「なまえがトト子ちゃんといるとブサイクが目立つぞ〜!」


  幼い頃のおそ松が歯を見せて笑う。楽しそうな声とは裏腹に幼い頃のわたしはおそ松にうるさい!と声を荒げる。「おそ松くんなまえに謝って!」トト子がそう言うと仕方ないとでも言うように、渋々と謝る。トト子と比べられておそ松にからかわれるのはもう慣れっこだった。容姿に関しては褒められた事なんてないし、むしろいつも悪口を言われている覚えしかない。今でもやーい!と歯を見せて笑う幼いおそ松が、わたしの中に居座っている。


「なまえ、」


  だから、そんな声でわたしを呼ぶおそ松なんて知らない。切なげで苦しそうな声が木霊する。高校を卒業した今でもおそ松はわたしを抱き、愛おしそうにわたしを呼ぶから、勘違いしそうになる。この行為はトト子の代わりだというのに、おそ松がわたしを見てくれるような気がするんだ。
  今でも考える事がある。もし、トト子にカラ松が好きだと話していたら、結末は変わっただろうか。トト子とはあまり恋愛の話をしなかったから、トト子はわたしの気持ちは知らなかっただろうし、話してもいなかった。


「彼氏が欲しいなって思ってた時期にカラ松くんから告白されたの」


  何故カラ松と付き合ったのか聞いた時、それはそれはトト子らしい答えだったのだ。もしカラ松よりおそ松の方が早く告白をしていたら、結末は変わったのかもしれない。つまり、わたし達は本当に紙一重でこの恋を掴む事が出来なかった。わたし達は恋の仕方も終わり方も似ているんだなあ。だから今も、離れる事ができないのかもしれない。


・・・


  高校を卒業したわたしは大学へと進んだ。おそ松はアルバイトをしつつ、ニートを楽しんでいるようだが、環境が変わってもわたし達の関係は変わらなかった。カラ松は卒業後そのままトト子の魚屋で働くようになり、おそらくそろそろ結婚するのだろう。トト子も最初の始まりはあんなだったが、なんだかんだカラ松の事が大好きで羨ましいカップルだ。最初は受け入れられなかったものの、時間が経てば平気になるものだ。
  大学の帰り道、地元の駅の改札を出ると、見慣れた赤いパーカーが見えた。今日はおそ松と飲みに行く予定だった。毎回律儀に迎えに来てくれるおそ松は、おそらく暇なんだろうなと思うと、思わず笑ってしまった。


「ただいま、おそ松」
「…おせーよお兄ちゃん待ちくたびれた」
「どうせ暇でしょ、お兄ちゃん」


  つい最近わたし達は20歳になり、お酒も口に出来る歳になった。お酒を飲む楽しさを覚えてしまい、翌日授業のない日を選んでは朝まで飲む事を繰り返している。そんな馬鹿をやる毎日が楽しい中、おそ松に対してのモヤモヤとした気持ちも渦巻く。


「今日はどこ行く?」
「金ないしいつもの所でいーよ」


  周りは商店街の店舗が続々と店じまいをする時間だった。飲みに行くには丁度良い時間だ。商店街を通る途中、見慣れた店の前でおそ松は自然と視線を逸らす。居酒屋に辿り着くまでにはトト子の魚屋があり、丁度店じまいをしていたカラ松がいた。おそ松が視線を逸らした事が気になり、思わずカラ松ととうっすら視線を絡めてしまった。おそ松といる時にカラ松と会うのは久しぶりだ。適当に手を振って帰ろうと小さく手を振るが、カラ松は笑顔で駆け寄る。その姿が昔恋をしたカラ松の表情で、少しだけ胸が痛くなった。


「なまえ、おそ松、今帰りか?」
「うん、今から飲みに行くけど、カラ松も行く?」
「いや、今日は止めておく。おかげで繁盛しているからな、ハニーにも心配はかけられない」
「…カラ松、早く行けよ」
「…なまえ話しかけて悪かったな、じゃあ頑張れよ」
「うん、ありがとう」


  カラ松が重い荷物を持ちながら中へと入っていく姿を見て、かつての淡い気持ちを思い出した気がした。それでもあれから時間が経っているし、2人を見る事も祝福する事も出来るようになった。
  ただ、おそ松は、おそ松だけはあの頃のままのような気がした。こうしていつも帰り道にカラ松に会うと、機嫌を損ねる。話しかけるなとでも言うようにわたしの手を引っ張り早歩きになって、店の前を通り過ぎようとする。かといってトト子に会うとおそ松は悲しげに笑うから、胸が苦しくて痛くなる。わたしはもうあれから歩き出せているけれど、おそ松は止まったままだ。魚屋の前から早歩きで通り過ぎるおそ松のあとを追うと、おそ松が切なげに振り返る。


