一松と付き合える可能性はあるのか。自分で自己解決している問いかけも、もう終わりにする。ついに今日、今日のために考え抜いた計画を実行する。
  そのための第一歩としてわたしは松野家を訪れ、松野トド松に土下座をしていた。


「トッティお願い!わたしの彼氏のフリをして!」
「なんで!全然僕にメリットがないし、絶対ヤダ。てか一松兄さんが誰のこと好きかなんて分かるじゃん」
「トト子ちゃんでしょ、それはもう分かってる」
「いや、トト子ちゃんじゃないし」
「諦めるためにもわたしに彼氏が出来た時の一松の反応が知りたいの!お願いトッティ!」


  なまえのお願いでも絶対に無理、と一蹴りされて逃げるが勝ちとでもいうように、帽子を被り出かけてくる、と言って外に出ようとする。慌ててトド松の腕を掴み再び座らせると、やれやれといった表情でため息をついた。


「多分その計画とやらは実行しない方が身のためだと思うけど」
「じゃあトド松はわたしと一松が付き合えると思う?」
「一松兄さん次第…でしょ」
「一松次第だなんて、そんなの絶対無理じゃん…」


  少し悲しそうに言ってみたけれど、それがわざとだとわかっているトド松は返事もしてくれない。結局教えてくれないのか。とにかく全然考えを曲げないトド松は不貞腐れた様に携帯を弄り出し、わたしのほうを見てくれない。「カラ松兄さんにでも頼めば、さっき家にいたよ」と兄弟の擦りつけ合いまでも始まる。扉を開ける音がしてその方向に視線を向けると、噂をすればパーフェクトファッションに身を包んだカラ松だった。最後の頼みの綱だ、と勢いよくお願いを話し、土下座をする。


「カラ松しかいないの!お願い!」
「い、いや、なまえのお願いといえども、それは聞けないな…トド松の方がうまくやれるだろう」
「もう話も聞いてくれない」


  カラ松にまで断られるとは思ってもいなかった。トド松は完全に無視を決めているようで、わたしが話してもうんともすんとも言わない。コイツ、本気だ。カラ松もどうこの場から抜け出そうと考えている様子がバレバレだ。こんな事をされると絶対逃がしたくない、もうどちらかがうんと言うまで帰らないから。ダラダラと汗を垂らすカラ松と携帯を弄るトド松を交互に睨みをきかせていると、なんとグッドタイミングなのか、再びゆっくりと扉が開いた。猫背で同じ顔でもボサッとした髪のシルエットが見えると、嬉しくて思わず立ち上がってしまいそうだった。


「…なまえ来てたの」


  一松、とわたしが名前を呼ぶ前に何だかトド松、カラ松が慌て始める。これはチャンスだ、もう頼んでも駄目なら強行突破しかないのだ。カラ松の腕を掴んだ所で、トド松が恐ろしい物を見るかのようにダラダラと汗を垂らす。そしてわたしが腕を掴んだ張本人は何が起こったのか分かっていないのか、ぽかんと口を開けていた。腕組みをしてしまえば、もう完璧。カラ松に頭を摺り寄せて、一松を見ると、同じようにこの場の状況を理解出来ないような顔をしていた。


「一松、わたしカラ松と付き合い始めたの」


  爆弾投下。もうしらないとでも言うようにトド松は倒れて耳を塞ぎ、カラ松はどう弁解したらいいか分からないようだ。「ち、ちがうんだ!いち、ま」ふが、と言いかけでカラ松の口を両手で塞いでやる。もう従うしかないよ、耳元で笑ってやると観念したのか大人しくなったようだ。その一連の流れを知らない一松は、少しの間呆然としていたけれど、わたしとカラ松を交互に見て呆れたように笑った。


