冷たい夜風に当たる体は、アルコールのせいで生温く感じて気持ちが良い。


  居酒屋よりも安く飲みたいとほざいた幼馴染の6つ子共は、コンビニで酒を買い出ししてわたしの家にやってきた。案の定お酒が足りなくなり、無言で見つめてきた彼らに睨みを利かせながらも、自ら買いに行ってしまうわたしはきっと甘い。金は絶対に請求してやる、と心に誓いカーディガンを羽織って外に出掛けた。財布だけを片手に持ち、人数分の缶ビールとおつまみを目当てにコンビニへ歩こうとすると、叫び声とともに家からつまみ出されたカラ松が転げ落ちてきた。倒れ込むカラ松を見たわたしの顔は引きつったような顔をしていただろう。大きなたんこぶを作りながらも「レディの一人歩きは危険だぜ…」なんてさっきの衝撃で割れてしまったサングラスをかけるものだから、少し笑ってしまった。
  あいつらの事だからジャンケンで負けた奴がわたしに付いて行く的な感じだろう。負けてしまって付いて行く羽目になったのに、兄弟からつまみ出された挙句たんこぶまで出来た彼の不遇さに、苦笑いしか出なかった。


  コンビニのカゴの中には、コンビニで買った人数分の缶ビールとおつまみ。カラ松は火照った顔で嬉しそうにしていて、何だかムカついたのでカゴに入った麦茶を本物のウィスキーに変えておいた。お会計を済ませると、見覚えのある顔を見て思わず声をかけた。


「あれ、アイダとサッチーじゃん」


  可愛らしい女の子の二人組は知り合いじゃなくても声を掛けたくなるほど可愛い。久しぶり〜!と話に花を咲かせるとそれに気付いたカラ松は髪を梳かし、サングラスをかけ、気付いてくれとでも言うようにチラチラと視線を向けていた。絶対に話を振ってやるものかと意地でも視線を向けずにいると、サッチーの首に赤い虫刺されのような痣がある事に気付いた。痛そうだなあ、とこの時のわたしは素直にそう思ってしまい、あとでこの発言を酷く後悔する事になる。


「サッチー首どうしたの?虫刺され?」


  サッチーの顔がボンッと沸騰する様に赤くなると、隣のアイダはニヤニヤと笑っていた。その瞬間、全てを察したわたしは心の中で頭を抱える。そうだよ、首に赤い虫刺されなんてなかなか出来る訳がないじゃない。何故純粋に虫刺されなんて聞いたのだろう、それに対しても恥ずかしくなってきて会計済みのビニールをわざとらしく持ち直した。彼氏か、彼氏なんだな。超話したいことあるよ〜!お決まりの台詞を言うと、また会う約束をした。そういえば、カラ松は、と後ろを振り返ると持っていたビニール袋が軽くなる。終わったか?なんて顔をして自然とわたしの荷物を持ってくれるあたり、優しいなあとは思うのだけど。先ほどの話を聞いていたのか、そわそわとした様子で思わず「落ち着いて、カラ松」と言ってしまった。



  いいな、サッチー幸せそうだな、なんて落ち着くのはわたしの方か、羨ましいを通り越して微妙な気分だ。モヤモヤとしている内に、わたしはコンビニで買った缶ビールをカラ松が持っているビニール袋から取り出した。家の近くに公園があるから飲んでしまおう、カラ松の腕を引っ張って公園に誘うと少しだけ緊張しているようなわたしがいた。カラ松の腕がやけに男らしくて、お酒のせいか顔が熱くなる。ベンチに勢いよく座るとカラ松も迷いながらも、隣に腰掛けた。



「飲んじゃおうよ」
「お、おい、なまえ、フライングとはお茶目だな」
「なに、カラ松に何か悪い事でもあるの?」
「ノープロブレムだ」



  プシュ、と缶を開ける音がする。缶をくっつけて乾杯すると、一気に飲み干してしまいたくなる。既に軽く酔っ払っているからか、思った事が口から簡単に溢れてしまうのだ。


「キスマークって付けられる時どんな感じなんだろう」


  隣から何かを噴き出す音が聞こえた。酔っているのに意外と冷静なんだなあ、なんてわたしも同じか。酔っ払いの顔の赤さではなく、耳まで真っ赤にしたカラ松はいつものクールぶっている姿をとは間逆で、少し可愛いと思ってしまった。