「…やっぱなまえの家行こ」
「…わかった」


  そう言うとおそ松はわたしの手を絡めた。家までの道のりをゆっくりと歩いて、途中でコンビニに寄ってお酒を買う。わたし達は『そういう関係』なんだ。一度交わってしまった以上、絡みついたように離れない。おそ松がトト子の事を思い出した時、おそ松に誘われる。わたしは何時からかこの行為に、愛おしさを募らせるようになった。買ったお酒を乱暴に机に置くと、おそ松はベッドに転がる。「おいで」両手を広げてそう言われると、わたしは吸い込まれるように腕の中に、すっぽりと収まった。ああまた、飲んでもいないのにわたしはおそ松に抱かれる。


  セックスの時だけは、わたしを見てくれる。うっすらと目を合わせると、おそ松も愛おしそうにわたしに触れる。体は交れど、心だけは交わらないこの行為に名前をつけるとしたら、お互いの傷を慰め合いだ。それでも手を伸ばしてしまう、わたしはもう毒されて溺れている。頬と頬をくっつければ、彼はまたわたしに覆い被さる。甘えればおそ松は答えてくれると分かっているから、彼にキスを求める。いつからか、重ねていた相手が薄れて消えた。瞼を閉じればカラ松が居たはずなのに、今目の前にいるのは赤一色。身体を重ねる度、認めざるを得なかった。わたしはあのおそ松を、好きになってしまったのだ。


「あー、あのね、おそ松」
「んー?なに?」
「トト子のこと、もういいの?」
「お前こそ、カラ松のこといーの?」


  服を着替えながら前から思っていた事を聞くと、質問を質問で返され思わず息を飲んだ。緊張からか手が震えるのを感じる。「あれから時間も経ってるし、ね」辛うじて絞り出した声は震えていなかっただろうか。机の上に散らばったコンビニで買ったお酒を手に取ると、案の定冷えていない。重い腰を上げて冷蔵庫に向かうと、後ろから「大学でいい男見つかんないの?」と楽しそうな声が聞こえた。即答でNOと答えたい所だったが、そんな質問をするおそ松にショックを受けたのか、中々声が出なかった。しびれを切らしたおそ松が「なんか言えよ」と急かし、頬杖をついてわたしの顔を覗いてくる。凍ったように動かない口を開けば、本当の気持ちを隠すようにポロポロと嘘が溢れ落ちる。


「…正直まだ忘れられない」
「…ん、そっか」
「ほんと諦め悪いね」
「んだよ、それなら早く言えよ」
「えー、なんか改めておそ松には言いたくなかった」
「普通言うだろ!なんで俺に隠すの?」


  言えるわけないじゃん、そんな言葉を誤魔化すように笑った。会えば会う程一緒にいる時間の心地良さに惹かれていく、おそ松は不思議な人だ。きっとわたし達の関係はきっと変わらないだろう、おそ松の性格を知っているからこそ何故か断言できる。これからも変わらずわたしはおそ松の側にいて、おそ松もわたしの側にいる。ただ違うのは、わたしのベクトルがおそ松に向いてしまった、ただそれだけの事だ。


「どーせまた飲みいくし、その時相談くらいのってやるよ、あいつ俺の弟だし?」


  どうしてこういう恋しか出来ないのだろう、これもおそ松のせいか。頬杖をつきながらヘラヘラと笑うおそ松が、ごろんとうつ伏せになったのを確認して、堪えきれず顔を歪めた。


・・・


「よっ」
「え?」


  おそらくわたしの顔は、何でおそ松がいるの?といった顔をしていただろう。しばらく会いたくないと思っていたのに、わたしの目の前にはコンビニの袋を持ったおそ松がいた。バイト帰りのいつもの真っ暗な道から、タバコを吸っていたおそ松に出くわしたのだった。まるでわたしがこの道を通る事が分かっていたように、わたしを視界に入れたおそ松はやっと来た、とでも言うような安心した表情を見せた。コンビニの袋を指差して「公園いこーぜ」と奴は言う。おそ松がお酒を準備して待っている事なんて初めてだったからか、少し動揺してしまった。足音と一緒にカサカサと袋が揺れる音を聞くと、やはり嫌な予感がする。少し先を行くおそ松の背中が、悲しそうに揺れているように思えた。ベンチに乱暴に座ったおそ松は、すぐさま缶ビールを渡される。お礼を言う前におそ松はぐいっと一口。外で飲むビールも美味い、と言いたそうな顔をしていた。ビールを飲もうと缶を持ち上げた瞬間、あー!とおそ松が叫ぶものだから思わず驚いておそ松の肩を叩いた。


