「最近なまえちゃん、具合悪そうな顔してたからさ、心配してたんだよ」
「すみません、なんだかずっと本調子じゃなくて。お誘いありがとうございました。美味しかったです」
「喜んでもらえたなら、嬉しいよ」



  あーあ、結局売り言葉に買い言葉で返信をしてしまい、わたしは先輩と飲みに出かけてしまった。いつもの居酒屋じゃなくてお洒落なバーで飲んだお酒は、なんだか落ち着かなかった。人目を気にして強いお酒は頼まず、可愛いカクテルを飲んだ。自分に呆れたように猫を被る、という言葉が頭の中に浮かんだ。でも誰かといた方が気持ちが落ち着くし、これから先この気持ちがどうなろうとも行動しなきゃ変わらない。引き摺るままなら、忘れてしまった方がいいと思った。


「近くに美味しい店知ってるから、また誘ってもいい?」
「もちろんです」


  悪い事をしている気持ちはあった。それでも返事に即答できているあたり、先輩とのことを真剣に考えていたのだと思う。
  最寄駅まで送って下さる先輩は、わたしなんかにはきっと勿体無い。わたしも出来る限りの笑顔で手を振り返し、帰路についた。全然飲み足りない、なんて考えるからオッサンだと同僚にも言われるんだなあ。こんな大して強くないのにお酒好き女だと知られたら、きっと幻滅するだろうなあ。明日は休みだし、久しぶりにチビ太の屋台に行こうと足を動かす。緊張して全然食べれなかったし、今日はちょっと寒いし。



  屋台近くまでやってくると目印となる明かりが見えてくる。長い付き合いの友達ほど、一緒にいて楽なものはない。声をかけようとした時、わたしの行く場所には彼が座っていたのだった。これで、三週間連続だ。二度ある事は三度あるって本当だったのか。もう声をかけずに帰ろうと思うと「おっなまえじゃねーか!」と元気よくチビ太に呼ばれた事により、わたしはまた1番会いたくない男と顔を合わせる事にになってしまったのだった。



「久しぶりだな!なまえ!飲むか?」
「うん、じゃあ一杯だけ」
「おそ松が一人で飲み過ぎてんだ、助かったぜー介抱役が来てくれて」



  隣をみるとカウンターに突っ伏したおそ松がふにゃふにゃと独り言を呟いていた。グラスの他にお猪口が倒れていて、今期最大のため息を吐いたような気がする。それをみたチビ太が「何かあったのか?」と心配して声を掛けてくれた。大アリです、と吐き捨ててビールをゴクリ。やっぱり可愛いカクテルよりビールを飲んだ方が、お酒は美味しい。チビ太だけにはわたしのどうしようもない気持ちを打ち明けていた。カウンターに突っ伏したクソの事を、どうしようもなく好きだと。


「わたし、フラれたの」
「はあああ?」
「だから今日、会社の先輩と飲みに行ってきた」
「ちょ、展開早すぎんだろ!」


  どういうことだバーロー。今のチビ太の顔はぽかん、といった表現がぴったりだろう。


「だからわたしはコイツを連れて行くことは出来ません、残念でした」


  注がれたビールを飲み干し、勢いのまま言葉にすると自分で言ってて悲しくなってきた。じゃあその先輩とやらと付き合うのか、との話になってくるのだが、生憎まだまだ気持ちは吹っ切れていない。先輩からも直接告白された訳ではないから、もう少し会ってみようかなと思っている。チビ太は信じられない、とでもいうようにカウンターに突っ伏したおそ松とわたしを交互に見ていた。正直告白をはぐらかされているので、おそ松がわたしの事をどう思っているのかが分からない。一緒に飲みに行く仲だから嫌われてはいないと思うんだけども。周りは結婚ラッシュで続々幸せな報告がある中、羨ましい気持ちにならないはずがない。