「つけたことある?」
「フッ、予定ならある」
「聞いた人間違えたかな」


  何時ものように話している中で、わたしの心臓はどくん、と大きな音を立てる。今は思った事が口から簡単に溢れてしまう、今わたしは何を言おうとしているのだろう。少し悪い顔をしたカラ松はそんなわたしの様子にも気付かず、爆弾を投下する。


「つけて欲しいのか?」
「じゃあ、つけてみて」



  はっとした時にはもう遅かった。きっと否定の言葉を想像していただろうカラ松もポカン、と口を開けていてわたしも思わず口を押さえた。羨ましいとはいえ、カラ松相手に何て事を言ってしまったんだ。嘘だよ、冗談、なんて笑い事にしてしまおうと考えていたのも束の間、照れながらもわたしの手を掴んだ彼の真剣な目に、言えなくなってしまった。わたしの首すじに向かって噛み付くように近づく距離にぞくぞくと体の底から緊張が走る。息が首すじに触れた時、わたしはぎゅっとつかまれた手を握り締めてしまった。
  待てども首すじに想像していた感覚は降りてこない。ふと、胸元にカラ松の頭が預けられると、彼の手も震えていた事に気付き、なんて軽はずみな事を言ってしまったんだろうと、後悔した。



「…カラ松、ごめん、ほんと、どうかしてた」
「…っなまえ、そんなつもりじゃ、」
「無理させちゃって、ほんとごめん」



  何故か泣きたくなった。震える声で謝るカラ松に、わたしは何故かショックを受けていた。彼はわたしに、キスマークをつける事ができなかった。つまりは、そういう事をする相手ではないということだろうか。そこまで考えている内に、わたしってもしかして、カラ松のことが好きなのかもしれない、という疑問が生まれた。考えてしまうと胸元に預けられた感覚が温かく感じる。彼の短い髪の毛をそっと触ると、顔を上げた彼は涙目でかっこつける余裕もなかった。


「帰ろう」


  耐えきれなくなったわたしがそう言うと彼もまた缶ビールに口を付けて、一気に飲み干してしまう。空になった缶を公園のゴミ箱に捨てると、リズムの良い高い音が響いた。


「なまえ」


  まさか名前を呼ばれるとは思ってもいなかったから、体が飛び跳ねる。何て言われるのか、先ほどの言葉に死ぬ程後悔をしていたからか悪い想像しか出来ない。何?とやっとの思いで絞り出した声は震えていた。


「俺だから良かったものの…」
「?」
「他の奴にはするな、約束してくれないか」
「う、うん、もうしない」
「なら、いいんだ」


  表情一つでこんなにも嬉しいものだっけ。切ない痛みを感じながら、わたしはカラ松への恋心を自覚してしまった。その時優しい彼はわたしのために止めてくれたのだろうと、思った。なんだかまさか、今更、カラ松の事が好きと気付くなんて。そして、彼もおそらく、わたしの事を好いてくれているのではないだろうか。


・・・


  家に帰ると待ってましたと言わんばかりに、玄関へお出迎えしてくれる5人だったが、普通に帰ってきたわたし達を見てがっかりしたように同じ顔が睨みつけてくる。それは何かを期待していたかのように。それはやがて、何事も無かったようにかっこつけるカラ松矛先が向かい、「クソ松!童貞か!」「肉食系と思いきや草食か!」と殴られていた。いやいや、皆さんもなかなか童貞だ。なんて呑気に考えていると、ニヤニヤとおそ松がわたしに「せっかく二人きりにしてあげたのに、ほんとに何もなかったの?カラ松と」と聞いてきた。ご丁寧に最後のカラ松、という部分を強調して。
  少し考える仕草をして、悪い顔をした彼らが言おうとしている事は何となくわかっていたけど、とりあえずこう答えておこうと思った。


「虫に刺されそうになったくらいかな」


2016.0519
ミスター・キスマーク