「いって〜!もっと優しくしろよ〜」
「急に叫ばないで、びっくりするじゃん」
「だって完全にフラれたんだもん、叫びたくなるの!許して!」
「…トト子に?告白したの?」
「してない。でも正直スッキリはした」
「…どういう事?」
「俺今度こそ心臓痛くて死ぬかも」
「…わかった、とりあえず聞くから、詳しく聞かせて、わたしもよく分からない」


  胸の辺りをぎゅっと掴んで、ヘラヘラと笑うのに眉だけは困ったように下がっていた。無理して笑っているのだろう。その事にすぐに気付いてしまって、思わずおそ松の頭を撫でた。「なまえ」薄暗くてよく見えないけれどおそ松の顔が近づくのが分かり、ゆっくりとキスをされた。何回おそ松とキスをしたかな、何回したかなんてわからないや。感情を隠すようにおそ松はキスをする。きっと今から伝えようとしている事も、何となく分かる。おそ松自身も辛いけれど、きっと彼はわたしの傷を心配している。


「ごめんな」
「な、にが」
「あいつら、結婚するって」


  ああやっぱり、そうだろうと思った。最近トト子の話を聞いたから、そろそろだと思っていた。改めて結婚と聞くと寂しい気持ちはあるけれど素直に受け止める事が出来る。


「なまえもやっと完全にフラれたな〜」
「…なんかスッキリするね」
「だろ〜、同じ顔のくせに。カラ松、羨ましい」
「うん、わたしもトト子が羨ましい」


  おそ松の顔を見る事が出来なくて、思わず目を伏せた。羨ましい、と思うのは本当だ。おそ松はトト子の事を忘れる事は無いのだろう。だからわたしはおそ松に思われるトト子が、羨ましいんだ。無理矢理笑っていたおそ松と違って、わたしはすんなりと言葉を紡ぐ。わたしにかける言葉を選ぶように話していたおそ松だったが、わたしがそれ程傷付いていない事に気付くと、ムッとしたように口を結んだ。


「…意外と、平気そうだな」
「平気じゃないよ」
「…お前そんなもんだったの?」
「ねえ、流石にそれ以上言われると怒るよ」
「じゃあ、何でそんなに冷静でいられんの?」


  棘のある言葉が胸に突き刺さる。何で、何でなんて。そんな事も分からない馬鹿じゃない。ただ、その理由を話したらおそ松はきっと驚くんだろう。おそ松が好きだから、と言ったら今度こそ完全にフラれてしまう気がする、と頭の中では嫌なシーンばかりが浮かぶ。稀にわたし達の前を仕事帰りのサラリーマンが通る。その足音を頭で咀嚼して、おそ松の言葉を消す。おそ松が今どんな顔をしているかなんて、知りたくもなかった。何も言えないわたしに痺れを切らしたおそ松は勢いよく立ち上がり、近くのゴミ箱に缶を投げ入れた。


「いいや、じゃあ俺帰る」
「…わたしは、もう少し居る」
「…暗いから早く帰れよ、何かあったら連絡して」
「大丈夫、家近いし。おそ松、コレありがとう」


  手元の缶ビールを指差すと、おそ松はゆっくりと頷いた。「じゃ、またな」そう言って、頭に腕を組み振り返らずに歩いていく。小さくなっていく彼を見たくなくて、まだ少しだけ残っていたビールを飲み干し缶を潰した。心に穴が空いたような喪失感を感じ、手元の缶を呆然と見つめた。鈴虫が鳴く声が耳を支配して、まるで水の中に居るように高い音さえも篭った音に聞こえる。何故かまたな、なんて無いような気がした。わたし達はこれからも変わらず側にいる、なんて何を思い上がった事を考えていたのだろう。おそ松の事を好きになってしまった以上、もう均衡は崩れてしまった。彼に思われる親友の彼女が羨ましくて、羨ましくて、涙が浮かぶ。


『完全にフラれたな』


  おそ松の声が頭の中で再生される。おそ松がトト子の事を思って、あんな顔するからだ。時間が経ってもおそ松はわたしの事を見てくれない、そんな事実を突き付けられたようだ。わたしがまだカラ松を想っているなら、側に居ることが出来たのでしょうか。


2016.0716