としているようだった。ふと気づくとなまえちゃんの手は震えていて、それでも彼女は泣かないように気を張っていた。そっと小さな手を握りしめるとそれは、まるで氷のように冷たかった。僕自身も、体がどんどん冷たくなって、汗か吹き出してくる。動悸も激しくなって、これが夢ならどんなに良かった事か。


  笑顔で笑うカラ松兄さんと、横にはあの日の合コンでカラ松兄さんにくっついてた女の子。女の子が兄さんの手を優しく手に取ると、兄さんも嬉しそうに微笑む。どう見ても仲の良いカップルにしか見えなかった。


「ねえトド松、…やっぱりトド松にも見えるよね?夢じゃないんだよね…」
「なまえちゃん…」
「夢じゃ、ないんだね」
「…っ」


  繋いだ手から汗が噴き出す。気を張っていたなまえちゃんの目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。僕なんかよりなまえちゃんの方が、何倍も辛いはずなのに、僕も目の当たりにした光景が鋭く心臓に刺さり、震える膝がついに耐えきれず、その場に崩れ落ちた。ぼろぼろとついに情けなくも涙が溢れて止まらなかった。


  嘘だといってくれ。カラ松兄さん、あれだけなまえちゃんを大切にしていたじゃないか。兄さんは、あの一時の出会いでこんな簡単に心を変える人だったの。


「なまえちゃん!僕のせいだ、僕が、あの日、人数合わせで合コンなんて無理やり誘ったから…」
「…合コン行ったことはカラ松も隠してなかったじゃない、…トド松のせいじゃないよ」
「でも、あの時僕が、誘わなければ…!!」


  言葉を遮るようにパチン、と温かい手が僕の頬を包んだ。首をゆっくりと横に振るなまえちゃんは、少しだけ笑った。


「合コンぐらい、行ったって何も思わないよ」


  そう言って悲しそうに目を伏せた。「もう、行こう」小さな声が聞こえたと思ったら僕の手をそっと包み、弱々しく引っ張った。


・・・


  あの日、どうしても合コンの人数が足りなくて、誰かを連れて行くしかなかった僕は、暇そうに鏡を眺めていたカラ松兄さんに声をかけたのだった。なまえちゃんがいるのに合コンに誘うのは気が引けたが、その時に限ってカラ松兄さんしか誘える相手がいなかった。ダメ元で頼み込んだが、なんだかんだ優しいカラ松兄さんは僕が強くお願いすると、なまえちゃんに連絡をして、カラ松兄さんは渋々行くことを決めてくれた。なまえちゃんにべた惚れだし、女の子にちょっかいをだすような人じゃないし、という信用もあった。二人を引き裂くような事じゃないと思っていた。


  カラ松兄さんは合コンで痛いキャラが何故かウケて、甘え上手な一人の女の子に連絡先を聞かれていた。それを見て少しだけ悔しく思ったけど、どうせ連絡先をもらったってそれだけだと思っていたから気にも留めなかった。本気になるなんて思ってもなかったからだ。でも、今日カラ松兄さんが出かける時、嫌な予感がした。


  今日で合コンから二週間が経とうとしていた。カラ松兄さんは鏡ばかり見ていたのが、携帯ばかりみるようになり、あれだけなまえちゃんに会いに行っていたのにそれもしなくなった。それが合コンの後となれば、僕も気がつかないはずがない。もしかしたらおそ松兄さん、一松兄さんあたりは鋭いから気が付いてるかもしれない。


『トド松、どこいくの?』


  家を出たカラ松兄さんの後をつけ始めた時、ちょうど松野家を訪ねてきたなまえちゃんに、最悪なタイミングで鉢合わせてしまった。カラ松兄さんの待ち合わせの相手はなまえちゃんではないことも分かり、焦りのあまり視線を合わせる事が出来なかった。
  そんな僕の様子を見兼ねてか、なまえちゃんがゆっくりと話し出した。彼女は気付いていた。あれだけ会いに来ていたカラ松兄さんがぱったりと来なくなった事、カラ松兄さんから合コンに行く、と連絡があってからだと。『そ、そうなんだ』そう言って、早歩きをしながら見失わないように、なまえちゃんにカラ松兄さんをつけているのがバレないように、と思っていたけど。