「…クソ松のこと好きだったんだ、なまえ」
「いいい、いちま、」
「一松、よろしくね」


  急にまたカラ松が弁解してきたものだから、勢いよく足を踏んでやる。わたしの考え抜いた計画は始まっているのに、一松は表情一つ変えない。その事にちくり、と心を痛むのを感じた。一松は「用事を思い出した」とまた外に出掛けていく。扉が閉まると、カラ松の肩にポンと手をおいて「これからよろしくね」と言うと、灰と化したカラ松は泣きながら崩れ落ちた。



・・・



  休日の日に松野家に訪れるのは、もう何回目だろうか。流石に何度もお邪魔しているのは申し訳ないから、とコンビニでプリンを買って松野家への道を歩いて行く。しばらく歩いたところで、見知った猫背の後ろ姿を見つけると、嬉しくなって思わず走り出した。「一松、」顔を覗き込むとビクッと彼の身体が跳ねた。照れたようにマスクをズラして不機嫌そうにわたしの名前を呼んだ。


「…クソ松に用でもあるの」


  そう言われて、わたし今カラ松と付き合っている設定だった事を思い出す。「…あ、うん、そんなところかな!」そう答えるのにどれだけ間が空いただろう、返事に迷ったように思われてしまっただろうか。ふーん、と興味がなさそうにする返事は、いつもの一松だ。自分で立てた計画なはずなのに、いざ思い浮かべていた反応をされると悲しくなるのは、少し変な期待をしていたからだろうか。それでも人数分のプリンが入った袋を自然と持ってくれたり、歩幅を合わせてくれたり、一松は優しい。だから、諦めきれない。


「クソ松の何処がいいの」
「え?あ、ああ、優しいとこかな」
「あー、まあそれはある」


  一松と話していて、意外とカラ松関係の質問が多くて吃る。でもまあ、優しいのは確かだしな、あの時トド松は聞こえないフリするし。カラ松だけだ、灰になりながらもお願いを聞いてくれたのは。


「クソ松のこと、いつから好きだったの」
「う、うーん、いつからだろ、最近?かな」
「へー、」


  最近もなにも、付き合ってない。もうこれ以上はボロが出てしまう、やめてくれ。計画もくそもない。なんて心の叫びは聞こえない。心なしか松野家へ向かう足取りも早まる。もう少しだ、もう少しで松野家に着く。そしたらプリンを渡して、カラ松に一松の様子を聞いて終了だ。やっとの思いで松野家に到着するととりあえず、インターホンを押そうと手を伸ばした。
  その瞬間に勢いよく、一松にその手を掴まれる。まさか、そこで掴まれるとは思ってもなかったので思わず声が震えてしまった。「一松?」確かに一松と一緒にいるから、インターホンも押さない方が良かったかな、なんて考える。いやいやでも人様の家にお邪魔するのだからそれはない。でも、一松はそのままドアを開けようともせずただわたしの腕を掴み、俯いていた。


「一松?どうしたの?」
「…んで、」
「…?」
「なんで、クソ松なの?」


  心が絞られたように痛くなった。そして喉が渇いて、声が掠れる。なんでって、なんでなの?むしろこちらから聞いてみたい。「一松には関係ないじゃん」根掘り葉掘りの質問にうんざりしてしまったのだろうか。わたしの口からは冷たい言葉が溢れた。掴まれた腕に一層力が加わり、痛っと言葉を漏らすと、一松はハッとした表情して、わたしの腕を離した。


「おれの方が、クソ松よりずっと前から…、!」


  やばい、と思ったのはこのときだろうか。彼の泣いた所を見たのは、小学生の予防接種の時ぐらいだろう。半開きの目からボロボロと溢れる涙を呆然と見つめながら、人に嘘をついた罪を身を以て感じていた。


「悪いけど、おれは祝福なんてできない、してやらない」


  ビニール袋を押し付けられ、彼はパタパタとサンダルを鳴らしながら走り去って行く。わたしは、もしかすると一松に。そうだとしたら、わたしはなんて事をしてしまったのだろう。わたしの手からプリンの入った袋が地面落ちると、そのまま俯いた。ポツポツと地面にシミを作ったのは、後悔の涙だった。


2016.0520 続きます
微透明なひとみ