「こうなったら、わたしも大切にしてくれる彼氏を作って、スパッと結婚したいわけなんです」


  言い切った時ふと隣に視線を動かすと、カウンターに突っ伏したまま顔だけ横にずらしただらしのない格好のおそ松と目が合い、ひっと可愛くない声を出してしまった。何やら機嫌の悪そうな顔でわたしを勢いよく睨んでおり、チビ太に助けを懇願するが首を振られる。何を思い立ったのかおそ松が急に立ち上がり、指を指される。



「本当何やってんの?俺がいいんじゃないの?そんなもんだったんだ。なまえも結局誰だっていいんじゃん!」
「…唾飛んでるよ…寝てたんじゃないの」
「寝てねーよ、なめんな!」



  駄々をこねる子供のように、ばーかばーか!と悪口ばかり言うので怒りを通り越して呆れてしまう。もう帰ろ、と立ち上がった。未だわたしに対して言うことがあるのかわたしの悪口は終わらない。埒があかないので呆れ顔のチビ太に諭吉を一枚突き付けておでん屋を後にすると、何故かわたしの後をおそ松が覚束無い足でゆっくりと歩いていた。ちゃんと歩けているのか、なんて考えてしまうあたりおそ松の思う壺。どうなったって知らないと思いきれないから、わたしの足は止まってしまう。振り返りおそ松、と名前を呼ぶと彼は馬鹿みたいな笑顔で笑った。



「振り返ってくれると思ってた」



  ほら、そんな事を言うからおそ松にはどうしようもなく甘くなってしまう。この人と一緒にいる限り、わたしのこの気持ちはきっと風化してくれない。お酒が入り涙腺が弱くなっているからかボロボロと涙が溢れ、思わず顔を手で覆った。


「なまえ」


  わたしの名前だ、と思い、手の隙間からおそ松の顔を覗くと2週間前と同じ近さで彼の顔を見た。ぶわっと顔に熱を感じたと思うと、ゆっくりとわたしの手を掴みおそ松がわたしの身長まで屈んだ。何の障害もなくおそ松の顔を恐ろしい近さで見つめていることに耐え切れず視線を下に逸らすと、わたしの唇におそ松の唇が重なった。掴まれた手を振りほどき、急いで距離を取ると、おそ松は眉間にしわを寄せて俯いた。



「…酔っ払いだからって、やっていい事と悪い事がある」
「…」
「おそ松は、どうしたいの?もう意味が分からない」
「…っお前だって意味わかんねーよ!俺のこと好きって言ったくせになんなの?他の男の所にホイホイついて行くなよ!」
「…わたしの事好きじゃないおそ松に何でそこまで言われなきゃいけないの?」
「いつ俺がお前のこと好きじゃないっていったんだよ!!」
「わたしの事振ったくせによく言うよ!!もうおそ松の事忘れたいのに、なんなの、ほんと、やだ」
「…っ俺だって好きだよ!!」




  今の言葉は本当に彼が言ったのか、分からなかった。頭をフル回転させても、どうしたらこの言葉に繋がるのか理解出来ず口が開いたままになる。



「ここから本題。…でもなまえ結婚したいでしょ」
「そりゃ、したいけど…」
「俺とじゃ無理だから、すげー我儘な話、誰とも付き合って欲しくないけど、なまえに幸せになってほしいんだよね」
「…意味がわからないね」
「でしょー、俺も意味わかんない」



  乾いた声で笑うおそ松は、今まで一緒にいた中で1番悲しそうな顔で笑った。「なまえともっとちゅーしたいし、その先もしたいけど、全然自信ないんだよね」だからこのままの関係が1番いいかもよ。俯いた彼の手は少しだけ震えていた。この人はどうしようもなく馬鹿で、わたしを大切に思ってくれていた。



「…結婚とか、正直今は無理かもしれないけど、これから頑張ればわからないし」
「…」
「わたしおそ松となら仕事も頑張れるよ、おそ松がいいから」




  言い切った後の時間が酷く遅く感じた。何か言ってくれ、笑ってくれてもいいから、そう無言に耐えていると、あーもう!とおそ松が叫んだと思うと、頭を抱えて座り込んだ。日も跨ぎそうな時間、わたし達以外にはほとんど誰もいなくて、おそ松の声だけが鮮明に聞こえる。驚いてわたしも彼の前で屈もうとすると「ん」とわたしに向かって手を差し出した。