『カラ松追ってるんでしょ?知ってるなら隠さないで』
『お、追ってない、よ〜どうしたのさなまえちゃん』
『トド松。言わない方が怒ります』
『なまえちゃん…』


  最悪なケースになってしまっているのであれば、それは僕のせいだ。けれど、一発カラ松兄さんを殴ってからじゃないと、とてもじゃないけどなまえちゃんに言えない。軽い気持ちで誘った合コンで、最も簡単に浮気してしまいました、なんて。やっぱり、なんでもないよ、と言おうとした瞬間だった。


「カラ松くん!」


  僕らは、本気に最悪の、最悪なタイミングで、鉢合わせてしまったのだ。


・・・


『ハニー!今帰りか?お疲れだな』
『うん、さっき終わったんだ。カラ松も帰り?』
『フッ今日は魚に愛を伝えた帰りだ』
『あー、はいはい、今日もね』
『なまえにも愛を伝えに…な』
『はは、ありがとう』
『…それより、重いだろう、持つぞ』
『あっ、助かる』


  わたしが仕事から帰ると、帰り途中で彼に会う。かっこつけてハートを飛ばしてくるけど、きっとわたしが帰るだろう時間に合わせて来てくれている。いつもわたしの鞄を持ってくれたり、歩幅も合わせてくれたり、彼は本当に優しい。ニートと痛いという事を除いたら、本当に完璧だ。今日は待っていてくれるだろうか、仕事の日はいつも楽しみしていた。偶然を装って、決して待ってた、なんて言わない優しい彼。そんな帰り道が大好きだった。


(今日もいない…)


  けれど最近彼と会うことはなかった。お互いすぐ会えるからと連絡をあまりしなかったからか、連絡をする習慣もなかった。仕事が続く時期は彼が会いに来てくれないと距離が開いていく。その時漸く寂しいという感情に気付いた。慣れないメールもどう打っていいかわからず、何度も何度も書き直した。連絡をするにしてもせめて自分が会いに行けるようにと、『今週末は空いてる?』という言葉を選んだ。


  小さなバイブ音で目を覚ますと、返信が来ていた。柄にもなくドキドキしながらメールを開き、『悪いが、予定があるんだ』という文字を見て自分の心臓の音だけが聞こえているような感覚に陥る。がっかり、というより、その時に感じたものは焦りだった。乾いた心臓の音が鮮明に聞こえて、嫌な予感が過る。不安な気持ちが勝り、会えなくとも仲の良い兄弟に様子を聞こうと松野家に足を運ぶ事にしたのだった。


  そこで真っ青な顔をしたトド松が慌てて家を出て行く姿を見て、なんとなく勘付いてしまった。


・・・


「…ごめんね、なんか」
「こっちの方が、ごめん」
「あのね、今日見たこと、誰にも言わないでほしいんだ」
「…っなんで!もうカラ松兄さんを一発殴らないと気が済まない!あんなやつ、庇うのやめなよ…」


  わたしの家の前まで送ってくれたトド松に首をゆっくりと振ると、唇を噛み締めてうつむく。そしてごめんね、ともう一度告げると、顔を上げた。


「兄さんを許すの?」


  それは弱々しい声だった。許す?許したら、カラ松はわたしの所に戻って来てくれるの?それはおそらく、NOだ。許す許さないの問題ではなく、今日の彼の笑った顔で痛いくらいに気付いてしまったんだ。わたしが、彼を解放してあげないといけない事に。難しい顔をしていたせいか、それを察してくれたのか「何かあったらすぐ連絡して。すぐ行くから」と男らしい言葉をくれた。


「終わったら、また飲み行ってね」


  トド松に手を振ると当たり前、と頷いた。


バタン、


  トド松と別れて家に入り、玄関のドアが閉まる音と同時に崩れ落ちる。暗い家の中を見ると、喪失感にどっと襲われる。どうにでもなれ、と携帯の電源ボタンを押し、カラ松宛にメールを送ろうと文字を打ち始める。『わたしと、』そこまで打って、指が震え始める。別れて下さい、それだけの話なのに、打てない、打ちたくない。カラ松と別れたくない。優しい彼を、失いたくないのに。


  今日の彼は幸せそうに笑っていた。わたしは邪魔者で、彼を解放してあげなければならないんだ。


  人の気持ちは永遠じゃないんだ。そう言い聞かせ、震える指で送信ボタンを押した。

20160503 title にやり
変わらないものなどきっと