「…そんな事言ったら俺も頑張んなきゃじゃん、はあーもう降参だわ。じゃあ約束して、なまえは、これから先俺以外のものになんないって」





  差し出された手は夢にまでみた、おそ松との未来だった。暗い道だけど、わたしにはその手だけが光って見えた。酔っ払いの話は信用ならないと言うけれど、幸せだからどうか、どうかこれが夢でありませんように。わたしの心に空いた大きな穴が、ゆっくりと塞がる。返事をするように、彼の手を取ると立ち上がった彼の胸に包まれた。



・・・



  一晩明けた後、そっと目を開けると、照れくさそうにわたしを抱き締める彼を見て昨日の事は夢ではないのだと悟った。これからの事を考えると、口元が思わず緩んでしまう。「なーに笑ってんだよ」頬をつねられると、そのまま彼の口が重なった。その時、心の底から幸せだと思ったのだった。



・・


  世にも奇妙な光景だった。にゃーちゃんのライブから帰ると、僕のハローワークの雑誌を事もあろうかあのクソ長男がゴロゴロと読んでいる。兄弟揃って何か人間では無いものを見るような目で、おそ松兄さんを見つめていた。


「おそ松兄さん、それ僕のなんだけど」
「んー」
「どうしたの?急に働く気になったの?」
「ぜんっぜん。なるわけ無いじゃん」
「じゃあ返して」
「いいじゃん、もうちょい貸してよ」


  口調はいつも通りなのに、雑誌をみる自視線は真剣そのものだった。これは何かなまえ関係だな、と思い僕もその場に腰掛け、こんな事が起きるなんてそろそろ世界の終わりか、人類滅亡か、そんな事を考えていた。紙をめくる音だけが聞こえる中、チラチラと全員がおそ松兄さんの様子を伺う。誰か何があったか聞けよ、ときっと誰もが思っているだろう。ここは戦線離脱だ、と思ってグッズを整理しようとすると、四人分の視線を感じた。顔を上げると、お前が聞けよ、とでも言うような表情。さっき声かけたんだからお前が行け、と言われているようで、冷や汗がぶわっと吹き出した。「お、おそ松兄さん…」「んだよ、チョロ松」思わず声が震えると、おそ松兄さんも不機嫌な声で返事を返した。


「なんかあったの?」
「なんもねーよ、さっきから何?」
「いや、ほら、…なまえと」


  グシャッと雑誌が潰れた音にびくり、と驚くとおそ松兄さんの「はあ?!?」という声に全員が反応した。当たりか、と全員がニヤニヤと口元を緩ませると、それが気に食わなかったのか珍しく顔を真っ赤にした。


「なんでなまえがでてくんだよ!関係ねーから!!」
「兄さんもしかして、やっとくっついたの?なまえと」


  トド松に確信を突かれたのか、僕の雑誌を巻いて武器にすると、トド松に殴りかかった。こんな狭い部屋の中で戦闘が始まると、すぐに僕も餌食になる事が目に見えている。なまえちゃん関係になると、照れからなのかおそ松兄さんはこんな感じになる。微笑ましいはずなのに、地雷を踏むことになるのだ。

「じゃあなまえちゃんは、おそ松兄さんの彼女になったんだね!!」


どうやって収めようか考えていた瞬間、異常に明るい声がその場に響いた。頭が沸騰したようにおそ松兄さんの顔が真っ赤になる、こんな顔見たことねえよ。


「うっせー!もうお前らとは口も聞かねえからな!ばーか!」


  バタバタと階段を下りていく音が聞こえ聞こえ、玄関がバタン!と閉まる。お前いったいいくつだよ、と心の中でツッコミを入れた。しばらくはこのネタで長男を弄れそうだな、と兄弟全員で顔を見合わせて笑った。



2016.0512 完結
どうか誰のものにもならないでくれ